いよいよ最終回『天国と地獄』の原点は『JIN—仁—』にある? 森下佳子ドラマのヒューマンな魅力
放映中のTBS「日曜劇場」、『天国と地獄〜サイコな2人〜』もいよいよ最終回。『天国と地獄』から日曜劇場の「入れ替わり」テーマに着目して『パパとムスメの7日間』(2007年)を取り上げたライター・近藤正高さんの今回のテーマは「タイムスリップ」。記憶に新しいところでは『テセウスの船』(2020年)、さかのぼると『JIN—仁—』(2009年・2011年)。そして『JIN—仁—』の脚本家は『天国と地獄』と同じ森下佳子! 時代を経て、どんな変化が見られるだろう。
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『天国と地獄』の意外な展開
『天国と地獄〜サイコな2人〜』はいよいよ今度の日曜、3月21日に最終回を迎える。最終回前の第9話では、それまで人格が入れ替わっていた刑事の望月(綾瀬はるか)と会社社長の日高(高橋一生)が元に戻り、それまで日高が起こしたものと思われていた殺人事件の真相もあきらかにされた。
最終回を前に望月と日高が元に戻ったこともさることながら、ネットでは真犯人が誰なのか、推理合戦も盛んに行なわれていただけに、あっさりと明かされ、意表を突かれた視聴者も多かったのではないか。ここしばらく、最後の最後まで真犯人を明かさず、視聴者の関心を引きつけ続けるドラマが多かっただけに(たぶん、登場人物のすべてに犯人の可能性を持たせた一昨年放送のドラマ『あなたの番です』<日本テレビ>がその傾向に拍車をかけたと思われる)、あえてそれを避けたかもしれない。
しかし、おかげで、このドラマにとって人格入れ替わりや連続殺人はあくまで物語を進めるための一要素にすぎなかったことがあきらかになった。それとともに、終盤へ来て、日高の双子の兄である東(迫田孝也)が弟と入れ違うように不遇な人生を歩んできたことに焦点が当てられ、運命の残酷さや命の尊さがテーマとして浮上してきた印象を受ける。
ヒューマンドラマの森下佳子
思えば、脚本を手がける森下佳子は、いままでにもこうしたヒューマンドラマを数々手がけてきた。向田邦子賞も受賞した杏主演のNHKの朝ドラ『ごちそうさん』(2013〜14年)では、関東大震災や大阪大空襲などの歴史的な出来事を通して、食べることの大切さや命をつないでいくことの重みを描き出した。「ぎぼむす」と略され話題を呼んだ『義母と娘のブルース』(2018年)も、『天国と地獄』と同じく綾瀬はるか演じる主人公が、病気となった夫から前妻とのあいだにもうけた娘を託され、夫の死後、女手一つで育てるという話だった。
『天国と地獄』は最終回を前に、日高とともに望月も逮捕されてしまい、どんなラストになるのか予想がつかない。果たして森下は、どんなふうに物語を締めくくるのか。ひょっとすると前回以上に意表を突く展開が待っているのだろうか? 考えるにつけ、ますます期待が高まる。
日曜劇場の度量の広さ
さて、日曜劇場の歴代作品には、SFやファンタジー的な設定を採り入れたものも少なくない。人格入れ替わり物では、当連載で先にとりあげたように、『天国と地獄』以前にも『パパとムスメの7日間』があった。タイムスリップ物も、昨年放送された『テセウスの船』(原作は東元俊哉の同名コミック)のほか、直木賞作家・重松清の小説を原作とした『流星ワゴン』(2015年)、そして村上もとかの原作コミックを森下佳子が脚色してヒット作となった『JIN—仁—』(2009年・2011年)などが思い出される。
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同じ老舗のドラマ枠でも、NHKの大河ドラマや朝ドラ、あるいはフジテレビの月9などでは、ここまで振り切れた設定は難しいかもしれない。NHK大河ドラマでは、現在放送中の『青天を衝け』で、物語の舞台は幕末にもかかわらず、江戸幕府をつくった徳川家康が毎回登場して評判を呼んでいるが、それでもあくまで解説役としての登場で、タイムスリップして主人公の渋沢栄一の前に現れるなどといったことはたぶん今後もないだろう。
朝ドラでも、同じ日に同じ病院で生まれた男女の数奇な人生を描く『半分、青い。』(2018年)のような作品はあったとはいえ、さすがに人格が入れ替わるような非現実的な設定は見られない。そう考えると、日曜劇場はどんな設定でも受け入れる、度量の広さを持った枠ともいえる。
見えない恐怖とシンクロした『テセウスの船』
日曜劇場のタイムスリップ物のうち、『テセウスの船』はちょうど昨年のいまごろ、最終回が放送された。同作の主人公は、死刑囚の父親を持つ青年・田村心(竹内涼真)だった。もともと東北の小さな村の警官だった父(鈴木亮平)は彼が生まれる直前の平成元年(1989年)、小学校で多くの児童が毒物入りの食べ物を口にして死亡した事件の犯人と見なされ、死刑判決が下っていた。しかし、心は妻の後押しもあり、父の冤罪を訴えて動き始める。そのさなか、ひょんなことから事件前夜の村にタイムスリップし、事件を食い止めるべく奔走した末、ついには真犯人を突き止める。最終回までハラハラさせっぱなしの展開は視聴者を釘づけにした。
折しも放送中には、新型コロナウイルスが日本でも一気に広がり、3月初めには政府の要請で学校が一斉臨時休校に入った。ちょうどそのタイミングで放送された回(第7話)では、事件の起こるはずだった当日、心が若き日の父と一緒に必死になって小学校で子供たちに食べ物を口にしないよう呼びかける様子が描かれた。見えない恐怖から子供たちを守ろうとする2人の姿に、筆者はふと、現実に進行している状況と重ね合わせたのを思い出す。
コロナ禍の『JIN—仁—』再放送
このあと、緊急事態宣言が全国に発令され、国民に対して数か月間にわたり不要不急の行動の自粛が求められた。この期間中、現代の脳外科医が幕末にタイムスリップする『JIN—仁—』が再放送され、改めて注目される。劇中、幕末の江戸で、海外からもたらされたコレラ(当時はコロリと呼ばれた)が流行し、人々がパニックに陥るという描写などからは、やはり新型コロナウイルスが感染拡大する現状と重ね合わせた人も多かっただろう。
『JIN—仁—』はもともと2009年に最初のシリーズが放送され、2011年には「完結編」として続編がつくられた(昨年の再放送はこれら第1期と第2期を再編集したディレクターズカット版)。いま振り返ると、完結編のスタートは2011年4月と、東日本大震災の直後というタイミングであった。そのなかで同作は平均視聴率が20%を超える(最高視聴率は26.1%)ヒットとなる。
『JIN—仁—』は『天国と地獄』の原点
『JIN—仁— 完結編』や『テセウスの船』の放送が未曽有の災害と重なったのはまったくの偶然ではあるが、そうした事態のなかで注目されたのはそれなりに理由があるような気がする。
2つの作品は、主人公がタイムスリップした時代で、それぞれ状況を変えるために奔走する点で共通する。それに対し、できることなら災害の起こる前に戻りたいという願望を投影した視聴者も少なくなかったはずだ。それとともに、周囲の人たちと力を合わせながら困難に立ち向かう主人公の姿は、とかく閉塞感に陥りがちな現実のなかで見ている人たちの心を揺さぶったに違いない。
両作品の共通点にはまた、主人公の身近な人が死の淵に立たされていることも挙げられる。『テセウスの船』では死刑囚となった父親が、『JIN—仁—』では脳腫瘍の手術後、植物状態になった主人公の婚約者がそれにあたる。それぞれの作品の主人公は、過去で行動を起こすたびに現代にいる相手に影響をおよぼし、それが物語をさらに深いものにしていた。なお、後者は原作コミックには出てこないドラマオリジナルの人物である。森下佳子はどうしてこのような人物を登場させたのだろうか?
『天国と地獄』は、単に人格が入れ替わるという設定の面白さにとどまることなく、物語が進むにつれてヒューマンドラマとして展開していった。その原点は、やはり森下の出世作である『JIN—仁—』に求められるのではないか。同作を改めて見直すことで、この作家の本領などもよりはっきり見えてくるように思う。『天国と地獄』をより面白く見るためにも、次回以降、この作品をじっくり検証してみたい。
※次回は3月31日(水)公開予定
『天国と地獄〜サイコな2人〜』は『Paravi』で視聴可能(有料)