『振り返れば奴がいる』異様なオーラを放ちながら悪徳医師を演じ切った織田裕二
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。懐かしさに駆られて観直すと、意外な発見することがあります。今月はゲーム作家の米光一成さんが振り返れば奴がいる』を鑑賞。当時はまだ新人だった脚本家・三谷幸喜による医療ドラマが、CHAGEandASKAのの「YAH YAH YAH」に乗って勢いよく放たれたのは1993年。コロナに翻弄される2021年に振り返ると、医療倫理の来し方行く末を考えざるを得ないドラマでした。
現場で削られてしまった脚本
織田裕二が振り返れば石黒賢がいる。石黒賢が振り返れば織田裕二がいる。そして最後に織田裕二が振り返れば奴がいる。そういうドラマだ『振り返れば奴がいる』は。
トレンディドラマ全盛期が過ぎ、バブル景気が崩壊した1993年に登場した異色の医療ドラマであり、織田裕二と石黒賢とダブル主演。
今観ても鬼気迫る異様な雰囲気で満ち溢れている『振り返れば奴がいる』は、フジテレビ系の「水曜劇場」枠、よる9時から放映された。
脚本は、コメディを得意とする三谷幸喜。ゴールデンタイムの連ドラ、初脚本。翌年には『警部補・古畑任三郎』の脚本を手掛ける。
『振り返れば奴がいる』でも、もともとの脚本にはコミカルな部分もたくさんあったが、現場で削られてしまったと後に三谷幸喜は語っている。
織田裕二演じるドクター司馬江太郎と石黒賢演じるドクター石川玄がバチバチと火花を散らす対決を描いた医療ドラマで、シリアスな展開でありながら、妙な歪みがある作品だ。
病院内にほとんど人がいない。レギュラーメンバーの患者と、救急搬送されてきた人しかいなくて、リアリティを出すための「他大勢の患者さん」が登場しない。
さらに、ほとんどの場面が病院内で進むため「深夜の病院なの?」と勘違いしそうである。
物語も時間を飛ばさずに、1話でほぼ1日しか描かない。舞台劇の構造なのだ。
バブル期特有のがっしり肩パットのスーツ!
そして、このドラマ、めちゃくちゃ顔のアップが多い。
司馬と石川が話すときは、マジでキスする5秒前の顔の近さで、にらみ合いながら、ひとことボソっと何か言うのが基本だ。
司馬は、研修医の峰春美(松下由樹)の頭をわざわざガシッとつかんで顔を近づけさせて(キスシーンかと思いきや)「出ていけ」と言ったりする。
司馬は、天才的な手術スキルを持つ男だ。だが悪徳医師である。黒の存在だ。もらえる賄賂はガンガンもらう。要求もする。死んだと思った患者の生体反応があっても見殺しにする。ついたあだ名が「ドクター・ステルベン(死の医師)」。
一方、石川は正義の男。患者のことを考え、救える命を全力で救う。ホワイト、白の存在だ。
黒の司馬と、白の石川。馬が合うわけがない。対立し、争い、殴る。
オープニングは、司馬と石川が並んで走ってる。バブル期特有のがっしり肩パットのスーツを着て、将棋の駒を逆さまにしたみたいなシルエットになった二人がひたすら走る。そこに流れるのが、主題歌、CHAGEandASKAの「YAH YAH YAH」。200万枚超えの大ヒット曲だ。
これから一緒に殴りに行こうかと相談する間もなく、手術室で殴ったり、廊下ですれ違いざまに殴ったり、ふたりのドクターが常に一触即発だ。
急進的な尊厳死・安楽死の推進派
二人の対立は、ドラマが進むにつれて激化していく。司馬が虚空を睨みつける場面、石川が司馬を憎むあまり暴走する場面、長い廊下をすれ違うだけなのに緊迫感でぶっ倒れそうになる場面など、二人の演技もどんどん鬼気迫るものになっていく。
石川は、病魔に侵されることもあってどんどん顔が白くなり、古典芸能の人みたいになっていく。司馬は、自分の中から自分が出てきそうな形相で、常に眼力全開で露悪のオーラを放つ。
「どうかお父さんを死なせないで」と泣いている家族の声を聞きながら、司馬は患者を見殺しにしようとする。それを阻止し、助けようとする石川。
生かすことを「無駄だ」と言い切る司馬は、鎮静剤を大量に注射し、殺してしまう。
日本の医療ドラマで、ここまで振り切って主役の医師を悪人にしたケースは珍しいのではないか。そういう意味でも、異色のドラマだったのだ。
「臓器移植法案」の国会上程が1994年。「臓器移植法」が施行され、脳死下の臓器提供が可能になったのが1997年10月16日だ。
『振り返れば奴がいる』の放映は、それ以前の1993年。
「もう脳は死んでるんだ」と言って、生体反応があった患者を見捨てようとする司馬は、早すぎるうえに急進的な尊厳死・安楽死の推進派なのだ。
織田裕二は人生の全てを賭けていた?
司馬を演じる織田裕二は、1991年の『東京ラブストーリー』永尾完治役で大ブレイク。だが、翌年のTBS『あの日の僕をさがして』で主役に抜擢されるも視聴率は振るわず。その時、「人から役をもらうだけじゃなくて、こっちから「何をしたい」って言わなきゃ駄目だ」と考えたと語っており、『振り返れば奴がいる』では、いろいろな要望を通しているようだ。
もともとの台本では、司馬は病院を去るだけだったのだが、「司馬を殺してくれ」という織田の要望により、急遽、台本が変更。衝撃のラストシーンに変わったらしい。
『三谷幸喜創作を語る』(三谷幸喜、松野大介著/講談社)の中で、三谷はこう語っている。
<役者は、全身全霊で入り込んだ役は、その作品の中で完結させたい。これはどんな役者さんでもそう。織田さんは司馬先生を演じることにあの時の自分の人生の全てを賭けていたと思う。すごく気迫があったし、やり切った感覚もあったと思う。だから中途半端に去っていくよりは、死にたいと思ったんじゃないかな。>
当時トレンディドラマに出ずっぱりだった松下由樹、千堂あきほも登場するが、恋愛要素はスパイス程度で、とにかく司馬と石黒の医療倫理対決で押し進む。
コロナ禍の医療崩壊を経験した今、我々は改めて医療制度、医療倫理について真剣に考えるべきだろう。
『振り返れば奴がいる』は、1993年当時と今の医療倫理の違いを考えるうえでもヒントになるドラマだ。
文/米光一成(よねみつ・かずなり)
ゲーム作家。代表作「ぷよぷよ」「BAROQUE」「はぁって言うゲーム」「記憶交換ノ儀式」等。デジタルハリウッド大学教授。池袋コミュニティ・カレッジ「表現道場」の道場主。