孫が見守った《老々介護》は閉幕か?「祖父、最期の刻。心電図の音が響く病室でかける言葉がみつからない」
ヤングケアラーの経験をもち、記事の発信や講演活動を行っている、たろべえさんこと高橋唯さん。90代・要介護2の祖父を80代の祖母がケアする「老々介護」を、孫としてサポートしてきた。祖父の容体が悪化して入院生活が始まり、2週間を過ぎた頃、祖父の様子に変化が訪れて――。
執筆/たろべえ(高橋唯)さん
「たろべえ」の名で、ケアラーとしての体験をもとにブログやSNSなどで情報を発信。本名は高橋唯(高ははしごだか)。1997年、障害のある両親のもとに生まれ、家族3人暮らし。ヤングケアラーに関する講演や活動も積極的に行うほか、『ヤングケアラーってなんだろう』(ちくまプリマー新書)、『ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護』(生活書院)などで執筆。 https://ameblo.jp/tarobee1515/
入院から2週間、夜中の緊急呼び出し
「なんでこんなところにいるんだよ、嫌だ! 帰らせろ!」
大腸がんの疑いで全身状態が悪く、腎盂腎炎(いわゆる膀胱炎が悪化したような感染症)を発症し、緊急入院した祖父。根っからの病院嫌いのため、当初は帰りたいと繰り返し訴えていたが連れて帰るわけにもいかず、入院生活から2週間が過ぎた。
ある日、夜中の2時に病院から呼び出しがあって慌てて病院に向かったところ、祖父は個室に移されていた。「もしかして…」とも思ったが、その後状態に変化はなく、朝方いったん家に帰ってきた。
→前回の記事:孫が見た《老々介護》病院も入浴も拒否し続けた爺ちゃん、入院生活でまさかの食事も拒否「この先どうなる?」
遠方の親戚の見舞いで驚いたこと
その日の昼、遠方から親戚が来てくれたので、再び一緒に病院に向かった。
祖父の様子は朝とさほど変わりなかったが、筆者のいとこが病室に入ると、祖父はおもむろに腕を上げて手をひらひらと振ってみせた。
このところ、祖父に「帰らせろ!」と怒りをぶつけられてばかりだった筆者は、「じいちゃん、そんなに穏やかにいられることもあるんだ」とびっくりした。
なるほど、これが「近くで面倒を見ている人ほどつらく当たられる」という、「介護あるある」ってやつね…となんだか一種の感慨を覚えた。
心電図のモニター音が響く病室で
この次の日も、祖父の状態は変わらなかった。
しかしその翌日の朝、再び病院から電話があった。「血圧がかなり下がってきています」とのことで、父と祖母と急いで祖父の元へ向かった。
たしかに、祖父は2日前と比べて反応が薄く、家族が来ていることもわかっていないように見えた。
心電図モニターが鳴り響く病室で、静かに最期の刻を過ごす祖父を見続けているのは、正直なところとても気まずかった。
よくテレビドラマなどで、「最期まで聴力は残っているので話しかけて」と言われるシーンがあるが、正直なところ少し戸惑った。祖父には幼い頃は可愛がってもらっていたが、大人になってからは話す機会が減っていたので、この段階で急に話しかけるべき言葉が思い浮かばない。
それでも、なんとか祖父に話しかけてみることもできたのだが、父と祖母も特に祖父に話しかけようとするわけでもなかったので、2人に倣うことにした。
祖父の旅立ち
病室に来てからしばらく経ったが、祖父の様子は変わらなかった。また親戚が来てくれるというので、祖母のことは親戚に任せることにして、父と筆者は家に帰った。
我が家にとっては非常事態でも、世の中の流れには関係ないことなので、とりあえずいつも通り過ごそうと思っていたが、すぐに祖母から電話が来た。「やっぱりもう一度病院に来たほうがいい」とのことで、またバタバタと病院に向かった。
私が車を運転し、父を乗せて病院へと向かう道中、再び祖母から電話が来て「もうダメだと思うわ」と告げられた。
「じいちゃんは意外としぶとい人だと思っていたけれど、それでもやっぱり命の終わりは来るものなのだな」と不思議な気持ちになった。
そして、筆者と父が病院に着いたときには、祖父の呼吸も心臓の動きも止まっていた。
祖母と親戚は静かに眠る祖父の隣で、死亡診断をしてくれる医師の到着を待っていた。祖母は緊張が解けたのか、「家で亡くなると警察が来るらしいからね、病院で最期まで見てもらえて安心だったわ」と漏らした。
祖父の入院が決まった際、医師に「看取りまでこちらで対応します」と言ってもらえて、家族としては、祖父の残された時間を安心して見守ることができた。
結局、祖父は入院して2週間ほどで息を引き取った。
ケアと看取り、家族それぞれの考え方がある
家族のケアをする中で、家族それぞれの「どんな風に、どこまでケアをしたいか」は違っている。また、必ずしもケアを受ける本人の希望と一致するとも限らない。
父と祖母は「手厚いケアをするより祖父の意思を尊重する」という考え方のようだった。孫の筆者も、やろうと思えばもっといろいろなケアができたのかもしれないが、祖父本人はそれを望んでいただろうか。
ずっと病院を嫌がっていた祖父の最期が病院になってしまったことは、気の毒に思う。もし、祖父に「自宅で看取りたい」と言ってあげられる家族がいたら、祖父の最期はまた違ったのだろう。とはいえ、家族それぞれの関係性や生活がある中で、できる限りのことはやったのだ、とも思っている。
老々介護は閉幕?そして…
半年間、祖父母の老々介護を見てきたが、想像していたよりも怒涛の急展開で、あっけなく閉幕した。病院嫌いの祖父をなんとか受診させて申請した介護保険サービスも、振り返れば手すりの設置と1回の介護タクシー利用のみで終わってしまった。ゆくゆくは施設に入所することになるだろうと思っていたので、なんだか拍子抜けした気分だ。
しかしながら、裏を返せば祖父は望み通り限界まで自宅で過ごすことができて、家族に見送ってもらうこともできたのだから、至らないことばかりでもなかったようにも思う。
まあとにかく、ひとまず祖父に、祖母に、そして自分に「お疲れさま」と言いたいところだが、これから一息つく間もなく葬儀の準備に追われることに…。
