85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第33回 ハッケヨイ】
伝説の編集者にして、ジャーナリストの矢崎泰久さんは、85才。1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などを次々と起用して旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』の編集長を30年にわたり務めた経歴の持ち主だ。
テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、今なお、世に問題を提起し続けている。
数年前からは、自ら望み、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らしているという矢崎氏に、その理由やライフスタイル、人生観などを寄稿しいただき、シリーズで連載している。
今回のテーマは「大相撲」だ。相撲ファン歴が長いと語る矢崎氏が、昨今の状況に一言申す!
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子供の頃から、大相撲の大ファン
九州場所が終わって、実はホッとしている。
私は子供の頃から、大相撲の大ファンなので、場所中は落ち着かない。力士たちの勝敗が気になってどうしようもないのだ。
NHKテレビのBS1では、午後1時から三段目、幕下以下のいわゆる前相撲が放送されている。これが楽しい。
客席はガラガラ。行司と呼び出し、勝負検査役だけは、眞険に土俵上の二人を見つめている。
関取(十両から上)は、給料が貰えるが、序の口、序二段、三段目、幕下は月給がない。
相撲部屋に住み込み、日々の食事は保証されているが、とにかく関取目指して必死で土俵に上がらなければならない。いわゆる徒弟制度によって相撲は支えられている。
そこには、古くからの勝負の世界があり、とうていスポーツとは思えない雰囲気が漂っている。
行司は立ち合いを整える。
「見合って、手をついて、まだまだ」と声をかけ、次に「ハッケヨイ、ノコッタ」と発する。そして、勝負の行方を見て、勝った力士に軍配を上げる。
“ハッケヨイ”とは実は「吐く気良い」(語源由来事典によると「八卦良い」もしくは「発気揚々」とある)であり、“ノコッタ”は、戦いを促すかけ声の一つである。
以前、大相撲は明らかに興業であり、娯楽そのものだった。
私が子供の頃は、本場所は年に三回だったが、今では六回もある。
出世も早いが、怪我も多くなった。本場所と本場所の間には、地方巡業があり、怪我を治す暇もない。
包帯だらけで、膏薬やサポーター着用の力士が目立つようになった。気の毒だが、見苦しい限りである。
休めばたちまち番付が落ち、前相撲まで陥落すればたちまち無給になる。
昔はガチンコ(眞険勝負)は少なかった。相手に怪我をさせないようお互いに気を配っていた。
娯楽には緩さが大切
それが、スポーツとして認知されてからは、星の貸し借りも。片八百長も固く禁じられるようになった。
ゆとりも遊びも消えてしまったのである。
もちろん、私のような老人にしかわからないだろうが、娯楽には緩さが大切なのだ。余裕があるからこそ、気楽さが漂い、そこにしかないしみじみと味わえるのんびりした楽しみがある。
どうも昨今のスポーツ万能時代には、それが通じないようである。
大相撲の人気に陰りが出た頃、外国人力士の活躍が始まる。
大きくてパワーのあるハワイ出身の高見山、曙、武蔵丸、小錦が横綱、大関などになって、人気回復に大いに寄与した。
その後、モンゴル勢が相撲界を席巻する。朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜によって、モンゴル力士が横綱を独占してしまう。ロシアから肥留都、ブルガリアから琴欧州、ジョージアから栃ノ心、その他、ブラジル、中国と外国人力士が誕生し、大活躍するようになった。
”チョンマゲ、フンドシの国技でござい”、とはお世辞にも言えない状況になったわけ。それでいて古臭い伝統だけは守ろうとする。所詮無理であることはわかっていたのではないか。
次々に不祥事に見舞われ、協会は、公明正大のスポーツ化の転換を図った。私には、間違った方向転換にしか思えなかった。
ところが、大相撲人気は再び三度やってきた。昨年、今年と全12場所が大入り満員を記録したのである。
私は、いささか呆然としている。その理由がさっぱりわからない。
千代の富士の早逝、日馬富士の引退、貴乃花の親方失脚。この3つがなんらかの変化へのシグナルになるような気もする。協会は国に頼ることなく、もっと民主的な改革をする時期に来ているにではないか。オールド相撲ファンは、とても危惧している。
人気に驕ることなく、権力とは一線を画して、いろんなことを見直したらどうかと進言したい。
内閣総理大寺院賞や天皇杯を廃止するとか、親方制度、茶屋制度を見直すとか、良き古き伝統はさて置くにしても、女性を土俵に上げないなどの神がかりな因習は捨てるべきだろう。
横綱審議会のメンバーを見ても、いかにも権力ベッタリだし、理事会の運営にも不正の影が垣間見える。
興業と娯楽だとはっきり割り切って、国からの補助金や文部科学省の介入を断ち切って欲しいと思うのは、私だけではあるまい。
それにしても大相撲は摩訶不思議な存在である。もしかして、日本そのものなのかもしれない。私には、児童虐待としか思えない「来訪神(らいほうしん)」をユネスコ無形文化財に登録するくらいなら、大相撲を推挙したらいいと思う。
忘れてならないのは、ファンあっての存在だと言うことだ。国家権力や独裁者のものではないとはっきりするべきである。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。