兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第120回 悶々とする日々】
それぞれ別々の生活をしていたツガエ家の兄と妹は、両親の高齢化をきっかけに家族一緒に住むようになりました。その後、父母が亡くなり、兄妹の2人暮らしになったころに、兄は若年性認知症を発症。それからは、妹のマナミコさんが兄のお世話をすることになります。症状が悪化する兄のサポートをする日々、特に排泄問題が頻発するこのごろは、マナミコさんの心中は穏やかではありません。今回は、その切ない胸の内を吐露します。
それでも「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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兄の介護は、わたくしの運命なのか
先日、かなりご高齢のキレイな身なりをした細身のおじいさんと道ですれ違いました。心なしか元気がなく、一歩一歩がとても小またで危うい足取り。一瞬よろけてフェンスにつかまったその反対の手にはスーパーのレジ袋を提げています。
「あんなにご高齢でも自力で歩いてお買い物もして偉いな」と思ったと同時に、とても気の毒な気持ちになってしばらく後ろ姿を見守ってしまいました。事情は何もわかりません。でも「この人は奥様を介護している…」そんな風に勝手に妄想してしまったのです。意外とスーパーが大好きで、家族が「危ないからやめてよ」と言っているのに散歩がてらに買い物しているだけかもしれませんけれども、もしわたくしの妄想が当たっていたとしたら、あの方はきっと「僕が妻の介護をすることになるとは…」と、思わぬ人生の番狂わせに気落ちしているのではないでしょうか。
「介護は、自分の大切な時間を気前よく相手に分け与えることだ」と何かで読みました。
言わんとしていることはなんとなく理解できます。「そうだ、奪われているのではなく、分け与えていると考えればカッコいいではないか」と、単純なわたくしは、もう少しで目から鱗が落ちるところでした。
でもよくよく反芻してみましたところ、わたくしは人に気前よく何かを与えることで気持ちよくなれるタイプではないという事実にぶち当たりました。そうです、わたくしはケチなのです。
「なぜ、兄にわたくしの大切な時間を分け与えなければならないのか?」の方が、わたくしの中では幅を利かせているのでございます。
親の介護のときには「育ててもらった恩がえし」という大義名分がありました。誰もが経験する人生の通過儀礼でもあるでしょう。でも兄にはどうでしょう。
もちろん兄妹として人格形成のうえで多大な影響を与えてくれた存在であり、可愛がってくれたことは間違いございません。しかし、学年が4つ違う兄と一緒に遊ぶことはほとんどなく、勉強を教わった記憶も皆無でございます。兄と妹は、男子と女子ということもあり、あまり接点がないのでございます。ツガエ兄妹のことでいえば互いに干渉しないドライな関係。年頃になれば父親と同様に毛嫌いし、よそよそしい関係になっていきました。
社会人になってそれぞれ1人暮らしを始めると、ほぼ音信不通。お正月に実家で集まるくらいが関の山でございました。
両親の高齢化で家族が再結成した頃には、兄はもう認知症が始まっていて、父親が交通事故で入院して亡くなるまでのことも、認知症と卵巣がんで母親が亡くなるまでのことも、兄は「マナミコに任せるよ」と言って全く頼りになりませんでした。
「わたくしが兄のお便様をお掃除することになるとは…」
体は年齢とともにくたびれてまいりますし、心は毎日のようにズタズタで、元気をどこから持ってくればいいのかわからないときもございます。でもカラオケで大声を出したり、YouTubeチャンネルで笑わせていただいたりしながら、なんとか今日を生きております。
「こう考えれば少しは楽かな」と思う言葉を見つけては、それを励みに過ごす日々。でも楽になれるのは一瞬でございます。すぐに「現実はそんなに甘くないんだ」と蹴とばして悶々とする。でも自分を納得させるような気持ちの落としどころがないと兄と一緒に暮らしていられないので、また探して、また蹴とばす。その繰り返しでございます。
ここ数日は、「オギャーと生れ落ちたときから組み込まれていた運命と考えるしかないな」と思っております。「受け入れるほか仕方がない人生」は、この世にいくらでもあるのではないでしょうか。「自由な生き方」「切り拓く人生」と同じくらいのベクトルで、それが存在しているような気がするのです。
兄がこうならなければ、この連載も生まれなかったと思えば「幸運」でしょうか?
う~む、タマゴ・ニワトリ論争のようでございますね。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ