シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを往く~<25>【連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。
桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。
シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。
そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。
飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。
宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。
ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たし、翌朝、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れた際、教会の幹部聖職者である参事司祭に出会い、前日渡した著書のお礼を言われるのだった。そして、バスを乗り継ぎ、次の目的地、ペンブロークに到着した。
予約していた宿「Old Kings Arms Hotel」は、まるで絵本に出てくるような外観だ。荷をほどき、早速、ペンブローク城へ。城門をくぐり、円形の城壁を右回りで進むことに決め、最初の塔バービカンタワー(Barbican Tower)に入った。そこには、らせん状の石段があった。
* * *
(2017/4/11)
VII これぞカッスル、ペンブローク城【8】
●内郭(うちぐるわ)の大塔
再び階段を慎重におり、次のノースゲートタワー(Northgate Tower)に向かった。
塔や稜堡(りょうほ)など城の構造物をつなぐ城壁には、その内部と屋上の二か所に各構造物間を行き来できる回廊が設けられている。
私は、城壁内部の回廊を通って次の塔に進んで行った。回廊には一定の間隔で窓がある。
窓といっても石の壁をくりぬいただけの縦長の長方形の穴だが、そこそこの明るさは確保でき、またそんな窓から覗くと、いかにも城壁から外を見張っているという守備兵の感覚が味わえ、結構楽しい。
このノースゲートタワーでも、私は危険で狭いことこの上ないらせん階段を上り、屋上に出てまた深呼吸をした。
ちなみに塔は住居でもあり、それぞれの塔の部屋には、ペンブローク城の歴史にちなんだ展示物やジオラマが配置されていて観光客の興味を集めている。
ノースゲートタワーの先にある稜堡の一階は、カフェや赤ちゃんのケアスポット、トイレといった施設が設けられていて、この城が観光客のために至れり尽くせりのサービスを行っていることがわかる。
城内巡りも案内ツアーがちゃんとある。ただ私の場合、午後に2回あるツアーの開始時間にタイミングよく入城できなかったので、自分勝手に回っているだけである。
今私は、城の入り口から中心を見て右回り(東回り)で巡っている。でも、これが効率のいい進み方なのかは、さっぱりわからない。
コーヒーが飲みたくなりカフェを覗いたら、セルフサービス方式のレジに結構長い列ができているのを見て嫌になり、トイレだけ済ますと、城の敷地を横切り内郭へと歩いて行った。
ペンブローク城の構造を陸上競技場に例えると、400メートルのトラックが城壁で、中のフィールドが外郭と内郭から成る城内である。その城内面積の3分の1程度の北西隅が内郭だ。
内郭を除いた外郭敷地は芝が敷かれた広いイベントスペースになっている。ここには所々にベンチが置かれ、アイスクリームやノンアルコール飲料の売店がある。
内郭のゲート跡から私はこの城の最大のシンボル、大塔(Great Tower)の1階入り口に立った。
ガイドブックによれば大塔は高さ25メートル、直径16メートルの5層の円筒形の建物で、内部には部屋が3つあり、それらは、かつて木材でふんだんに装飾され、暖炉も備えられていたということである。
しかし、入り口から覗く限り、中は薄暗く、ひんやりしていて少々気味が悪い。
●新しい靴で、コケそうになる!
らせん階段を上る。大塔という割には、らせん階段はこれまでの塔と同じくらい狭く、急である。
それでも私は注意しながら、観光客用に取り付けてある手すりにつかまって上へ上へと進む。と、つま先が滑って、ちょっとよろけてしまった。
危ない。こんなところで転倒でもしようものなら、固いらせん階段を一気に転げ落ちて、下手すると骨折だ。
いや骨折で済めばまだいい。打ちどころによっては最悪、死んでしまいかねない。ジェラルドに会えていつ死んでもいいとグレッグ(セント・デイヴィッズで宿泊したB&Bの主人)に言ったが、やっぱりまだまだ生きていたい。
実は最初の塔でも滑っていた。そのわけはわかっていた。
私はひと月前、今回の旅用に靴を新調した。ウォーキングにも十分適した革のカジュアルシューズで、そこそこ値が張ったやつだ。前の靴は、すっかり足になじんでいて最高だった。が、いかんせん古くなった。やはり、きれいな靴でウェールズに行きたい。それで、慣れの準備期間を取ってひと月前に買った。
で、すっかりなじんだつもりだった。ほんのちょっと、前の靴よりつま先の部分に余裕があった。それはそれで少々ルーズな靴は歩く分には足に負担が少なく疲れない。事実ここまで何の問題もなかった。
ただ、山歩きをしている人ならわかるだろうが、上り坂では靴はきついくらいピタッとしているほうがいい。石を踏み外したり滑ったりしないためである。
ウェールズはトレッキングにいい場所があちこちにあることで有名だ。しかし、私は今回トレッキングをしにきたのではない。だから履きやすさを最優先したのだが、思わぬ伏兵、急で狭いらせん階段が待っていたというわけだ。
それでも私は用心して上に進む。せっかくウェールズに来たのだし、もったいなくもある。
塔の中ほどの高さまで上ったと思ったとき、上から降りてくる人の気配がした。
そこで焦らず階段を少し下り、2層目の部屋につながる踊り場で、人が階段を降り切るのを待っていた。
が、なかなか下ってくる人の列が途切れない。若い人が多かったが、中には幼児や赤ちゃんを抱きかかえて慎重に降りてくるカップルもいる。明らかに私より年齢が高い人もいた。
そうした人たちを見ているうち、この大塔の一番上まで上ろうという気がふっと失せた。
変な話だが、みんな必死で、おっかなびっくり屋上まで行ったんだなあ、えらかったなあと思っているうちに、満足してきたのである。
ここよりは低いが塔はすでに2つ上ったし、骨折もしたくないし。
そう納得できた私は、ゆっくりと恐々と石段を下り大塔の外に出た。
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。