連載

85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第34回 ヘルプ・ミー】

 齢、85。数年前からは、自ら望み、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らしているという、伝説の編集者にして、ジャーナリストの矢崎泰久さん。

 1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などがを次々と起用して旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』の編集長を30年にわたり務めた経歴の持ち主だ。また、テレビやラジオでもプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続けきた。

 矢崎氏が、歳を重ねた今、あえて一人暮らしを始めた理由やそのライフスタイル、人生観などを連載で寄稿していただき、シリーズで連載している。

 今回は、遠方に出かけるために空港へ行った時の体験談だ。最近、体調が優れないという矢崎氏。やむを得ず、空港で車椅子を手配したのだが…

 悠々自適独居生活の極意ここにあり。

 * * *

初めての車椅子体験

 12月に入ってから、遠距離の旅が続いた。体調が今ひとつだったので、何とか断ろうとしたのだが、講演の約束はなかなか断り切れない。

 四国に三日間、沖縄に五日間。八日間も東京を留守にするなんて、滅多にない。

 しかも、このところ足腰がめっきり弱って、杖を頼りに生きている始末。

 そこで、飛行機会社に頼んで、初めて車椅子のお世話になった。

 慣れないせいものあって、ハタで見るよりは大変だ。

 羽田空港では、カウンターで搭乗手続きをしてから、航空機に乗るまで、長い通路を女性に車椅子を押していただくのだが、これが難行苦行なのだ。

 いくつかの関門がある。荷物検査、身体検査のゲートでは、必ずピーピー鳴る。最近の機械は精密に出来ているらしく、小さな金属も見逃さない。車椅子はシート・ベルトと同じ安全バンドが肉体を縛っている。そのままの姿勢であちこち触られる。

 ようやく終了する頃には、トイレに行きたくなったり、タバコを一服したくなる。

「あのー、すみませんが……」

 と、美女にお願いするのだが、つい卑屈な態度になってしまう。

 つまり、搭乗口までが、いつもの何倍も長く感じる。立ち上がって歩きたくなる衝動を抑えるのが大変なのだ。

 行き交う人々からジロジロ見られるし、混んだ場所では、迷惑がられれているようで居心地が悪い。

 しかも、並んで搭乗する人々を尻目に、眞っ先に機内に案内される。以前そうしたシーンを見る旅に、ささやかな嫉妬を味わった経験があるだけに、逆の立場になると、穴があったら入りたい心持ちがする。

 丁寧に親切に、そして優しく誘導してくれる。慣れないからかもしれないが、実に照れくさい。

 もっとも、搭乗は眞っ先だが、到着すると最後の一人とり残される。私はここでようやくホッとした。

 しかし、狭い機内で一人だけ座席に残っているのも、落ち着かない。

 うっかり「ヘルプ・ミー」と甘えたばかりに、どれだけ多くの人にお世話になるのか、その重圧は体験した者でなくてはわかるまい。

 ヨタヨタしたとしても、自力で歩く方がどれほど楽かを思い知ることになった。

 車椅子時代の永六輔さんと何回か飛行機旅行をしたことがある。やっぱりアイツは大物だったんだなあと、今更ながら尊敬てしまう。堂々と見えた記憶が残っているからだろう。

 でも、視点を変えれば、老人がモタついているのもハタ迷惑だから、目を瞑って、車椅子に身を委ねる方が必然なのかも。

 調子が良い日は、足腰が痛まない。悪い日は椅子から立ち上がることも苦痛だし、たちまちコケたりする。

 外見では、私の痛みは誰にもわからないから、しばしば不審に思われたりする。かと言って、赤い十字のカードを首からぶら下げる勇気はない。中途半端老人は困ったものだ。

明日も知れない我が身と言い聞かせ

「人生100年時代」なんて、軽く言っちゃう総理大臣がいる国だから、老人の介護の道は果てしなく遠い。100才に至るまでに、どれほどの紆余曲折があるかが問題なのだ。

 照る日、曇る日、雨降る日という言葉ある。日常とは誰にとっても何が起こるかわからない。

 東日本大震災では、入れ歯を外したまま避難した老人が、その結果食事が摂れずにどれほど亡くなったか。

 落とさなくてもいい命を失った人たちの記録も残しておく必要があるように思う。

 自分は年齢よりは元気だと自負する友人は少なくないが、日頃の覚悟は怠ってはならない。明日も知れない我が身と言い聞かせて、楽天的に生きるのが人生のコツなのだ。

 就寝する時に、「ああ、いい生涯だった。思い残すことは何もない」と口に出して言ってみる。たとえ思い残していることがあっても、日々自分に区切りを付ける。

 老いたる者のそれが嗜(たしな)みではないだろうか。

「ヘルプ・ミー」なんて口にすることなくお別れしたい。

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矢崎泰久(やざきやすひさ)

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1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』最新刊に中山千夏さんとの共著『いりにこち』(琉球新報)など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

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