兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第89回 薬とMRIを巡る攻防】
若年性認知症を患う兄の担当医が変更になってから初めての診察に同行した妹のツガエマナミコさん。兄の様子を診るのではなく、ほぼツガエさんとだけ会話する担当医の態度に「この先生とはうまくやっていけないかも…」と不安に。そんな診察の最中、医師から薬の量を増やす提案もあり…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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カチンカチンとくることばかり
新しい先生との初対面、「申し送りに書いてあるから」という理由でアリセプトという認知症の薬を、5mg錠から10mg錠にすることを提案されたツガエでございます。
「薬が増えるのはなんとなく嫌だ」という抵抗は一瞬にしてねじ伏せられ、処方箋を書きはじめた先生の姿を見ながら、わたくしは薬の飲み残しがいっぱいあることを思い出しました。「先生、5mg錠を2つ飲んで大丈夫でしょうか?」と訊いてみると、「いいですけど、10mg錠の方が少し安いですよ」と言われました。
わたくしが「飲み忘れがいっぱい溜まっているんです」と正直に言うと「どのくらい?」と冷たい空気が流れたので、思わず、本当は3か月分ぐらいストックがあるのに「1か月分ぐらい」と虚偽の報告をしてしまいました。
「ダメですね。せっかく薬を出しているんだからちゃんと飲んでもらわないと。かえって悪くなりますよ」とお説教されてしまいました。
「認知症の薬は大して効かない」とよく言われていることなので、飲むのは気休め程度という認識でおりましたが、もしかすると財前(仮名)先生は、医学を信じ、薬を信じ、それを操る自分を信じていらっしゃるのかもしれないと思いました。
というわけで5mg錠を1日2錠、という約束の下、お薬を処方していただいたのですが、わたくしはまだ兄に5mg錠を1錠ずつしか飲ませておりません。
確かに認知機能は低下してきて、分からないことも増えてまいりましたが、それによって不都合なのはわたくしで、本人は日々穏やかにテレビを観て、ときにはツボにはまって豪快に笑うなど、いたって好調、快食快便のようなので、これを崩したくないという思いが働いてしまうのです。薬を増やすことでお腹の調子が悪くなり、粗相をし、気分が落ち込み、それを繰り返すうちに持ち前の明るさや穏やかさを失くすのではないかと怖いのです。
財前(仮名)先生は「調子が悪くなったらすぐやめればいい」とはおっしゃらず、「しばらく続けていると症状が治まってくる人が多いと書いてあるので、すぐやめないで続けてください」などとおっしゃいました。
「でも…」と反論すれば、また倍になって返ってきそうだったので、わたくしはグッと言葉を飲み込んで次の話題を振ることにいたしました。
「前の先生は、そろそろMRIを撮りましょうかとおっしゃっていたのですが、それは申し送りには書いてなかったですか?」と訊くと「ありませんね」とあっさり。
わたくしが「5年前に撮ったきりなので春ぐらいに撮りましょうかというお話しがあったのですが…」と言うと、財前(仮名)先生は「MRIを撮っても治るわけじゃありませんし、結果がどうでも治療は変わらないんですけどね」となかなかの冷ややかさ。
「そうですか。ではMRIはやっても意味がないんですね」と言うと「ま、経過観察の意味で撮る人はいますけどね」とおっしゃり、わたくしが黙っていると「どうします?じゃ次回に予約入れておきましょうか?それでいいですか?」と売り言葉に買い言葉的な雰囲気になりました。
確かに、もう認知症は診断済みですし、新たにMRIを撮って、脳の空洞が大きくなっていることが分かっても、治療はそれによって変わるものではなく、あくまでも兄の症状の出方によるものだとは思いました。でもわたくしも引っ込みがつかなくなってしまい、「予約お願いします」と口走っておりました。
診察室に入ってからほとんどひと言も発せず、ポツンと1人、かやの外だった兄が無邪気に微笑みながら「ありがとうございました」と財前(仮名)先生に一礼して、この日の診察は幕を閉じました。
いつもより待ち時間も長く、やっと順番が回ってきたと思ったら、なんだか尖っていらっしゃる先生で、カチンカチンくることばかり。よりによってわたくしは、その日、久々の徹夜明けだったので、なおさら不機嫌で、家に着くまでずっとずっとブンむくれておりました。兄は心得たもので「触らぬ神に祟りなし」と黙って金魚のフンに徹しておりましたっけ。
というわけで、2か月後はMRI検査をしてまいります。兄には迷惑な話しかもしれませんが、5年経って脳の空洞がどうなっているのか、ちょっと知りたい気持ちもあるのです。レントゲンやCTと違い、放射線による被爆がなく、赤ちゃんでも安心して受けられるものであることだけが救いでございます。
つづく。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ