倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.50「夫が最期に残していった言葉」
倉田真由美さんの夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)が、末期のすい臓がんによりその生涯を閉じたのは今年の2月のこと。病を得てからの叶井さんは、ある言葉を発するようになったという。夫が最、妻に伝えたこととは――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。お笑い芸人マッハスピード豪速球のさかまきさん原作の介護がテーマの漫画『お尻ふきます!!』(KADOKAWA)ほか著書多数。
夫の叶井俊太郎さんとのエピソードを描いたコミック『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』 『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』は現在Amazonで無料で公開中。
病気になってから夫が口にするようになった言葉
元気だった頃はほぼ言わなかったことを、病気になってからの夫は時折、口にすることがありました。
「ごめん」そして「ありがとう」がその代表的な言葉です。
勿論、元気な時でも何か失敗をやらかしたり迷惑をかけた時は、「めんご めんご」と笑いながら謝ることはありました。ただその言い方は「反省して謝っている」という感じではなく、私はいつもその笑いにつられて「もー」と怒って見せながら一緒に笑ったものでした。
感謝の気持ちを表す時も、例えば何かプレゼントをもらって嬉しい時は、「いいね、これ」「欲しかったんだよ」と喜ぶけど、「ありがとう」という言葉は滅多に使わない人でした。特に、私に対しては。「ありがとう」と言葉にすることに、照れのようなものがあったと思います。
なのに、体重が激減し身体が弱ってくると、「ごめん」と「ありがとう」が出てくるようになりました。亡くなる2、3か月くらい前からが顕著だったと思います。
私にとってこれは、嬉しいとは到底思えないことでした。
ある寒い日の夜のこと
寒い日の夜、夫が温かいそうめん、にゅうめんを食べたがったので作ったことがありました。味噌汁茶碗に一杯出したのですが、夫は一口しか食べられませんでした。
「ごめんな」
食べたがって作ってもらったのに、食べられなかったことを謝ってきたのです。それを聞いて、私は悲しくなりました。
「そんなこと気にしないで。またいつでも食べたいものあったら言ってね」
ごめんなんて言わなくていいんだよ、とも言いました。以前の夫ならこんな場面で「ごめん」なんて言いません。
夫が弱気になっている、変わってしまっていることがつらくて、「そんな言葉は聞きたくないよ」と苦しくなりました。夫には伝えなかったけど。
私は夫から、謝罪も感謝もいりませんでした。そんなものなくていいのに、でも最期、夫は私にそれを伝えていきました。
そんなのいらないよ、こちらこそありがとうね、ってもっとたくさんたくさん言えばよかったです。
倉田真由美さん、夫のすい臓がんが発覚するまでの経緯
夫が黄色くなり始めた――。異変に気がついた倉田さんと夫の叶井さんが、まさかの「すい臓がん」と診断されるまでには、さまざまな経緯をたどることになる。最初は黄疸、そして胃炎と診断されて…。現在、本サイトで連載中の「余命宣告後の日常」以前の話がコミック版で無料公開中だ。
『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』