高倉健が1本だけ主演した連続テレビドラマ『あにき』は「無口で不器用」な健さんのルーツ
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。懐かしさに駆られて観直すと、意外な発見することがあります。今月鑑賞するのは、倉本聰脚本、高倉健主演の『あにき』。唯一の連続テレビドラマ主演だという貴重な作品を、ドラマを愛するライター・大山くまおさんが解説します。
「倉本さんとやりたい」
高倉健といえば、“銀幕のスター”という印象が圧倒的に強い。生涯で200本以上の映画に出演しているが、テレビドラマへの出演は5本のみ。なかでも連続テレビドラマの主演作は、たった1本しかない。
その1本が、健さんが後々「思い入れのある作品」と語っていた77年放送の『あにき』(TBS)である。脚本は『前略おふくろ様』(75年)で大ヒットを飛ばした倉本聰、演出はTBSのエースだった井下靖央と大山勝美(大山はプロデューサー兼任)。共演は大原麗子、秋吉久美子、倍賞千恵子という女優陣に加え、健さんのパートナーといえばこの人という田中邦衛、健さんの熱烈な信奉者である小林稔侍(彼は息子に「健」と名付けている)らが脇を固めた。健さん初の連続テレビドラマ主演作にTBSがいかに力を入れていたかがよくわかる。
映画一筋だった健さんがなぜテレビドラマに主演したのか? 77年は健さんにとって大きな転機だった。デビュー以来、所属していた東映を前年に退社。東映では任侠映画の大スターとして絶大な人気を誇ったが、最大で年間18本もの映画に出演するハードワークさとルーティンワークぶりに不満を募らせたことが原因だった。
晴れて自由の身となった健さんは次々と新しいことに挑戦していく。娯楽アクション大作『君よ憤怒の河を渉れ』(76年)、撮影に3年も費やした実録大作『八甲田山』(77年)、松竹の山田洋次監督作『幸福の黄色いハンカチ』(77年)と立て続けに主演して新境地を開くことに成功。任侠映画のスターから国民的大スターへの地位を駆け上がっていく。その流れの中で連続テレビドラマに初主演したのが『あにき』だった。倉本聰から何度も手紙をもらっていた健さんが、独立後に「倉本さんとやりたい」と自ら声をかけて実現した企画である。
ホームドラマの“カッコ悪い”高倉健
物語は下町、人形町で鳶職の頭を務める神山英次(高倉)と妹のかい(大原)を中心に、下町の人々の人間模様が描かれていくというもの。これまで健さんが演じてきた任侠アウトロー路線とは真逆のホームドラマである。
半纏をピシッとまとった栄次は、第1話の登場シーンからしてカッコいい。最初はなかなか出てこないのだが、下町の大物が亡くなって慌ただしく通夜の準備が始まると車でスッとやってきて、下っ端の岩城滉一(1話で降板。ノンクレジット)を蹴り飛ばし、「声がでけえんだよ、この野郎」と低い声で叱る。「頭(かしら)」と呼ばれて仲間だけでなく下町の人々から一目置かれている栄次は、銀幕のスター・健さんのイメージを踏襲している。
ところが、ホームドラマの健さんはそこからだんだん違う面を見せはじめる。栄次は筋を通すことにこだわって義理を大事にするが、その一方で偏屈で怒りっぽく、鳶の長老(島田正吾)からは「バカ」と言われ続けている。ピンクレディーが気になったり、学歴コンプレックスで部下たちに当たり散らしたり、泥酔して誰彼かまわず絡みまくったり、そのくせ翌朝何も覚えていなくてキョトン顔をしてみたり、暗闇で秋吉久美子に「わっ」と驚かされて悲鳴をあげて逃げ出したりする。なんだかカッコ良くないのだ。それが栄次という人物に人間味とリアリティを与えている一方で、昭和の時代の男らしさがアナクロで滑稽なものとして描かれているのが興味深い。
なにより、『あにき』の健さんは決定的に女性にモテないのである。
高倉健と大原麗子の絆
『あにき』には3人の重要な女性が登場する。大原麗子が演じる栄次の年の離れた妹・かい、倍賞千恵子が演じる栄次の幼馴染で居酒屋の女将である桐子、秋吉久美子が演じる栄次の恩人の娘・恵子だ。
大原麗子演じるかいは栄次と二人暮らし。病弱で29歳になっても結婚どころか恋人のいる気配もない。草刈正雄の大ファンで、記事を切り抜いてスクラップブックを作るほど。メガネに二つ結びの姿とあいまって、いまどきのオタク女子の先駆けのよう。栄次は早くかいに嫁いでもらいたいが、かいに縁談が持ち上がったり恋人ができたりすると腹を立てたり苛立ったりする(面倒くさい男だ……)。一方、かいは兄に守られるだけの存在ではなく、逆に兄にダメ出しもするし、人情でがんじがらめの下町の人々と一線を引こうとする強い存在である。やがて、かいは兄と決別し、自分の道を歩みはじめる。
栄次とかいの兄妹の元ネタは『ロッキー』(76年)に登場するロッキーの恋人・エイドリアンとそのダメな兄・ポーリーである。『ロッキー』を観た健さんが、特にこの兄妹が気に入ったと倉本聰に話をしたところ、『あにき』のような話を逆に提案されて健さんが乗ったのが企画の発端だった。かいが恋をしてメガネからコンタクトにするのもエイドリアンと同じだし、やがて恋人になる平吉(立川光貴)がボクシングをしているのも『ロッキー』にならったものだろう。
大原麗子はデビュー直後に健さんと共演して以来、大の健さんファンを公言しており、彼女がプライベートで作っていたスクラップブックの一つ「高倉健ブック」には「大好き。そんけいしてます」などの書き込みがあった。後に脚本家の山田太一に高倉健主演のドラマを書いてほしいと頼み込み、実現した『チロルの挽歌』(92年)で健さんの妻役がオファーされると驚喜して「生涯の代表作」と自負していた。大原が孤独死した部屋のDVDプレイヤーには『チロルの挽歌』が入ったままだという。大原の死後、ひとりで彼女の墓を掃除している健さんの姿も目撃されている。二人は強い絆で結ばれていた。
下町の象徴、倍賞千恵子
倍賞千恵子演じる桐子は、いかにも下町育ちらしいサバサバした女性。かつて栄次と惹かれ合ったこともあったが、タイミングが合わずにそれぞれが結婚。栄次は妻と死別し、桐子も夫と離婚している。何でも話し合える間柄で、お互いに頼りにしているところもあったが、恋愛には至らなかった。
主演作『下町の太陽』(63年)や『男はつらいよ』シリーズ(69年~)で演じたさくら役で知られる倍賞は、下町の善良な部分の象徴のような存在である。『あにき』第1話の1週間前に封切られた『幸福の黄色いハンカチ』では、健さんと初共演して新たな高倉健像を作り出す一助となった。
『あにき』では、昭和の男らしさと同じく、消え去りつつあるものとして下町の風景が描かれている。物語の序盤で栄次たちが暮らす下町の路地の立ち退きと再開発の問題が持ち上がるが、栄次は義理によって開発側にまわることになり、下町の人々と対立する。鳶職は下町らしさ満点の職業だが、同時に再開発に従事する建築業でもあるのだ。結局、開発側の問題によって立ち退きはなくなるのだが、最終回では下町の風景はやがて消えるものだと示唆されていた。
東京の消えゆく下町を描き続けた漫画家の滝田ゆうが栄次の親友役で登場するが、桐子は彼の妹という設定である。やがて桐子は好きになった男との関係がもつれて悲劇的な結末を迎えるのだが、桐子は消えゆく下町と歩みをともにしているように見えた。
高倉健を翻弄する女・秋吉久美子
秋吉久美子演じる恵子は、非常に現代的な女性として描かれている。死んだ恩人の娘の恵子を、栄次はなんとか世話をしようとしてけっこうな金を使ったりするのだが、そのうち彼女の魅力にハマって恋に落ちてしまう。
恵子はタバコをくゆらせてアンニュイな雰囲気を漂わせたかと思えば、重い病を患って病床で涙を浮かべたり、かと思えば栄次に甘えて抱きついたり、一緒にクリスマスの夜を過ごそうと持ちかけたりする。額にキスをされた栄次は浮かれて、酒場で知らない男に向かって「人生は素晴らしい!」と叫ぶのだが(絡まれるのは声優の内海賢二)、肝心のクリスマスの夜はチェーンロックをされて部屋に入れてもらえない。実は恵子は不倫相手の大学教授に夢中で、栄次のことを金づるとしてしか見ていなかったのだ。
秋吉は70年代の若者の繊細な感性を表現する代表的な女優(「シラケ女優」と呼ばれた)として知られている。昭和の感性のままの男が現代的な若い女性に夢中になり、翻弄されていくという構図は、まったく同じクールで放映されていた山田太一脚本のドラマ『男たちの旅路』第3部と実によく似ている。こちらでは健さんと多くの作品で共演した昭和の任侠スター、鶴田浩二が、桃井かおりに夢中になることで彼が体現していた男らしさを「解体」されてしまっていた。倉本聰と山田太一が示し合わせていたのかどうかはわからないが、銀幕で躍動していた昭和の男らしさは、70年代末のテレビドラマの中で時代おくれの無用の長物として扱われはじめていた。
80年代以降、健さんは無口で不器用な男を演じ続けていくが、これは『あにき』の後半で見せた、恋人とともに自分の道を歩みはじめたかいや、自由奔放な恵子の振る舞いに対して無言で耐え続けた栄次の姿が元になっていると言える。『あにき』は名作ドラマとして広く知られている作品ではないが、たしかに国民的スター、高倉健の一つの転換期にあった記念すべき作品なのである。
文/大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。「QJWeb」などでドラマ評を執筆。『名言力 人生を変えるためのすごい言葉』(SB新書)、『野原ひろしの名言』(双葉社)など著書多数。名古屋出身の中日ドラゴンズファン。「文春野球ペナントレース」の中日ドラゴンズ監督を務める。