兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第256回 無機質な財前節が炸裂】
ライターのツガエマナミコさんの兄は認知症を患っています。このところかなり症状は進行していたのですが、ショートステイ先で突然倒れ、それから歩くことができなくなり、現在は寝たきりに。マナミコさんの在宅介護の状況も急展開です。救急外来では、特に大きな問題はないという診断だったものの、改めて、例の主治医・財前先生(仮)を受診することになりました。
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リビングが兄の部屋になりました
立てない、歩けない状態になってしまった兄を車いすに乗せて財前先生(仮)を受診したのはショートステイで痙攣をおこして倒れてから1週間後でした。「状態が見たいから」と病院側がおっしゃるので「そりゃそうだ」と思い、急きょケアマネさまがヘルパーさんや介護タクシーなどの手配をしてくださり先生の目の前にお連れいたしました。それなのに「痙攣で倒れたんですって?」と兄を一瞥しただけで、先生が熱心にご覧になっていたのは、兄が運ばれた救急病院から預かったCTとMRIの画像と診察内容書ばかりでございました。
名医は患者を一瞬見ればおわかりになるのかもしれませんが、「どんなに苦労して連れてきたと思っているのよー!」と言いたくなってしまいました。わたくしが「右手がなんとなく固まりがちで動かすと痛がります」と言うと、「でもさっきから動いてますよね」とおっしゃり、また視線は書類へ。確かに全く硬直しているわけではないけれど、結局先生は兄に触れることも、話しかけることもせずに「特に問題ないですね」とのたまわれました。そして「痙攣は誰にでも起こるものです。繰り返し何度も起こるようだと”てんかん”と言えるんですが、初めてだとなんともいえず、何の処方もできません。食欲がないのなら、前回お出しした緊張や不安を和らげる薬で、食欲が増す副作用を持つ薬があるので、そちらに変更しますか?」とおっしゃるので、「はい」とお願いし、今はそれと認知症の薬を飲ませております。
診療が終了しそうだったので「で、あの…寝返りもできないんですけど」と食い下がると、「それは神経内科ですね。受診されるのであれば予約を取りますけどどうしますか?」とおっしゃるので、「神経内科を受診した方がいいですよね?」と言うと、ギロッとこちらを見て「希望であれば?」と無表情攻撃。鋭い視線に「き…希望します」と思わずおどおどしてしまったツガエでございました。
神経内科の予約は10日後にセッティングいたしました。いろいろ準備に時間がかかるからでございます。現に、この日の介護タクシーは介護保険が利用できる事業所に空きがなかったため、自費でございました。往復1万2000円強にはびっくりでございます。
この日、ケアマネさまと相談して、車いすをグレードアップすることにいたしました。兄の部屋が狭かったので、一番コンパクトなタイプを選んだのが敗因でございます(前回参照)。リクライニングできる車イスにすることで兄のずり落ちは防止できます。でもそのためには、広い部屋にベッドを移動する必要がございました。リクライニングできる車イスは少しだけ長くて、狭い部屋では曲がり切れなかったのでございます。
我が家で一番広い部屋といえば…そうリビング。わたくしは、このマンションを選んだとき、もしも兄が寝たきりになったら、母の時と同じようにリビングにベッドを置けばいいやと考えたことを思い出しました。「最初からリビングに置いてもらえばよかったのに、なんで兄の部屋にしちゃったんだろう」と大後悔。
数日後、多くの人の手を煩わせてベッドの引越しと車いすのグレードアップは完了いたしました。
その間にも仕事があったり、複雑すぎて書ききれないスッタモンダがございました。
訪問看護師さんは要請しておりますが、まだ来ていただいておりません。せんべい布団で寝ていたときは背中に褥瘡(床ずれ)ができかけており、早く看護師さんに診ていただきたいと思っておりましたが、エアベッドになってだいぶ解消され、すぐに看護師さんが必要な感じではなくなりました。食べる量も少し増えてきましたし…。
神経内科では何を言われるのでございましょうか。歩けなくなったことで室内の排泄物攻撃から逃れられ、ヘルパーさまがオムツ交換をしてくださるので、わたくしの心身の消耗は軽減されました。残酷ですが「治療すればすぐ歩けるようになりますよ」と言われてしまったら逆にショックでございます。施設に入るにしても、ほかの人のお部屋で便失禁などしてしまうより、動けない方が共同生活の平和を維持できましょう。ならば神経内科など希望しなければよかったんじゃないか…と今更グラグラしております。でも、歩けない原因を見つけることは今後の対応に大きく関わります。
兄には施設に入ってもらいたい。ツガエはそのことばかり気になっております
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ