【実話】認知症の徘徊に隠された理由|墓参りに行きたがるお婆さん
認知症の症状のひとつとされる「徘徊」。施設の中をふらふらと歩き回ったり、1人でどこかへ出かけてしまって帰ってこられなくなるなど、不安がつきまとう。しかし、徘徊の背景には、何か理由があるという。
介護士ブロガーのたんたんさんこと深井竜次さんが特別養護老人ホーム(以下、特養)で働いていたときに体験した、あるお婆さんのエピソード教えてくれた。
認知症による徘徊への関わり方
介護士ブロガーのたんたん(深井竜次)と申します。
僕は5年間介護施設で介護士として経験したことを元に「介護士さんの幸せな働き方の実現」を目標としてブログ(https://www.tantandaisuki.com/)を運営しています。
前回は、初めての看取りについて僕が体験した100歳のお婆さんのお話を紹介しました。
→初めての看取り【介護士ブロガーの実体験】100歳のお婆さんの看取りケア
今回は、僕が特養で働いていたときに経験した、認知症による徘徊が見られる、あるお婆さんについてのエピソードを書いてみたいと思います。
「徘徊」は介護をする人にとって悩みの種、精神的に疲弊すると思われるかもしれません。
しかし、本人には切実な悩みがあって、その感情が徘徊となって現れていることも多いのです。心の奥にある切実な悩みに寄り添った介護経験について書いていきます。
1人で外へ…徘徊が心配なお婆さん
僕は5年間介護士として多くの高齢者の方と関わってきました。その中でもとても印象的だったのが、当時92歳のお婆さん、中原高子さん(仮名、通称お高さん)です。
お高さんは、介護職員と必要なことは話すけれど、食事中など他の利用者様と仲良くすることはなく、部屋で本を読んでいることが多い静かな人でした。
彼女は数年前に転倒してから、車椅子生活をされていましたが、1人でトイレにも行くし、着替えもしていました。「自分でできる事は自分でしたい」という自立心がとても強い人でした。
特養に入所してからは認知症が徐々に進行し、施設の中を車椅子で動き回ったり、1人で勝手に外へ出てしまったりすることが多くなりました。いわゆる「徘徊」と呼ばれる行動が増え、介護士を悩ませていました。
また、食べたはずの食事を「食べていない」と言って怒り出し、ときには、感情が高ぶって介護職員に手を上げてしまうこともありました。
しかし、気持ちが落ち着いているときのお高さんは、職員の仕事(食器洗いやおやつ出し)を自ら進んで手伝ってくださったり、困っている様子の利用者様には「どうしたの?」と優しく声をかけてくれたり、とても心の優しい人なのです。
徐々に認知症が進行していたお高さんは、あるときから「もう命は長くない。娘と夫の墓参りに行きたい」と毎日のように言うようになりました。
「墓参りに行きたい」というお高さんの思い。その背景には、ある理由がありました。
→そのとき、介護者に迫られる「命の決断」…今からできる準備とは?
徘徊の行動に隠された理由とは…
実は、お高さんは、若いときに娘さんを亡くされ、70歳の時に旦那さんにも先立たれています。施設の中を車椅子で動き回るのは、娘さんや旦那さんを探していたのでしょう。
「徘徊」といっても、ただうろうろしてるわけではなく、「馴染みのある場所に帰りたい」「孫の卒業式に行きたい」「墓参りに行きたい」など、本人にとって目的があるのです。
「徘徊」と聞くと、問題行動であるとかネガティブなイメージを持つかもしれませんが、誰だって落ち着かない環境にいると不安になって、安心できる場所に行きたいと思うのは自然なことだと思います。
お高さんはきっと「お墓参りに行くこと」で不安が解消され、安心できるのかもしれない…。
介護士たちで会議を開き、「できる限り願望を叶えてあげたい」という方向で一致しました。ご家族に連絡をして連携を取り、お墓参りの支援に当たることになりました。
お高さんの願い「墓参り」へ
お高さんの墓参りは、月に1度、職員が付き添うことになりました。
お墓のある場所は施設から車で30分ほど、石段を100段近く上った高い場所にありました。2人の介護士が92歳のお高さんを両脇から抱え、その石段を1段ずつ「はい!はい!」とリズムを合わせながら上がっていきました。
僕ら3人は石段を登り切ったときにはさすがにみんな息が上がっていました。墓に飾られていた花はまだ新しく、おせんべいが供えられていました。
お高さんは墓の前で手を合わせて目を閉じて静かに拝んでいました。5分以上はそうしていたでしょうか。そして僕らに小さな声で「ありがとう」と言い、穏やかな笑顔を見せてくれました。
お高さんが喜んでくれたことが、僕はなにより嬉しかった…。
しかし、数日経つとお高さんは墓参りに行った事は忘れてしまい、すぐにまた「墓参りに行きたい」と言い出しました。
そのとき僕は、施設の外に散歩に行ったり、一緒に軽い仕事(おしぼり畳みや台拭きなど)をしたりしてお高さんの気が紛れるように支援していました。
僕は介護士として精一杯、お高さんの要求に応えたいと考えながら、心のどこかで「お墓参りに行きたい」という思いを忘れてくれないかな…とも思っていたのです。
【まとめ】認知症患者と徘徊の対応で学んだこと
92歳のお高さんは、認知症の利用者さんの中でも特に印象が残っています。当時の僕は、介護士として経験が浅かったので、先輩の後ろ姿を見てついていくのがやっとの状態でした。
しかし、この経験が僕の中で認知症介護の基盤となりました。それは、
「認知症の人が発する言葉に対し、ごまかさずに、なるべく叶えられるように努力する」
という僕の介護士としての信念です。
最初は、認知症の人が発する言葉に対して「時間が経てば忘れるだろう」と考えていましたが、それは間違いだと気がつきました。
「そのうち忘れるだろう」「あきらめるだろう」という考えは、あくまで介護する側の都合であり、本人が困っているという事実には変わりません。
問題行動の背景にある思いに対し、介護士としてご家族や同僚と協力して関わっていくべきだと僕は考えます。なぜなら、介護施設で接している高齢者は、いつなにが起きてもおかしくないのだから…。
お高さんは、3度目の墓参りに行った後、大好きなお寿司を食べた翌週に容態が急変し、息を引き取りました。
お高さんに接した経験から、いつその時が訪れるのか、それは誰にもわからない。介護する人もご本人もそして家族も、後悔のないように関わることが大切だと学びました。
「徘徊」には、今まで過ごしてきた人生での後悔や叶えて欲しい願いが行動に現れることが多いように思います。
元気なうちに「どんな最期を迎えたいのか?」「後悔している事はあるのか?」ということを話しておく必要があります。
介護される人の「心に引っかかっていること」を聞き、できる限りその思いに寄り添うことが、穏やかな最期を迎える上で必要なことだと、僕はお高さんに教わりました。
文/たんたん(深井竜次)さん
島根県在住。保育士から介護士へ転職し、介護士として働いた経験を持つ。主に夜勤を中心に介護施設で働きながら介護士の働き方について綴ったブログ『介護士働き方コム』(https://www.tantandaisuki.com/)を運営。著書『月収15万円だった現役介護士の僕が月収100万円になった幸せな働き方』(KADOKAWA)が話題に。