考察『ゆりあ先生の赤い糸』2話。要介護5の夫に隠し子発覚? 菅野美穂(妻)と松岡茉優(愛人?)の演技対決に息を飲む
くも膜下出血で倒れて要介護5の状態になった夫を、自宅介護する決意をした平凡な主婦ゆりあ(菅野美穂)に、次からつぎへと試練が降り掛かります。夫の恋人は男性? 家を訪ねてきた見知らぬ少女たちは愛人の子供? ドラマに詳しいライター・近藤正高さんが『ゆりあ先生の赤い糸』(テレビ朝日系 木曜よる9時〜)2話を振り返ります。
父の教えが呪いになって
『ゆりあ先生の赤い糸』先々週放送の初回では、主人公のゆりあ(菅野美穂)は穏やかな日々を過ごしていたところ、突如として夫の吾良(田中哲司)がくも膜下出血で倒れ、手術をしたものの意識が戻らない。そこへ夫の恋人だという美青年・稟久(鈴鹿央士)が現れた。いつまで経っても目を覚まさない夫を、ゆりあは自宅で介護すると決め、ヘルパーにも1日何度か来てもらうことにする。しかし、稟久は男性ヘルパーにおむつを替えてもらう吾良を見ていたたまれなくなり、自分で介護をすると言い出した。
ちょうどそのタイミングで、ゆりあの家へさらに思いがけない来客が。それは、姉妹と思しき二人の少女(姉は小学生、妹はまだ就学前)だった。姉がゆりあに見せた1枚の写真には、彼女たちとその母親らしき若い女、そして吾良が写っていた。姉は吾良を「ゴロさんパパ」と呼び、妹も「パパ、パパ」としきりに口にするので、もしや吾良の隠し子ではないかという疑惑が浮上する……。
と、すでに第1話だけで、ゆりあは十分すぎるほどの試練を課されたにもかかわらず、さらに先週の第2話でも新たな人物が現れては、おのおのが抱えた事情に巻き込まれていく。そうなってしまうのは彼女の性分らしい。いや、正確に言うと、子供の時分に父親(長田庄平)から教え込まれたことが、いまだに彼女を呪いのように縛りつけているようなのだ。
今回、ゆりあは前半から飛ばしていく。何かにつけてその場から逃げ出そうとする稟久を、何度力尽くで止めただろうか。その稟久は、突然の娘たちの登場に動揺するゆりあに、「一緒に吾良さんを守りましょう」といきなり共闘を申し出た。彼女はそれを受け止めきれないまま、まずは二人の娘――まに(白山乃愛)とみのん(田村海夏)と一緒に入院中の母親に会いに行くことにする。
菅野美穂VS松岡茉優!
写真の女=小山田みちるを演じるのは松岡茉優。ゆりあを演じる菅野美穂と同様、10代のときから高い演技力を見せてきたとあって、相手に不足はない。まさにドラマファンが待ち焦がれた対戦カードであった。
第1ラウンドでは、ゆりあは吾良が意識不明で寝たきりになっていることを一応伝えたものの、みちるはいかにもか弱そうに「許してもらえるとは思わないんですけど、退院したら謝りに行かせてください」と、本心なのか、それとも上っ面だけで口にしているのか判断しかねるような調子で言うので、ゆりあもどうもやりにくそうだ。
ゆりあはこのままでは埒が明かないと思い、「とりあえず、この子たちの預け先を決めないとどうにもなりません」と現時点で解決しておかねばならない用件を切り出す。それを聞いてみちるは、ベッドのテーブルのスマホに手を伸ばすも、まにがすかさず取り上げた。父親に電話をかけると察したからだ。どうやら、いまは別居している父は、妻のみちるに暴力を振るっていたらしい。
母と子のやりとりを見て、ゆりあのなかで例の“何か事情のある人を前にしてそのまま見過ごすような自分にはなりたくない性分”がまたしても発揮される。結局、「子供たちの前でママをぶつなんていうクソ野郎に、子供たちを預けるの見過ごして、自分がクソ野郎になるのが一番いやなんです!」と言って、自宅で娘たちを預かることにしたのである。それも子供の頃、父親が少年たちのいじめを止めに入った記憶がオーバーラップしたからだった。
考えてみれば、吾良の介護こそ稟久が手伝ってくれているのだろうが、それ以外は同居する姑の節子(三田佳子)の面倒を見るのも、小姑の志生里(宮澤エマ)から押しつけられたインコの世話も、とにかくこの家の一切をゆりあが負っている。それに加えて子供まで預かるとは……。
これと前後して、ゆりあの自宅に怪しい人影が忍び寄っていた。それはみちるの夫・小山田であった。演じる前原晃は、つい最近まで朝ドラ『らんまん』で神木隆之介扮する主人公の親友の朴訥とした好青年を演じていたのに、今回はそれとはまるで対極の役どころである。小山田は、ゆりあの家にまにがいるとわかると、たまらず玄関の扉をこじ開けると娘に呼びかけた。ゆりあは冷静を装いつつ、「あなたが落ち着いてくれたらまにさんに会わせます」と言って、ひとまず彼を家に入れる……が、これが間違いだった。
まにと会わせてもらい、小山田は一旦は取り乱したことを詫びたものの、吾良が意識不明のまま寝たきりの状態だと知るや、「天罰ですよね、よその家をかき乱した」と暴言を吐く。そしてゆりあから、みちるとまだ離婚していないのかと訊ねられると、はいと答え、これまでの妻との経緯を語り出した。それによれば、みちるがまだ3歳だったまにを連れて家から出て行ったのを、彼は戻ってきてほしいと3年ぐらいかけて説得し、ようやく彼女の心が開いたとき、いきなり吾良が金髪姿で現れ、ヤクザみたいにすごまれたのだという。
このあと、小山田はまにのために買ってきたと言って、おもむろに模造刀を取り出す。これに対し、まにから露骨に嫌がられ、ゆりあに咎められた彼は再び激高し、おもちゃでも吾良の目をつぶすこともできると言って、寝たきりの相手に刃先を振りかざした。それを見てカッとなったゆりあは、気づけば、近くにあったハンガースタンドらしきものを手に取って小山田に向かって突進していたのだった。
と、そこへ、タイミングよく便利屋の優弥(木戸大聖)が現れ、小山田から刀を取り上げると、まだ激しく動揺しているまにとゆりあに「大丈夫、大丈夫」と言って落ち着かせる。優弥が来宅したのは、姑のため階段に手すりをつけてもらうのを頼んでいたからだった。ゆりあは、出会ったときから何だか気になる存在だった彼に、この一件でさらに思いを寄せるようになってしまったらしい。
後日、再び病院に来たゆりあから、夫が自宅に押しかけてきたと知らされ、みちるは思わず笑い出す。第2ラウンドでの彼女は終始こんな調子で、吾良との関係についてゆりあから追及されても、のらりくらりと交わすばかり。「ゴロさんを信じてあげてください」と意味深長なことを言ったかと思えば、「私は何というか、ゴロさんの優しさにつけこんで、ぶら下がっていただけなんです」と可愛い子ぶって身振り手振りを交えて口にするあたり、いかにも中年男の心をもてあそぶタイプと感じさせる。まあ、みちるは、入江喜和の原作コミックでもこんなキャラクターなんだけれども、松岡茉優はそれ以上につかみどころのない人物として演じている。
ともあれ、みちるの話からゆりあは、自分の知らない夫をまたしても知ることになる。吾良はみちると、彼女が住み込みで働いていた居酒屋で知り合い、ゆりあとは不妊治療をしたものの子供ができなかったこともあり、まだ幼かったまにをかわいがるうち、やがて店の2階の部屋に出入りするようになっていたという。どうやら彼は稟久との関係もみちるには気兼ねなく打ち明けられたらしい。一体、ゆりあはそんな夫のどこを信じてやればいいというのか……この質問に、みちるは勝ち誇ったような顔で「奥様のことを信頼していると思うんですけど。私も今回初めてお会いして、ゴロさんが誰よりも信頼できる人って(言ってたのが)、『あ~、わかるぅ~』って思った」と、わかったようなわからないことを言う。
このあと、ゆりあはさらに、吾良がみちるの滞納した家賃を肩代わりしていたことも知った。吾良から裏切られたという思いは募るばかりで、その夜は、寝たきりの彼と枕を並べながら「ずっと穏やかで幸せな毎日だと思っていたのに……何もかもが憎しみでいっぱいになりそうだよ」と涙を流す。
稟久のキスでまぶたを開いた吾良
しかし、そこでゆりあのなかで何かが吹っ切れたらしい。みちるが退院してから、稟久とともに自宅に呼び出すと、「二人のここから3年間を私に預けていただきたい」と切り出した。具体的には、みちると娘たち、そして稟久にもこの家に住んでもらい、介護や家事の手伝いをしてもらおうというのだ。その意図は、ゆりあいわく「もし近い将来、吾良の意識がしっかりして、体も回復したら、そのときの状況により、このなかの誰でも伴侶になってもいいんじゃないの? と思うにいたりました。なので、フェアなほうがいいかと条件を一緒にしたんだけど」ということらしい。
この提案にみちるが一も二もなく飛びついたのに対し、稟久は激しく拒む。しかも早くもみちるとはギスギスした感じになり、そのまま立ち去ろうとする。ここでゆりあのテンションが上がり「この刺激こそが吾良の最高の起爆剤になると思わない!?」と引き留めた。
果たしてその声が吾良に聞こえたのかどうか。稟久が去り際、吾良の頬にいきなりキスをすると、驚いたことに、彼はまぶたを開き、さらにはうなりだしたのだ。このまま吾良は覚醒するのか。だとすれば、白雪姫……いや、いまの状況では修羅雪姫になってしまうのか。ゆりあと優弥の関係がどう転がっていくかも含め、次回以降も見逃せない。
以下、余談ながら、今話の前半では回想シーンとして、稟久と吾良の馴れ初めが描かれた。それによれば、バーで吾良が映画『カポーティ』(2005年)の主演俳優の名前を思い出せないでいると、たまたま居合わせた稟久が、フィリップ・シーモア・ホフマンだと教えたところ、映画談義で盛り上がり、そこから二人の関係が深まっていったらしい。
映画『カポーティ』は、実在のアメリカの作家トルーマン・カポーティが現実に起こった殺人事件に取材して長編ノンフィクションノベル『冷血』を書き上げるまでを追った作品だ。『冷血』はベストセラーとなるも、カポーティはその後、長編小説を一つも完成させられないまま生涯を終える。映画では、彼が事件の取材を進めながら、作品を書けなくなるにいたる心理的な経緯が赤裸々に描かれていた。
思えば、吾良も作家としてかつてベストセラーを出したことはあるものの、いまは鳴かず飛ばずという設定だ。映画のなかのカポーティにどこか自分を重ね合わせるところがあったのかもしれない。筆者も同じ物書きとしては何だか身につまされるが、吾良にはぜひ意識を取り戻して、復帰したあかつきには、己の所業をぜひ小説に書いてもらいたいところである。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。