《人生の不思議な巡り合わせ》オバ記者(69歳)がトップアイドル桜田淳子に泣かされた”昭和の日” 半世紀を経て一通の手紙が教えてくれた「人生の愛おしさ」
オバ記者ことライターの野原広子氏(69歳)のもとに届いた、一通の手紙。そこには昭和50年代、彼女が四ツ谷の芸能プロダクション下でウエイトレスをしていた頃の“大事件”が綴られていた。時の経過は人の心や世間の価値観をどう変えるのか、あるいは変えないのか。オバ記者が「かつてトップアイドルだった少女」と自分の若き日に思いを馳せながら、人生の不思議な巡り合わせについて綴る。
四ツ谷のビルと、窓に貼られたスターたちの顔
「あえて書きます。大変ご無沙汰しております。オバ記者・野原広子さんの過去を知ってからずっと手紙を出したいと思って参りました。女性セブンの編集部に送付させて頂きましたが、お手元に届いていれば幸いです」
こんな書き出しの手紙をいただいた。送り主の名前に見覚えはない。でも「当時、四ツ谷の芸能プロダクションの7階に私は勤務しておりました」と続くと、私は金縛りにあったように動けなくなった。いやいや、69年生きてきてこんなに驚いたことってあったかしら。なんと手紙をくださったヒロコさんは、ある“大事件”の目撃者だったのよ。
手紙にある当時というのは1970年代。私は茨城から上京してしばらく勤めた靴屋の住み込み店員を辞めて、四ツ谷にできた日本ジャーナリスト専門学校に入学したの。靴屋で貯めた28万円で中板橋にアパートを借りて学校の入学金と授業料を払ったら、1万円残ったかどうか。1日だって遊んでいられない。さぁ、どうしようと学校(四ッ谷)から新宿方面まで歩き出したところで、「ウエイトレス募集」の張り紙が目に飛び込んできた。カランカランとドア鈴が鳴るドアを押したのが運命の分かれ道だったのね。
写真をみてわかる通り、ごく当たり前のガラス張りの喫茶店だけど、ビルの上階が普通ではない。テレビでおなじみの森田健作、りんりんランラン、水越恵子、牧村美枝子、都はるみ、桜田淳子の顔写真が窓という窓に貼られているんだもの。後から知ったことだけど、芸能プロダクションのビルだったの
「野原さんの思い出はたったひとつ」
ヒロコさんの手紙は続く。
「野原さんの思い出はたったひとつしかありません。7階のオフィスに喫茶店からコーヒーを届けてくださった時の事。居合わせた淳子が『この人、タバコを吸うのよ』と批判的に言いました。野原さんは何も言い返しませんでした」
淳子とは他でもない。花の中3トリオとしてデビューしてからトップアイドルとして活躍していた桜田淳子だ。
「それにしてもあの時のたった一瞬の出来事をよく覚えていましたよね」
先日、手紙をくれたヒロコさんとお会いした時、私は言った。私も昔のことをよく覚えていると人に言われるけれど、他人のことで50年以上も記憶していることなどそうあるものではない。聞けばヒロコさんがその芸能プロダクションに勤務したのは2年足らず。私のウエイトレス時代はもっと短くて1年だ。
トイレに駆け込んで大泣きした、大人たちの笑い声
「そのくらい印象的だったんですよ。桜田淳子が人を批判的に言ったことが意外だったし、若く見えた野原さんがタバコを吸うことも驚きだったんです。あと、あの時、オフィスの雰囲気も異様だったのよね。淳子の周囲にいた大人たちはいっせいに野原さんを批判するようなことを言って、野原さんは黙ってコーヒーをテーブルに置いたけれど、すごく悲しそうに見えました」
悲しそう、どころではない。私はこの後、喫茶店の奥にあったトイレに駆け込んで大泣きした。淳子はタバコを吸っていた私を批判しただけではない。
「このコ、ジャーナリストになりたいんですって。そういう学校に行っているのよね」とからかったの。その場に居た芸能誌の“淳子番”と呼ばれる男が「へぇ〜、ジャーナリストねぇ」と調子を合わせ、オフィスからドッと笑いが起こった、と、私は記憶している。
喫茶店のトイレから出た私が、店のママに事情を話すと、「へぇ。あんた、そういうことで泣くの? 見た目より気が強いんだね。へえ〜」と思わぬ反応が返ってきた。それは批判ではなく、ホメ言葉に近いニュアンスが込められていた。
こんなことを言うと、桜田淳子という大スターが名もなきウエイトレスをいじめたように思われるかもしれないけど、それはちょっと違う。そこに至るまでにはいくつかの経緯があったからだ。
褒められたジャンバースカートと、裏切られたトップアイドル
初めて彼女から直接、声をかけられたのは“タバコ事件”の1〜2か月前だ。店の前で車から降りた淳子は私の着ていたブルーのフレアのジャンバースカートに目を止めて「わぁ、かわいい〜。それ、どこで買ったの? うんうん、すごくいい!!」と褒めてくれた。2日分のバイト料が消える値段だったから私も相当気に入って買ったし、なんたって日本中に知られているトップアイドルから褒められたんだもの。私も大はしゃぎで「鈴屋よ」と店名を言った。
「淳子!!」と車から荷物を持って降りてきた女性マネージャーから急かされて、ビルの中に消えていったけれど、その時もぴらぴらと手を振ってくれたから、私に対してかなりの好印象を持ってくれたのだと思う。その後も何度か見かけたけれど、いつもマネージャーや大人たちに急かされていた。
2度目に話したのは、あれは話したというのかしら。彼女が喫茶店に入ってきた時に私はカウンターの隅でタバコを吸っていたの。それを見た瞬間、「あなた、タバコを吸うの? ええ〜っ、信じられない。私なんか遊びでも吸ったことないわッ」と目を見開いて睨んだの。
そのあとは黙って注文した焼きうどんを食べ、お好みだったオレンジフロートを飲んだのかどうか記憶にない。要するに、自分好みの服を着た可憐な同世代の女の子だと思っていたのに、タバコなんか吸ってる。裏切られた!!と、彼女なりにガッカリしたのだと思う。そして3回目が、ヒロコさんが目撃した「この人、タバコ吸うのよ」だったわけ。
「あの節は」なんて、いつか笑って話せる日を
それにしても半世紀の歳月は人をどれほど変えるのか、または変えないのか。私は52歳の時に禁煙薬でタバコをやめて、今ではタバコを吸っていたことも覚えていない。それに当時と今ではタバコに対する世の中の考え方も違う。当時は「女のくせにタバコを吸うなんて」と批判的な視線もあったけれど、「自分で働いたお金でタバコを買うならいい」という考えもあったのよね。
この日、私とヒロコさんはランチの後、午後いっぱい、いろんな話をした。私のエッセイの読者で母親の介護の経験があるから、話はあっちこちに飛んで尽きない。
「淳子さんも世間に知られていること以外にも、いろんなことがあったに違いないよね」とヒロコさんは言う。いつの間にか、淳子が淳子さんに変わっていた。
そして、今となれば半世紀の時を超えて私とヒロコさんが話する機会をくれた人、という気持ちだ。いつか、ご本人と会って「あの節は」なんて笑って話せる日が来たらいいなと思っている。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。2021年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑で、やせたの?』を出版。実母の介護も経験している。
