【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第24回 老いてますますピュアになる」
写真家でハバーリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。
飯田さんが、父亡き後に認知症を発症した母との暮らしや、親の介護をする娘の気持ちのあれこれをリアルタイムに写真とともに綴ります。
何事も始めるのに、遅いということはない
天候も風も良好なある日、シーカヤックのツーリングに出る予約を入れた。ガイドはベテランのYさん。そして、もう一人のは69歳になるという女性のK子さん。
「念願だった浮島へ漕いでいきましょう!」
浮島は私が暮らしてきた内房の鋸南町にあり、ダイナミックな地形の無人島だ。
彼女は還暦間近の学校の教員を退職する少し前からカヤックを始め、今では午前に出発し、午後遅くまで漕ぎ続けるまる1日のロングツーリングもこなしている。
「何かを始めるのに遅いということは決してないですから」
と、小柄で笑顔が素敵なk子さん。本当にもうすぐ70歳になるの?と思えるようなフットワークの軽さだ。
「きゃー楽しい~」と明るい笑顔でどんどん漕いでゆく。そんな彼女を見ていると、楽しさがこちらにも伝播する。
実は勝浦にいる時間がこのところ増え、マンションの部屋を空けていることが多い。そんな折、千葉の北から館山にカヤックで通ってきているK子さんが紹介され、私が留守であっても部屋を宿泊に使ってもらうことにしたのだった。彼女は1泊することで体を休め帰ることができ、私も部屋の換気や様子を見てもらえる。
以前ドイツを旅した時に、知り合いのアーティストの部屋をシェアしてもらい友人たちと滞在したことがあった。欧米ではそんなふうに家の主が留守の時に、部屋をシェアすることが珍しくない。かといって、全く知らない人に部屋を提供するのとは違い、安心感がある。
母、ショートステイを再開
母も最近、コロナの様子を見つつ、ショートステイを再開した。もちろんワクチン接種の案内は母にも来た。
しかし「ワクチン打たなくていいわよ。ここにいるだけで、ほとんど誰とも合わないんだし。あまり長生きもしたくないし」と母。確かに90歳にはなったが持病もなく、足腰も丈夫で杖も使っていない。でも、物忘れだけは確実に進行している。が会話の中で何か反応する感情は全く良好だ。
以前から医者にかからない医師の妻であることをモットーにしていた母は、父がいた頃に訪問に来た医師にインフルエンザの注射を初めて打ってもらい、その年は2回も風邪をひいたと嘆いていた。自己免疫を強く信じているが故に、免疫が作動している人とも言える。
そんな母の様子を見つつ、ワクチンの申し込みはもう少し後にすることにした。そんな状況ではあるが、ショートステイを再開した。
まずはテスト泊で1泊。場所は勝浦の山間部の小学校跡を改装したばかりの施設。
房総でも農村の過疎化、高齢化が進んでいる。子供の数が減り学校の維持を余儀なくされ、その使い道が課題となっている。鋸南町の保田小学校は、「道の駅保田小」として今では観光スポットになっている。勝浦の施設は、言われてみると「ああ、もと学校だったかも」というくらいすでに介護施設の趣を持っていた。駐車場の入り口に薔薇のアーチがあり初夏の光を受けて咲いている。
「あら、いい感じじゃない」と母。
「はい、飯田さん、お預かりしますね。さあ、こちらですよ」と職員のかた。
ショートステイ用の荷造り
前日には旅行用バッグに1泊分の母の荷物を準備する。
1.上履きの靴(スリッパは転倒の可能性あるので、軽い上履き=介護用に販売されていたもの)
2. 洗面、化粧道具、尿もれパッドなど(シャンプーや石鹸は施設で準備)
3.下着2枚, 靴下2枚(1泊だが、一応、汚した時のために。それぞれにマジックで名前を布に書く)
4. 寝巻き(普段の母はほぼ着替えずに寝てしまっているが、一応)
5. ウールのストール1枚(寝ている時に背中に敷いても良いし、寒い時に膝掛けにもなる)
6. 着替え1式。(脱ぎ着が楽で、色味は派手でないもの=初めての施設で他のかたがどんな人がいるかわからないので無難な色味で)
7. 常備薬、使い捨てカイロ(医師から処方された薬は今は服用していないが、頭痛薬や足がつった時の漢方など馴染みのある薬)
荷物を準備していると、母から「あれがない?ねえ…」と会話の横槍が入る。そのたびに頭が混乱するので「ちょっと今、準備してるから集中させて!」と、ついキツイ口調になってしまう。幼稚園の準備をする母親ってこんな感じなのかな?と想像する。
そして、玄関先に荷物をまとめ「ショーステイ荷物。さわらない!」と書いた紙をテープで留めた。母が中身を見て、これもあれもと追加してしまうことを阻止するためだ。
それでも母は荷物が気になり、ショートステイに行くまで落ち着けない雰囲気だ。
「ね、施設に戻るんでしょう?あ、あれ持っていかなくちゃね…」
「いや、1泊だしもう準備したからね」
「施設に戻る」もしくは「帰る」という言葉には、少しうら悲しい気分も混じっているのか?でもそれを見せまいと、「私は昔仕事していたからああいう場所でも結構やって行けるのよ」と付け加える。
やれやれ、この会話が幾度となく繰り返されることになる。
そして、母なりにふつふつと考え始めるらしく、目に入ったものをバッグに詰めなくては、と焦っている。
「もう全てちゃんと入れているから大丈夫だよ。施設に帰るのではなく、この家がママの居る場所なんだからね」と念押しをする。
ああ、私もきっとこうなるのだろうなあ、いつか。カメラバッグの中身を出したり入れたりしていたりして、と想像する。そして、どこが自分の居場所かわからなくなってしまうのだろうか?
久しぶりの一人時間
施設まで送り届けててからの私は家の片付けモードにターボをかける。母のベッド布団を乾燥機にかけ、シーツを洗濯機で洗う。その間に母の服を夏使用に入れ変える。庭の草刈りと土の管理。自分の荷物の整理、領収書などの精算。冷蔵庫の掃除、などなど…。
ああ、やはり一人だと効率がいいなあ、とサクサク仕事を片付ける。これもお子さんのいるお母さんがきっと日々感じていることと同じか?
一仕事終えて、早々に一人ハッピーアワーと称して、久しぶりにワインを開けてグラスに注ぐ至福の瞬間よ!
もちろん母がいても、ワインを飲めないはずなのに、やっぱり気分が乗らないのだ。
あっという間の1泊ショートステイも終わり、母が送迎車で帰ってきた。
「あのね、こちらの庭から海も少し見えるんですよ~ペラペラペラ~」と明るい声が響く。
「はい、お帰りなさい」
「ああ、いい場所だったよ。緑が多くて環境が良かったしね。皆静かな人で、ね、夜もよく眠れたし」と母。
「全く心配なくお過ごしでした。」と施設の職員さん。
こうして、これからも毎月数日はショートステイに行ってもらう算段が整った。
夏に写真展を開催する予定
この一年、母と勝浦にいる時間が大半を占めるようになった。まだロケで海外出張もままならぬ今、どうせ房総にいるのだから、今までしたためてきたテーマで写真展を開催する計画を立てようと私は思いたった。
タイトルは「海と人と鯨と…」に決めた。
房総の和田町では今も夏のシーズンには捕鯨をし、地域での伝統食でもあるツチ鯨という種類の肉を天日で干した「くじらのタレ」というジャーキーがある。私が房総に暮らす前に取材をしており、そのフイルムも今では貴重な記録となってきた。今のうちにプリントをしておきたい。地域の次の世代に引き渡しておきたいとの気持ちだった。そして、最南端白浜 の海洋美術館でもライフワークである南太平洋の写真を、さらに長年暮らしてきた内房の岩井でも子供の夏休みの自由研究テーマになりそうなものを。母を見ているうちに、自分自身も新陳代謝をしてゆかないと、あっという間に90歳になってしまうかもしれない、と思ったのだった。この夏はきっと充実する、と思いたい。
「あら!シャボン玉が飛んできたわ~」母の言葉に庭先を見れば、お隣さんのお孫さんたちがシャボン玉を飛ばしていた。
風が強い日でシャボン玉は俊速で庭を通り過ぎてゆく。追いかけるようにして手を伸ばす母。意外と動きが速い!若い頃にテニスで慣らした身体のせいか?童がえりというけれど、老いるほどに感動する心はピュアになってゆくのは本当かもしれない。
月日の時間の流れかたも均一ではなくて、きっと風のように早く通り過ぎたり、全く停止したかのようであったりすると感じる。何を食べて、何を着て、誰と過ごして、何を話すか。どう暮らしを立ててゆくか。そんなことに翻弄されながら人生は過ぎてゆく。
この頃母は朝起きて、何を、どんな順番で着るのが今日の天候に合うか、さあ昨日はどんな1日だったか、ほぼまだらの記憶しかない。
朝には特に視点が定まらない顔をして「ああ~~~」「ああ~~~」とだけただ言ってキッチンにいたりする。
「ママ~!志村ケンが、ああ~~ああ~~っ」って言ってたのって、あれ本当なんだね~、と笑って言ってみると。
ふと真顔になり「あら…、ホントだみなぁ」と滋賀県仕込みの関西弁で言って笑うのだった。
(つづく)
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。
【写真展のお知らせ】
飯田裕子さんの写真展「海と人と鯨と」が開催中です(~9月6日まで)。詳しくはhttps://www.facebook.com/oceanhumanwhaleand/をご覧下さい。
Youtubeチャンネルhttps://youtu.be/Jra0lvVuRH8