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連載

84才、一人暮らし。ああ、快適なり「第8回 耽るということ」

 1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆し、ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼はまた、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起してきた伝説の人でもある。

 齢、84。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選び生活している。

 オシャレに気を配り、自分らしさを守る暮らしを続ける、そのライフスタイル、人生観などを連載で矢崎氏に寄稿してもらう。

 今回のテーマは「耽(ふけ)るということ」。さて、矢崎氏は何に耽っているのだろう…。

 悠々自適独居生活の極意ここにあり。 

 * * *

本を読むスピードは井上ひさしさんと拮抗している

 人にはいろいろなタイプがある。

 井上ひさしという天才劇作家が、かつてこの世に存在した。

 遅筆で編集者泣かせの作家だったが、出来栄えは極上だった。

 劇場の初日に台本が間に合うことなど奇蹟に近かった。

 作品に取りかかる前に、資料を山ほど集め、徹底的にあたる。つまり読み耽るのだ。すると、次から次に、もっと深く知りたくなる。満足するまでには、時間がかかった。

 小説には駄作もあったが、劇作は完璧だった。耽った結果、小説の場合は、資料に負けてしまうこともあったのだが、脚本では、必ず勝ったのである。

 本を読むスピードにかけては、ひさしさんと私は、いい勝負だった。だから、質は違ったが、量は拮抗(きっこう)していた。

 私も、並みの耽り方ではないのだ。

 神田の古書店に行くと、持ち歩けないほどの本を買い込む。それを一週間経たない内に、読了してしまう。

 人にはたいてい何か特技があって、耽る習性を備えているタイプの人も少なからずいると思う。何が特技か気が付かない人もいるだろうが、読書に耽けるタイプには、共通項が沢山ある。

 何より、読まずにはいられないこと。

 他にどんな用事があっても、読書に嵌(はま)ると、何もかも投げ出してしまうのだ。約束事があっても、どこかにすっ飛ばす。嘘も吐(つ)くし、突然行方不明になってまでして読む時間を作る。

 ひさしさんは言葉の天才になったが、私の場合は、ひたすら読み耽るだけだから、せいぜい脳を刺激するのみ。

 それでも、得たものの多くは、読書によってもたらされた。

「人、さまざまだから」という、私が多用する言葉(フレーズ)をひさしさんは気に入っていて、「そろそろお別れとしますか。人、さまざまだから」と嬉しそうに使ってくれたのだが、「人、さまざまだから」仕方なく、人はさまざまなことに耽るわけ。

 気が付かない人の方が多いかも知れないが、それが習性なのだ。

引っ越すたびに往生するほどの本の山に囲まれて

 私は井上ひさしほど厖大(ぼうだい)な蔵書を残していないが、引っ越しをする度に書籍の移動には往生した。

 下らない本が多いのには辟易とする。仕事場で一人暮らしをするようになって、まだ3年そこそこなのに、今や本の山に埋もれている。いつの間にか、本をかき分けて仕事をするハメになってしまった。

 一番困るのは文庫本である。字が細かいのでどんどん視力の落ちる我が身には、実に難儀なのだ。それでも読まないワケにはゆかぬ。

 近頃、非常に腹立たしい思いをしたのだが、永井荷風の『ぼく(氵に墨)東奇譚』と、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』(共に新潮文庫)を買ったところ、すべて現代かなづかいになっているのだ。

 つまり、古い人間にとっては、全く違う作品がそこにあった。

 だから「クタバリ損いなんだよ」と言われそうだが、老人には老人の流儀がある。時代の趣(おもむき)とは、言葉によって紡がれているのである。断固許すわけにはゆかない。

 最近になって、伝記を数冊読んだ。

『ヒトラー』(上・下巻)イアン・カーショー著(訳・福永美和子 白水社刊)、『マオ=誰も知らなかった毛沢東』ユン・チアン、ジョン・ハリディ共著(訳・土屋京子 講談社刊)、『スターリン』(上・下巻)サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ著(訳・染谷徹 白水社刊)、の計六冊。

 いずれも千ページ前後の分厚い書で、かなり時間がかかったが、大感銘を受けた。どっぷり嵌ってしまったのである。

   3人の独裁者の非道さには驚嘆した。結果的にはテレビを見る時間を徹底的に削った。と、同時に久しぶりの心持良い疲労を味わって陶然(とうぜん)とした。

 耽る醍醐味(だいごみ)ここにありという満足感をたっぷり味わった。

 生きている内に読んで良かったと、贈ってくれた飛鳥新社社長の土井尚道氏に感謝感激だった。

老人は何かに耽るべきだ

 多少寿命が縮まったかも知れないが、読書に耽る楽しみにはとうてい替えられない。

 老人は誰も、何かに耽るべきだと思う。

 読書の習慣のない人には絶対に本を読むことだけは勧められない。多分パニックを起こして即死するかも知れないからだ。でも、好きなことに耽けることによって、無上の楽しみを味わえるのは間違いない。

 但し、酒や煙草や大麻のような嗜好品に耽ってはならない。短命を助長するだけだろう。

 私がお勧めするとすれば、好色かギャンブルが最高のように思うのだが、若い友人を作ることも良いかも知れない。

 元手の無い人は、若者たちが集う場所で、邪魔にならないようにしながら、のんびり日向ぼっこしたらいい。

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矢崎泰久(やざきやすひさ)


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1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

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