猫が母になつきません 第384話「なにもしない」
ちょっと《うつ》なんだと思います。母を送って引越しもすんで、まだまだいろいろ片付けなくてはならない用事がたくさんあるのにいっこうに進みません。母のための用事はあんなにすばやくどんどん処理していたのに、今はちょっとした用事でも、たとえばネットであれ注文しとかないとみたいな小さなことでも何日も何日も放置。あとでやろう、明日にしよう、来週になったら…。母という自分の生活の軸が急になくなってはじめて、なんだかんだ自分も母によって生かされていたんだなと気づきます。
引越して「へえ」と思ったのは人から「奥さん」と呼ばれるようになったことです。店員さんも、水道の修理に来た人も、近所の人も私を「奥さん」と呼ぶのです。今までは小さい頃から住んでいた場所だったので苗字で呼ばれるか、母の周りの人からは母の「娘さん」とか長女なので「お姉ちゃん」とか呼ばれることが多かった。しかし知らない場所、名前がないところで私は結婚していなくても「奥さん」なのかと違和感を感じつつ、もう「娘さん」でも「お姉ちゃん」でもないことをちゃんと自覚しろよと言われているようで、いや本当にその通りでございますと恥ずかしいような、いたたまれないような気持ちになります。たぶん普通のことなのですが。
新しい家からは海が見えます。内見に来た時は「猫が飼えて、駐車場があって、母の施設に近い」という条件をかなえる物件がここしか見つからなくて、最初から契約すると決めていたのでよく見ていなかったのか、海が見えるということにまったく気づいていませんでした。今見るとどうして気づかなかったのか不思議なくらいよく見えるのに。母も海が好きでした。今は毎日猫と海を見るのを日課にしています。遠くにきらきら光る海…そういえば、あれやっとかなきゃ、あれも、あれも…まあ、来週からがんばろう。
作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母とくらすため地元に帰る。典型的な介護離職。モノが堆積していた家を片付けたら居心地がよくなったせいかノラが縁の下で子どもを産んで置いていってしまい、猫二匹(わび♀、さび♀)も家族に。
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