兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第186回 恩着せがましく介護してます】
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症を患う兄と2人暮らし。兄が発症してからかれこれ7年が経ち、その年月と共に兄の症状も進行中です。いつか在宅での介護はできなくなり兄を介護施設にお願いする日が来る…。その日が待ち遠しいような、いや、そうでもないのかもしれないとツガエさんは複雑な心中を語ります。
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寄る年波でネジがなくなる!?
先日「お豆腐がない」と思って3連パックを買ってきたら冷蔵庫に同じものがあり、我ながらびっくりしてしまいました。さらにそのあと、「仕事で使う茶封筒がなくなった」と100円ショップで購入したら、デスクにまったく同じものがすでに2つもあって大ショック。3束の茶封筒を手にして「ボケるとはこういうことなのか」と自覚したツガエでございます。
今までは、「もしかしたらあるかもしれないけど」と思って「やっぱりあったか」となるパターンでしたが、「ない」と確信して買ってきてしまうのですから明らかに今までとは違います。しっかり反省しないと4つめの茶封筒を買ってきてしまいかねません。
もっとショッキングだったのは、電子レンジの横開きの扉をあけっぱなしにしていたのをすっかり忘れて突進してしまったこと。トーストをもって下向き加減で歩きだしたら、何者かがわたくしのおでこに「ガンッ」と当たってきて、一瞬何が起こったのかわかりませんでした。角ではなく面に当たったので怪我はありませんでしたが、しばらく洗顔で触れるたびに鈍い痛みがございました。
人生で電子レンジの扉にあんな見事にクリーンヒットしたことはございません。しかもレンジの扉は開いていたのではなく、あえて開けたままにしておいたのです。「再びここを通るときに閉めればいい」と……。それなのに忘れてしまった無念……この情けなさ、わかっていただけますか?
どれも小さなことではありますが、確実に今までにないことがこの身に起こっていると感じました。今年は「ツガエ、還暦!」でございます。60年も経てばネジの1つや2つはなくなっているということでございましょう。
一方、わたくしの比ではなく頭のネジが飛びまくっている兄は健やかに暮らしております。先日は、ケアマネさまによる認知症認定調査がありました。前任のケアマネさまが去年定年したため、今のケアマネさまになって初でございます。
「お名前は?」「今日が何月何日かわかりますか?」「生年月日は?」など、いろいろ聞かれましたけれど、答えられたのは名前だけでした。ただ運動機能に問題はなく、精神的にも穏やかで、もの盗られ発言もなければ、昼夜逆転もないということで、要介護度に変化はなさそうでございます。
唯一排せつは、ときどきトイレじゃないところに用を足してしまうことを訴えましたが「全介護」か「一部介護」かでいえば、「一部介護」となり、特養に入れる条件としての「要介護3以上」はいただけそうにありません。
そうです、まだ要介護2。わたくしがブーブー言いながらも兄と暮らせているのは、まだ序の口だからでございます。食事の飲み込みが困難だったり、暴力や暴言、あるいは昼夜逆転など始まらないが限りは、要介護2が続くのかもしれません。
今日、認知症のお母さまのために実家周辺の施設を見に行ったという友人のお話を聞きました。「すごく広くてきれいで、わたくしが住みたいくらい。田舎だから安いのよ。マナミコのお兄さんもうちの田舎にくればいいんじゃない?」と冗談めかして言われまして、「いいね」と噓っぽく答えました。内心「その手もあるな」と心がグラついておりますが……。
でも施設に入って顔を合わせることが少なくなれば、兄はあっという間にわたくしの存在など忘れてしまうでしょう。今の段階でも「妹」と理解できているかどうかあやしいものです。けれども「知らない人」になってしまうのは悲しいというよりも「悔しい」。
わたくしは最後まで兄に恩を着せたいのです。ここまで頑張っているのだからせめて最後の最後に「ああ、この人に世話になったんだな」と思ってほしいのです。なのに施設に入ったらそのポジションは施設スタッフさまのものになるではないですか。「いつか施設に入れるのが夢」と言いながら、そんなことも思ってしまうなんて矛盾していますね。
でも、おかげさまで、また自分の卑しい内面が一つ言語化されました。言語化できると少し安心できるのはなぜでしょう。それを考え出すと終わらないので、今回はこの辺りでドロンさせていただきます(「消える」を意味する忍者用語を使った昭和ギャグ)。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ