介護現場における「花」の効果 介護福祉士が語る高齢者へのポジティブな影響、徘徊して戻ってきた認知症の男性は花を手に「これをあなたに…」
介護現場における花の活用に近年、注目が集まっている。介護福祉士が介護の際に花を取り入れたり、「お花のなかま」という介護にかかわる人向けの花の定期便サービスも登場したりしている。「介護の現場に花があると、空気が変わります」と語るのは、公認心理師・介護福祉士として介護の現場に長年携わってきた井上百合枝さんだ。彼女が介護と花を結ぶ活動を始めた背景には、25年以上の現場経験と、人の心に届くサポート方法を探し続けたことがある。井上さんに、花が介護現場にもたらす効果について教えてもらった。
教えてくれた人
井上百合枝(いのうえ・ゆりえ)さん/合同会社陽だまりのnekoの夢代表。公認心理師、社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員など数々の介護資格を保持。祖母の介護の手伝いを含め、通算25年ほど在宅介護の現場を経験している。
井上さんが現場で感じた花による効果
介護現場に花を取り入れることをすすめる井上さん。一輪の花をきっかけに、介護生活が改善した印象的な場面が、これまでに何度もあったという。
花がコミュニケーションツールになった事例
井上さんがケアマネジャーとして、長年の介護で疲れ切っていた家族を見ていた現場があった。認知症の義母を長年世話しているが、意思の疎通がだんだんとうまくいかなくなり、ケンカになることも多いという悩みを持つ女性に、井上さんは「庭で育てていた花を摘んで、食卓に置いてみたら」と提案した。
すると、義母は「いいにおいだね」「きれいな色だね」とぽつぽつと話し始めた。「これは春に咲く花だね。じゃあ外は暖かくなったんだね」などと話していくうちに、ギスギスしていた関係がほぐれ、ゆったりとした時間が流れ始めたのだという。
「花を通じたコミュニケーションをすることで、認知症の回想療法につながることもあります。あのときはこんな花が咲いていて、家族で見に行った。息子が生まれたときに植えた花と同じ花が咲いている…など、回想していくことが脳に刺激を与え、リハビリにもなるんです」
花の季節感が高齢者にもたらす意欲
外出がしにくい人にとっては、花があることで生活にもたらす効果は多いと井上さんは語る。
「室内にずっといるような高齢者は、季節感がどんどんなくなっていってしまうんです。暖房や冷房などで一定の温度の中にいるので、花によって景色や季節を感じることが生活に潤いをもたらすと感じます」
季節を知ることで、意欲が湧く高齢者も多いのだという。
「体の具合が悪くて、外に出る意欲がなくなってしまった高齢の女性がいました。春になったある日、息子さんが『近所の桜を見に行こうよ』と提案したのだそうです。息子さんが車椅子を押して桜を見に行った時に『来年もまた桜を見たい』と言って、女性はリハビリを頑張り始めた。季節を知ることで、意欲が湧くこともあるんです」
花は「飾り」ではなく、人を動かすスイッチ
花には人を動かす力があると井上さんは語る。介護の現場では、花を眺める、触れる、世話をするという行為が、自己効力感や会話のきっかけにつながっているそうだ。
季節や色、個人の好みに応じた花は、要介護者にとっては気分や変化に気づくヒントとなり、介護する側とされる側の双方に作用する。花は空間だけでなく、人間関係や生活の質にも影響を与える存在であるとされる理由を聞いた。
介護をする側・される側どちらにももたらす花の効果
介護現場で花を育てることをすすめる井上さん。鉢植えでなく、切り花でもいいそうだ。
「花の水を替えるというシンプルな行動でも、人は役割を感じます。花の世話をすることによって、自分は何かの役に立っていると実感できるからです。それが介護をされる高齢者にとって自己効力感となり、元気につながります」
介護する側にとっては、相手の花の好みが徐々にわかっていくことも、介護において大切な情報になるという。
「介護をする側にとっても、花を通じて、『この人は淡い色が好きなんだな』『今日は気分が違うから鮮やかな色を選んだのだな』と、その方の変化に気づくことができます。観察して寄り添うきっかけにもなるんです」
季節を感じることでよい作用を生む
井上さんは、外出しにくい高齢者にとって、季節を感じさせる花がよい刺激になると話す。
「季節柄や行事にまつわるものが多い花は、さまざまな思い出を呼び起こしたり、誰かに贈りたいという気持ちにつながったりと、介護の現場ではよい作用を生むことが多いんです。
人とつながりたいという思いは、元気につながります。共感は人間本来の感情で、生きる力になると現場で感じています」
花は気持ちを伝えるコミュニケーションツール
「誰かに花を贈りたい」といった思いも、介護の現場では刺激のひとつになるのだと語る井上さん。贈られた花を眺める時間、どんな色を選ぶか悩む時間、誰かを思い浮かべながら選ぶ時間——そのすべてがコミュニケーションの過程であり、気持ちを伝える行為そのものだという。
花で伝えたい思いがあった認知症の男性
とある認知症の男性が徘徊しいなくなってしまったときも、花がコミュニケーションツールになったことがあったそうだ。
「みんなで探して大変だったんですけど、その人、お花を摘んで帰ってきたんです。これをいつも優しくしてくれるあなたに届けたかったって。介護をしてくれる身内の名前も忘れてしまっているけれど、感謝の気持ちを伝えたかったんでしょうね。そのときはやっと見つかった安堵感と、おじいちゃんのやさしい気持ちとで、探していたみんなで笑いながら泣きました」
花に込められる思いはさまざま
「花を贈るという行為の中で、相手のことを考えることそのものに意味があります」と井上さん。花を選ぶプロセスは、高齢者にとって刺激になるのだという。
心理フラワーカウンセリングや心理フラワーアレンジメントなど、花を使った心理療法を行う井上さんは、花の色にも思いを込められるのだと話す。
「例えば、ピンク色は温もりといった優しい気持ちを、黄色は友愛など穏やかな人間関係を、オレンジ色などのビタミンカラーは元気を、白や紫色は清らかな気持ちや尊敬の念を想起させます」
さらに花言葉を考えて贈るなど、思いや考えを伝えるコミュニケーションとして花を用いる人も多いのだそうだ。
「特に生きた花は、それそのものが命を持っているので、これを大切に育てよう、もっと長く元気でいてほしいといった思いを抱かせ、生命の持つエネルギーが伝わっていくと感じています」
花があるだけで、関係性も変わっていく
井上さんが見てきた介護の現場では、生活の中に花を置いて会話が生まれたことや、季節の花を見に行ったことで生きる意欲が湧いた高齢者がたくさんいたという。
「介護する側・される側のイライラや嫌な気持ちが減ることで、関係性が変わる例を何度も見てきました。関係性が回復すれば、互いの心理によい影響があることは間違いありません。例えば、拒否していた介護に対して、関係性が良好になると少しずつ受けて入れてくれたことがありました。関係性の回復により、介護される側の意欲や元気が増えていくんです。介護で悩んでいる人こそ、花を取り入れてみてほしいです」
取材・文/イワイユウ
