宮川花子さん、4年前に多発性骨髄腫を発症し夫に感謝「大助くんは二枚目でロマンチスト、100点満点の介護男子です」
3組に1組が離婚する時代――そういわれて久しい昨今。だからこそ、「もうだめだ」「別れたい」と思ったとき、それを乗り越えた経験者の話に耳を傾けたい。夫婦漫才で人気の宮川大助・花子さん夫婦は結婚生活47年目。4年前に病を発症した花子さんの介護も担う夫の大助さんを妻は「介護男子」と呼ぶ。そんな花子さんに、夫婦の危機を乗り越える方法や夫への思いを聞きました。
宮川花子さん(69才)プロフィール
夫は宮川大助さん(73才)。1979年に「宮川大助・花子」コンビを結成して以来、40年以上、夫・宮川大助さんと公私共に連れ添う漫才師。
宮川花子さん「大助くんは100点満点の介護男子」
いまの大助くんは100点満点の介護男子。私が4年前に血液がんの一種「多発性骨髄腫」にかかり、日常生活に手助けが必要になってから、毎日かいがいしく世話をしてくれます。そんな状態になって、舞台よりもプライベートで一緒にいる時間が増えたから、大助くんは「宮川大助・花子じゃなく、“孝美・美智代”の本名の生活になった」と言うけれど、まったくそのとおり。すごく感謝しています。
もう連れ添って47年目になるけれど、それでももちろん、イライラすることはいまでもありますよ。今日も朝、「筋肉痛だからベッドが揺れるだけでも痛い」と言うてるのに、揺らすから「痛いってゆうてるやろ!」と怒鳴ったばかり。そしたら「ごめんなさい」としゅんとしてましたわ(苦笑)。
「離婚したい」と通算170回は考えた
若い頃はパワーがあったから本気でけんかもしたし、“離婚したい”って考えたことも、通算170回くらいあると思います。その理由の大半は漫才。結婚2年後に夫婦漫才を始めたけれど、漫才さえなければもっと穏やかな関係だったと思うし、けんかもしなかったんじゃないかな。
夫婦じゃなかったとしても漫才コンビは「絶対に屋上で稽古したらあかん」って言われてるんです。お互いエキサイトしすぎて、相手を突き落とすかもしれへんから。コンビ間の言い争いが日常的な世界ですし、プロとしてやるからには、命をかけて稽古するのは当たり前。だけど私らは夫婦だから仕事が終わっても一緒にいないといけない。おまけにいまみたいに男性が家事や育児を手伝うという概念はまったくなかったから漫才の仕事が終われば当時の大助くんは何にもしない。私は家に帰ったら子育てもあるからもう大変でした。ふたりで漫才の賞を受賞してトロフィーをいただいたとき、“これで殴ったろか”と思ったこともありますよ(笑い)。
それでもなんとか夫婦を続けてきてるから、たまに「ベテラン夫婦」として夫婦関係に悩む奥さんの身の上相談に乗ることがあるんです。私は「夫に腹が立つことがあったら、“殺意手帳”や“ムカつく手帳”を作れ」とアドバイスするんですよ。嫌なことがあれば書きためておいて、ええことがあればそこから引いていく。書いてたら気持ちも切り替えられるもんですよ。私のムカつく手帳?もう53冊くらいになってます(笑い)。
大助くんは心が二枚目でロマンチスト
ただ、実際に私から本気で離婚を切り出したのは35年前、胃がんになって入院していたとき一度きり。申し訳ないという気持ちからでした。当時はがんの告知が一般的ではなく、私も知らされてなかった。けど、“もしかしたらがんかも…”と思ったし、術後の痛みで精神的にも肉体的にもまいってしまった。だから病室にきてくれた夫に「こんな体の弱いやつ、嫌やろ。いつ別れてもええ。もう看病せんでもええで」と言ったんです。
そうしたら「あほか!見損なうな。嫁のひとりぐらい病気になったからゆうて、逃げるような弱い男と違うぞ!」と大きな声で怒鳴られました。
大助くんは、 “二枚目”なことを結構言ってくれるし、実はロマンチスト。顔さえ隠したらむちゃくちゃええ男なの。夫婦げんかの後、ベッドの横にサファイアの指輪と手紙を置かれていたときもありました。「きみはサファイアの輝きに負けないくらい輝いている」って(笑い)。
いまは毎日ご飯を作って、私の世話をしてくれてます。庭の掃除もして、私のベッドから見えるところにきれいに花を飾ってくれたりもする。大変なはずなのに「きみの世話をするのがうれしい」と言ってくれるんですよ。なんぼ顔がかっこええ人でも50年経ってそれを保っている人はまずいない。「心が二枚目」の大助くんを選んだ私は幸せ者やなぁと思っています。
文/池田道大、土屋秀太郎 取材・文/戸田梨恵 取材/伏見友里、平田淳
※女性セブン2023年10月12・19日号
https://josei7.com/
●宮川大助・花子インタビュー 「胃がんと脳出血を乗り越えて今がある」