88歳で開催生ライブが大盛況!高木ブー、米寿を迎えて語る「もしドリフに入ってなかったら…」【連載 第38回】
「過ぎてしまえば、あっという間だったな」。3月8日に高木ブーさんは、米寿(88歳)の誕生日を迎えた。生まれたのは東京・巣鴨。6人きょうだいの末っ子で、両親からも兄や姉からもかわいがられて育ったという。もしウクレレと出合っていなかったら…。もしドリフに入っていなかったら…。ブーさんに人生を振り返ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)
88才になりました!
お陰さまで、3月8日に88歳になりました。88年って聞くと長いなと思うけど、過ぎてしまえばあっという間だったな。黒柳徹子さんや草笛光子さんやジャズの渡辺貞夫さんも同い年。みなさん元気で活躍なさってるから、僕も負けないようにがんばらなきゃ。
僕が生まれたのは、東京の巣鴨駅から、山手線の線路沿いにちょっと大塚のほうにいったあたり。親父は「金門商会」っていう水道メーターやガスメーターを作る会社に勤めていて、家はその敷地内にある社宅だった。近くには立派な松の木と、鯉が泳ぐ池があったのを覚えてる。
本名は「友之助」で、親としては友達に恵まれるとか、友達を大事にするといった意味を込めて付けてくれたらしい。そこは親の期待に、ある程度は応えられたかな。でも正直、響きが古臭い感じがして好きじゃなかったから、大学を卒業してプロのミュージシャンになったときに、自分で「智之」って芸名を付けた。だから僕には名前が3つある。「ブー」の時期が圧倒的に長いけどね。
6人きょうだいの末っ子で、姉がふたりと兄が3人。すぐ上の三男とも8歳離れてたから、きょうだいとは一緒に遊ぶっていう感じじゃなかった。かわいがってはくれたけどね。それより、両親に相手してもらっているほうが多かった。歳をとってからの子どもだったから、今思うとけっこう甘やかされてたかな。
子どものころから「高木ブー」っぽかったかも
子どものころから運動は苦手で、わんぱくとはほど遠いタイプだった。先頭に立つんじゃなくて、いつも後ろのほうから付いて歩いてたな。たとえば木登りにしたって、友達と同じようにできなくても「まあいいや」とすぐあきらめちゃう。そういうのって何となく「高木ブー」っぽいかも。「三つ子の魂百まで」とは、よく言ったもんだよね。
「人生に『もし』はない」って言うけど、88歳を迎えた記念ということで、ためしに想像してみようかな。
まずは「もしウクレレに出合ってなかったら」。そしたら、音楽の道には進んでない。大学を出たときに、親父のツテで「東京ガス」に就職が決まってたんだよね。「ミュージシャンになる」って言って断っちゃったけど。
音楽をやってなかったら、きっと普通にサラリーマンになってた。自分で言うのもヘンだけど、出世とは無縁だっただろうな。妻の喜代子さんと出会うこともなかったと思うし、ということは、娘のかおるや孫のコタロウとも会えていないことになる。それは嫌だなあ。ウクレレと出合って音楽の道に進んでよかった。
次は「もしドリフに入ってなかったら」。ミュージシャンになって、いろんなバンドのメンバーになったり自分でバンドを結成したりしているうちに、(いかりや)長さんが「ドリフに来ないか」って声をかけてくれた。自分では迷ってて、最後は喜代子さんが「新しいことに挑戦してみたら」と背中を押してくれたんだけど、断ってた可能性もある。
そしたら『8時だョ!全員集合』にも出てないわけだから、今みたいに多くの人が僕の顔を知ってくれていることにはなってない。ただ、ドリフに入った当時は、ジャズ喫茶やバンドの演奏が入る店がたくさんあったから、バンドマンは引っ張りだこだった。断ってたとしても、しばらくは食うには困らなかったんじゃないかな。
でも、1970年代の半ばごろから、あらゆる店にカラオケが広まって、バンドマンの仕事が一気に減っちゃった。そんな状況で、石にかじりついてもプロのミュージシャンを続けるなんてことは、僕にはできそうにない。音楽は趣味で楽しむぐらいにして、たぶん別の仕事をしてたと思う。
ドリフに入ったおかげで、たくさんの貴重な経験ができた。入ってなかったら、雷様のキャラクターも生まれてない。それに「ザ・ドリフターズの高木ブー」だから、この歳でもステージに立てるし、たくさんの人が聞いてくれる。ミュージシャンとしての努力はそれなりにしてきたつもりだけど、それはまあ当たり前だもんね。
つくづく思うのは、誰しも同じなんだけど、無数の偶然が重なって今の自分があるんだなってこと。僕はたくさんの幸運に恵まれて、たくさんの人に助けられて、たくさんの人に応援してもらってる。本当にありがたいと思う。「高木ブー」として少しでも長く元気に活動することが、僕にできる恩返しなのかな。あれ、なんか柄にもない話をしちゃった。
「米寿を迎えて、“もし、〇〇だったら…”なんて、いろいろ考えちゃったけど、お陰さまで幸せな毎日を送っています。これからも元気でお仕事がんばりますのでよろしくお願いします」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」( イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊は「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。