《顔の乾燥で加湿器7台置いた日も》ワンオペ育児と更年期を乗り越えた91歳医師が、57歳で「女性医療の先駆者」になるまで
2歳から終戦までを朝鮮半島で過ごし、帰国後は医学部へ進学し、循環器内科医としてキャリアを積んできた村崎芙蓉子さん(91歳)。50代で更年期の不調に苦しんだ経験から、それまで見過ごされがちだった女性特有の悩みに向き合うことを決意。57歳で銀座に「女性成人病クリニック」を開業し、女性医療の先駆者として走り続けてきた村崎さんに、これまでの歩みについて聞いた。【全3回の第1回】
本しか友達がいなかった朝鮮半島での幼少期。母の言葉で医学部へ
――1935年生まれで、2歳から終戦まで朝鮮半島で過ごされたそうですね。当時の生活環境はいかがでしたか?
村崎さん:父が裁判官をしていて、転勤が多かったんです。近所に日本人が少なくて、子供同士も敬遠するような雰囲気があって友達ができず、本ばかり読んでいました。その後、小学4年生、10歳の頃に終戦を迎え、日本へ引き揚げてきました。
最初は徳島に戻ったのですが、父の仕事の都合で東京へ移りました。そこで中学の合唱部に夢中になり、歌ばかり歌って勉強していなかったら、中学3年生の秋に担任の先生が家にやってきて「このままでは高校進学は無理ですよ」と両親に言ったんです。そこからだいぶ叱られて、猛勉強の末になんとか都立西高に入りました。
――医師を目指すようになったきっかけは何だったのでしょうか。
村崎さん:母に「医者になってほしい」と言われたんです。私は本を読むのが好きだったので、医学部なんて考えたこともありませんでした。でも、あの頃は親に言われたら「はい」と答えるしかなかったですね。自分の意思はまったくなく、 親に言われたからそうするという感じで、とにかく日々受験勉強に打ち込みました。
当時は医学部へ行く女性自体が少なく、周囲は女子大などに進み、良妻賢母として家庭に入るのが普通でした。そのため医学部に入ってからも、「本当に私は医者になりたいのだろうか」と、どこか身が入らずにいました。患者さんとうまくコミュニケーションが取れるようになり、ようやく医師としてのやりがいを感じたのは、働き始めて10年も経ってからのことでした。
――ご結婚後、2人のお子さんを出産されています。当時は女性が仕事を続けるだけでも珍しい時代だったと思いますが、仕事と家庭の両立には、ご苦労も多かったのではありませんか?
村崎さん:本当に大変でした。当時は女性の医師が少なく、産前産後6週間の休暇さえ取りづらい雰囲気でしたね。「休むのか」という厳しい目で見られました。「女が家のことをやって、男は働きに行くのが当たり前」という風潮があり、完全なワンオペ育児でした。私も自分でやらなければと思い込んでいました。
顔を洗う時間さえ惜しんで、父・母・夫の朝食を作って子供たちにも食べさせ、そのまま職場に向かいました。仕事は意地でも辞めないぞ、と思う一方で、心身が少しずつ壊れていくような毎日でした。
――当時、心の支えになったものは何でしたか?
村崎さん:私は自転車に乗れなかったので、毎日買い物をして、重い荷物を持って駅から家まで歩いていました。6人分(村崎さん夫婦・実の両親・息子2人)の食材です。キャリーカートもない時代で、息も絶え絶えでした。
あるとき、いつものように重い荷物を抱えて気が遠くなりそうになりながら歩いていたら、上の子が自転車に乗って、下の子はそれに寄り添って、私を迎えに来てくれたんです。荷物を自転車に乗せて、一緒に帰ってくれた。それが毎日続きました。私の人生の中で一番というほどうれしかったことで、思い出すと今でも涙が出るほどです。
更年期の不調がホルモン治療で劇的に改善。「女性医療」の先駆者へ
――その後、50代で激しい更年期障害に悩まされたそうですね。
村崎さん:52歳くらいで閉経を迎え、そこからひどい体調不良が始まりました。でも、当時は更年期のせいだとはまったく思わず、「あんなに働いてきたのだから、過労がたたっているのだろう」と考えていました。力も出ないし、何もしたくない。限界を感じて、勤めていたクリニックの正規医をやめ、非常勤医になりました。人生初の敗北感を味わいました。
その頃、血液検査をするとコレステロール値が高くなっていました。ある時、産婦人科の先生が書いた「更年期に上がるコレステロールは、女性ホルモンを使うと下がる。更年期症状も取れる」という文献を読んだんです。最初は半信半疑でした。他の先生に聞いても、そんな治療は知らないと言います。
でも気になったので、自分自身の体で女性ホルモンの薬を試してみました。すると、薬を飲んで1週間もしないうちに血液中の総コレステロール値は正常に戻り、さまざまな不調が雲散霧消。体が嘘のように軽くなりました。驚くと同時に、「そうか!」とすべてのつじつまが合った思いがしました。
――どのようなことに気づかれたのでしょうか?
村崎さん:私は40代、50代の女性の患者さんに「腰が痛い」「肩が凝る」「イライラして眠れない」と不調を訴えられても、循環器の私には専門外ですから、「整形外科へ行って」「精神科へ行って」と突き放してしまっていました。でも、自分の更年期症状が劇的に消えた瞬間、過去の患者さんたちの姿と重なったんです。
顔が乾燥してひび割れるように感じて加湿器を7台も置いたり、足の裏が痛くて床を素足で踏めなかったりした自分自身の苦しみと、彼女たちの訴えがつながりました。「女の医者だからわかってくれると頼って来てくれたのに、私は男の医者と同じ対応をして、まともに話を聞いてあげていなかった」と気づいて、「なんてバカだったんだろう」と泣きました。それからは古い文献を読み漁って、女性ホルモンや更年期障害の勉強をイチからやり直しました。
57歳でクリニックを開業。特別な健康法はなくとも生涯現役
――そこから57歳で「女性成人病クリニック」を開業されました。当時はホルモン補充療法を行うクリニックは珍しかったと思います。
村崎さん:婦人科医ではない内科医の私が始めることに反対の声もありましたが、「私がやるしかない」と思ったのです。開業当初は患者さんが少なかったものの、次第にメディアに取り上げられて全国から患者さんが来るようになりました。いろいろな病院で検査をしても「異常なし」と言われ、行き場をなくしていた女性たちです。
更年期障害への理解が乏しく、同業者から「濡れ落ち葉の吹き溜まりのようなクリニック」と陰口を叩かれたこともありました。ショックでしたが、同時に「頼ってきてくれる患者がいるなら、とにかく話を聞いてあげよう」と奮い立ちました。
目の前の患者さんに「ここで一錠、飲んでいきなさい。銀座駅のホームに降りた頃には、あなたの訴えは全部なくなっていますよ」と伝えると、大げさではなく本当にその通りになることもありました。患者さんも驚いていたし、私自身も大きな自信になりました。
◆医師・村崎芙蓉子
むらさき・ふよこ/1935年7月、東京都生まれ。東京女子医科大学を卒業後、同大附属日本心臓血圧研究所にて循環器内科医として勤務。新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年に57歳で銀座に「女性成人病クリニック」を開業。女性ホルモン補充療法の先駆者として知られ、90代を迎えた現在も現役医師として診療を続けている。著書にテレビドラマ化され話題を呼んだ『カイワレ族の偏差値日記』(鎌倉書房)などがある。
撮影/杉原賢紀 取材・文/小山内麗香
