兄がボケました~認知症と介護と老後と「第29回 些細なことに幸せを感じる」
認知症の兄と8年以上にわたり2人暮らしをし、サポート続けてきたライターのツガエマナミコさん。昨年、兄の容態が急変、自宅でのサポートに限界を感じ、特別養護老人ホームへの入所を決意しました。いくつかの施設を見学を経て、兄の特養暮らしは始まりました。現在は、週に1回、面会に行っているマナミコさんが兄の近況を綴ってくれました。
特養は大人気
60歳で定年退職した友人が、半年以上のぷー太郎生活を経て今月から新しい職種の新しい職場で再びフルタイム労働すると聞いて感服いたしました。この歳で新しい環境で新しいことを覚えるのは並大抵のことではございません。しかもフルタイムの派遣社員。
だんなさまとのお二人暮らしで、お子様はいらっしゃいません。わたくしならせいぜい小遣い稼ぎのパートタイムどまりだと思うのに、彼女は「家にいるとテレビばっかり観てしまうから働いていた方がいいわ」とつくづくぷー太郎が性に合わなかったご様子。退職前はあんなに「早く辞めたい。もう疲れた」と言っていたのに、でございます。
思えば、彼女は常に美を追求してきた女性で、毎月美容院に行き、まめにエステやネイルにも通うバブル時代が生んだオフィスレディさまでございます。スタイル管理も完璧で女性らしい女性であることを誰よりも楽しんでいらっしゃるので、その持ち味を最大限に生かすためにも通勤や職場という他人の視線を浴びる舞台が彼女には必要なのだと感じました。
女性らしい一方で「身なりを着飾るためのお金は自分で稼ぐのが当たり前」と思っている点や、家事に興味がないことを公言する辺りは実に男前で、わたくしの「好きポイント」でございます。
仕事を始めれば、また愚痴を聞くことになると思いますが、60歳でも採用される仕事のスキルと、新たな職場に飛び込んでいく勇気はわたくしには皆無なので、謹んでご尊敬申し上げ奉ります。
そんな彼女も実は親の介護真っ最中のお年頃。近県に住む90歳近いお母さまは先日要介護3と認定されたそうでございます。「やっと特別養護老人ホームに入れる条件がそろった」と喜んでおりましたが、どうやら近所の特養で「100人待ち」と言われたそうで大層驚いておりました。お父さまはすでに他界され、お母さまは今、独身の息子(友人から見て兄)との二人暮らし。友人は週末ごとに帰っているようですが「私に介護はできない」と気持ちいいほどきっぱり断言しております。もしかすると「働いていないなら親の介護をしなくちゃいけない」というモラルが彼女にフルタイム派遣社員を選ばせたのかもしれません。
それにしても特養の人気ぶりは相変わらずのようでございます。わたくしは兄を特養に入れてもらえて本当にラッキーでございました。
今週も兄のところへ行ってまいりましたが、良くも悪くも変化がなく、ご報告としては最もつまらない状態でございます。ですがつまらない=平凡=無事=幸せなので一番いい状態だと思っております。
「なにか食べさせてもいいですか?」とスタッフの方にお伺いを立て、兄に差し入れしているプリンやヨーグルトの中から賞味期限の近いものを受け取って、部屋で兄に食べさせるのがルーチンなのですが、この日はもう一皿お盆に乗っておりました。
「お茶ゼリーです」とおっしゃるそれは浅い器に入った茶色くて透明なプルプルとしたものでございました。一瞬とろみをつけたお茶かなと思ったのですが、文字通りゼリーで固められたほうじ茶のようでした。スプーンで掬うと絶妙なとろけ具合で、兄に2~3口食べさせたあと、「ちょっと食べてもいい?」と断って少しだけいただいてみました。甘いのかと思ったら味はまったくついておらず、本当にほうじ茶のゼリーでございました。暑い日だったので冷えたお茶ゼリーはとても口当たりがよく、さわやかで、家でも作りたいと思ったくらいでございます。誤嚥の危険があったり、お茶をお茶として飲むことが難しい人はこうして水分を摂ればいいのだと勉強になりました。150~200ccのお茶をペロリと平らげ、プリンも完食。そのあと、いつものように兄の手を取って歌を歌うと、兄が珍しく口パクしてくれました。といっても童謡「あめふり」の最後、ピチピチ、チャプチャプ、ランランランの「ランランラン」のところだけなのですけれども、ちょっと感激いたしました。
そんな些細なことに幸せを感じられるのも、すべては介護スタッフさまのおかげでございます。家にいたころは兄の存在が疎ましかった。でも今は目と目を合わせて歌ってしまう。人手不足と言われる介護施設で兄を看ていただいていることの有難さを噛みしめているツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性62才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ