兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第64回 めまい」
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症を患う兄と2人暮らし。病院への付き添いや日々の生活サポートなどを行う中、自身の体調にも異変が!?「もし、自分の身に何か起きたら…」と考えてしまったツガエさん。その不安の大きさは計り知れず…
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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わたくしがいなくなったら…という妄想をしてみた
ウエストは細く、太ももは太くありたいと願う、無い物ねだりのツガエ57歳半ばでございます。
膝痛で走るのが怖くなりました。昨年までは1か月に一度、テニスを嗜んでいた身なのに情けない。こうやって大人は走らなくなるのですね。このところ脚がシナシナになってきたのでパーンと張りのある立派な女子の脚を見る度に「若いってこういうことだわ」と羨望のまなざしを向けております。
それはそうと最近、時折、頭の中がふらふらするめまいのような症状に見舞われております。といってもこの半年間に3回だけなのですが…。パソコンで原稿を書いていたらだんだんとか、歩いてきてカフェに座ったらなぜか急になど、これといったきっかけはわかりません。首を動かすとふわ~と浮くような不安定感があって気持ちが悪くなりますが、吐くまでには至らないという中途半端な症状です。
「バカは風邪ひかない」という名言通り、健康だけが自慢で長年やってきたわたくしは、体調不良にめっきり弱い一面を持っております。熱など滅多に出ないので、37℃でも「あ、休もう」となりますし、頭痛や腹痛などがあったら最後、どんなにお仕事が溜まっていても何もできません。そのくせ病院は嫌いですし、薬はなるべく飲みたくない昔気質なので、すべてをストップして「即寝る」の一点張りでございます。
今回のめまいも2時間ぐらい横になれば、すっかり治っているので大したことはないのですけれども、具合の悪い間は「これはもしかして脳の病気なのでは?」と勝手な重病説を妄想して、そのあげく「わたくしが死んだら兄はどうなるのだろう?」と考えてしまいました。
これまでは自分が兄を看取る将来しか見えていませんでした。なので「どうせ死ぬまで介護だ」とか「一生兄のお守りで終わりか」と嘆いてきましたが、わたくしが先に逝くこともゼロではないと気付いたのです。
真っ先に浮かんだのは「そうなったら楽ちんだな」という無責任な本音でございます。でも現実的には、兄1人では暮らせないでしょうし、施設に入ってもらうにも大金が必要で、施設に入っても親戚にかかる多大な負担と迷惑は計り知れません。結局「先に逝くことはできないのだな」という諦めに似た決意がぐるっと戻ってきました。
もっといえば、寝たきりや入院もわたくしには許されません。最低でも炊事・洗濯ができる体力と気力を兄が生きている限りキープしなければなりません。MCI(前回をご参照ください)からも逃げなければなりませんので、わたくしの課題は山積しております。
その一方で兄はマイペース。
2か月に1度の病院の日、「妹さんから見て最近はどうですか?」という主治医の問いに「特に変わっていませんが」と前置きして、非常ボタンを押してアルソックが来た話(第59回をご参照ください)をご報告させていただきました。「そのこと覚えていますか?」と主治医に問われた兄は「覚えてないです」と即答。「…でしょうね」と「覚えてないんか~い!」が入り交じったわたくしの感情をお察しください。
でも、あんな事件も忘れてしまうくらいなら、わたくしがどんなに具合悪そうにしていても、どんなに冷たい態度をとっても、そんなに響かないということ。それはそれで少し気が楽でございます。昨日、食事の準備中に手が滑ってガチャ音を立てたとき、兄が大げさに振り向いて「大丈夫?」と言ったので、「大丈夫じゃなかったら何かしてくれるの?」という心の声がうっかり口から漏れてしまったことも、もう忘れてくれたと信じます。
つづく…(次回は10月29日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ