高齢者に増加中の「大動脈弁狭窄症」症状と注目の最新治療法を解説
現在、60歳以上の患者数が約284万人とも推計される「大動脈弁狭窄症(だいどうみゃくべんきょうさくしょう)」。高齢化が進むにつれてその患者数はますます増加すると予測されている。
重症化すると突然死に至る可能性もある病気だが、一方で適切な治療法はすでに確立されている。さらに最近、治療に使われる人工弁に画期的な製品が開発され、国内での使用が認められた。この人工弁は「これまでの人工弁の問題をクリアできる可能性が高い」として専門家からも熱い注目を浴びている。
柔らかな大動脈弁がサンゴのように変化
東京医科歯科大学大学院の荒井裕国教授は心臓血管疾患のスペシャリストで、大動脈弁狭窄症についても豊富な治療経験をもつ。まず、大動脈弁狭窄症とはどんな病気か解説してもらった。
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「心臓は4つの部屋に分かれていて、それぞれの部屋の境目には『弁』があります。弁は血液の流れをコントロールするという非常に重要な役割を果たしています。入り口にある弁が開くと血液が心臓に流れ込み、それが閉じると同時に出口の弁が開くと次の部屋に流れていく。このように、弁が正常に開閉することで、血液が正しい方向に送られます」(荒井先生、以下「」内同)
「大動脈弁は左心室の出口にある3枚の弁です。ちょうどハンカチくらいの柔らかさのごく薄い組織で、3枚の弁がピタッと閉じると血流をせき止め、パッと開くと全身に血液が送り出されます。この動きが1分間に60~100回もくり返されています。
年齢が高くなると、この大動脈弁に石灰(カルシウムのかたまり)が付着してまるでサンゴのようにゴツゴツして硬くなります。すると、弁の動きが悪くなって十分に開かず、血液の出口が狭くなってくるのです。その狭い出口から血液を無理やり押し出そうとして、心臓に負担がかかるのが『大動脈弁狭窄症』という病気です」
大動脈弁狭窄症は加齢によって起きる疾患のひとつで、高齢化にともなって増加する傾向にある。日本での大動脈弁狭窄症の手術件数は、2014年には年間1万3260件に上り、その数は10年間で約2倍に増加している。
失神したら寿命は向こう2年
大動脈弁狭窄症は、初期の段階では自覚症状がほとんどない。症状が進んだ段階で出てくるのは、動悸や息切れ、疲れやすさといった加齢によく似た症状だ。荒井先生たちは問診で、「階段や坂道を歩くと息が切れませんか」「子供の歩くスピードについていけますか」などと尋ね、その兆候を探すという。
さらに重症化すると起きるのが失神だ。
「心臓に負担がかかり続けると、次第に心臓の筋肉に疲労がたまり、痙攣(けいれん)を起こします。登山などで疲れると、ふくらはぎの筋肉にこむら返りが起きて、ピクピク痙攣することがありますね。それと同じ状態です。心臓が痙攣すると“心臓麻痺”が起き、心臓が止まってしまいます。それで脳への血液がストップし、脳貧血を起こして失神するのです。
失神しても、最初のうちはふっと脈が戻り、再び心臓が動き始めて意識が戻ることがあります。『短時間だから大丈夫だろう』とやり過ごす人もいますが、これは大変危険で、心不全などに至るリスクが高い状態。
失神を経験してから何もしなければ寿命は向こう2年、あるかないかと思った方がいいでしょう。もちろん失神の回数に関わらず、意識が戻らないまま突然死というケースもあります」
治療のゴールド・スタンダードは手術
治療の選択肢は3つある。
軽症の場合は「薬物療法」。むくみ、高血圧、心不全の症状(息切れ・呼吸困難・動悸)などの症状を薬によって緩和させて経過を観察する。ただし大動脈弁狭窄症は薬によって完治することはないため、症状が進めばさらなる対処が必要となる。
重症の場合は「外科的治療」か「TAVI(経カテーテル大動脈弁治療)」などが選択肢となる。
「TAVI」とは、カテーテルという管の先端につけた人工弁を血管を通じて心臓まで送り、患者の大動脈弁の部分に留置する方法。開胸手術以外の方法としては、現在の主流になりつつある。
身体への負担が少ない、入院期間が短いなどさまざまなメリットはあるが、まだ普及し始めてから10年ほどと歴史が浅い。そのため、今のところは体力がない高齢者や、動脈硬化など別の疾患がある、すでに心臓手術の経験があるなど、手術リスクの高い人向けに限定されている。
現在、重度の大動脈弁狭窄症の患者に対して治療のゴールド・スタンダード(第一選択肢)は外科的治療。つまり開胸して心臓を切開し、石灰化した大動脈弁を切り取って人工弁に置き換えるというものだ。
「外科的治療は長期にわたる経験があり、手術成績がきわめて安定していることから日本では治療の第一選択肢となっています。外科的治療法では心臓を止め、その間は人工心肺を使って血液を循環させながら開胸手術を行います。心臓を切開して、まず石灰がついてボロボロになった大動脈弁を切り取って、こぼれた石灰をていねいに取り除きます。そのうえでちょうどよいサイズの“人工弁”を選び、縫い付けるというのが一連の流れです」
2つの人工弁 メリットとデメリット
外科的治療法に使われる人工弁には2つの種類がある。
1つはチタンなどの金属でできている「機械弁」。最大のメリットは20~30年と長期にわたって使えること。デメリットは、弁の開閉部に血栓ができやすいため、生涯にわたって血液をかたまりにくくする「ワーファリン」という抗凝固剤をのみ続けることだ。
「ワーファリンをのみ続けるのはとても大変です。薬をのみ忘れると血栓ができやすくなりますし、納豆が食べられない、お酒をたくさん飲めないなど生活上の制限があります。とくに高齢の方はもの忘れしやすいので服薬の管理が難しく、がんや転倒時のケガなどの治療をしたくても血が止まらないため手術ができないというリスクもあります」
そう考えると、人工弁なら第二の選択肢「生体弁」を選びたくなる。生体弁はウシの心嚢膜(しんのうまく)などでできていて、ワーファリンを服用しなくてよいのが最大のメリットだ。実際、大動脈弁の手術では2005年ごろから生体弁を選ぶ人の割合が圧倒的に高くなっている。
しかし、生体弁には「耐久性が低い」という最大の欠点がある。生体弁はもともとあった大動脈弁と同じように石灰化し、10~20年で再び大動脈弁狭窄症になる可能性が高いのだ。とくに若い人では石灰化が早く進む傾向にある。
人工弁が石灰化すれば再手術が必要となる。そのため日本では「生体弁の適応は65歳以上」とされている。高齢になれば石灰化のスピードが遅く、人工弁が劣化する前に死亡することが多いからだ。ただし、その年齢以下でもメリットとデメリットを踏まえたうえで個別に患者さんと相談の上、生体弁を使用しているケースもある。
石灰化しにくい人工弁が登場
「耐久性が低い」という最大にして唯一の問題を解決すると期待される人工弁「インスピリスRESILIA大動脈弁(以下、インスピリス)」がエドワーズライフサイエンスから発売された。形状や素材は従来のものと同じだが、ひとつ大きな違いがある。それは「石灰化しにくい」ことだ。
これまでの生体弁は「グルタールアルデヒド」という強力な殺菌剤に浸った状態で保管されていた。弁組織上のグルタールアルデヒドの一部はカルシウムと結びつきやすいという性質があり、このことが石灰化の一因となっていた。
それを防ぐために「インスピリス」は弁の部分に特殊な処理を施し、カルシウムと結合しにくくして石灰化を防止。そのうえで弁をグリセリンで処理して空気中でもしっとりした状態を保てるようにし、グルタールアルデヒドを使わずに保管できるようにした。
「耐久性が期待できるとなれば、若い人でも再手術のリスクにおびえることなく生体弁を積極的に選択できる。これで患者さんの生活の質が著しく向上しますし、長い目で見れば医療経済的にもプラスになりますし、環境への負荷を減らすことにもつながります。また、手術中に人工弁からグルタールアルデヒドを洗い流す時間が不要になるため、手術時間の短縮につながり、それだけ患者さんの負担が減るのです。
私たち医療従事者にも大きなメリットがあります。
グルタールアルデヒドは、目や皮膚に触れると失明や皮膚炎などのリスクがある劇薬です。これまでは手術中にグルタールアルデヒドが跳ねて目に入ったなどの事故報告例がありましたが、『インスピリス』を使う限りはこうした事故を防ぐことができるのです」
撮影/政川慎治 取材・文/市原淳子
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