兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第73回 62歳で運転免許返納しました」
62歳の兄は若年性認知症。長く勤めた会社も病気のため退職し、1日のほとんどを家で過ごしている。妹のツガエマナミコさんの仕事はライター。仕事は家ですることが多く、自ずと2人は一つ屋根の下、長時間共に過ごす日々を送ることになる。兄はこのところ症状が進んできている様子で、予期せぬ行動に困惑するツガエさんなのだが…
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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「兄は確かに運転できていました」という証
毎日キッチンからテレビを観る兄の背中を見ておりますと、常にCMの音楽に身をゆだねているのがわかります。早いビートには縦ノリに、ゆったりしたメロディにはゆらゆら横揺れ。めぼしい音がないと、わたくしのリズミカルな千切りの音や野菜を炒めるジャージャー音にも首を振ってリズムを取るので「嫌だわ」と思い、わざと不規則なリズムを刻もうと心掛けたりしてしまいます。そんな兄を見ながらふと、「これ何かに似てるな」と思って、記憶をたどてみましたところ「フラワーロック」が浮かびました。サングラスやギターを持ったカラフルなフラワーが音に反応してクネクネ動く昭和のオモチャ。最近もバージョンアップして売られているようですが、音がすると自動的に反応してしまう感じがまさに兄。というわけで密かに兄を「ロック君」と名付けたツガエでございます。
先日、そのロック君が62歳のお誕生日を前に、運転免許証を返納いたしました。
思えば、原付バイクに始まり、四輪車の運転も好きな兄でした。家族で唯一運転ができたので(亡き父もわたくしもペーパードライバー)、冠婚葬祭の折には、家族で兄の車に乗せてもらうことが多々ありました。
運転が好きで、得意だったはずですが、次第に道を覚えられないと自覚したのか、ほとんど乗らなくなり、そうこうしているうちに認知症が発覚したのが4年半前。その後、母が亡くなったことをきっかけに車は処分してもらい、それきり運転していません。
そして今年免許の更新時期がやってきたのです。
わたくしが兄の健康保険証と共に保管していたそれには、昭和50年から更新を重ねてきた記録があり、最新の更新は平成27年、「優良」の文字もあります。しかしもう運転に必要な知力も判断力もないですから更新は無理な病状です。
このまま失効になってもいいとも思ったのですが、せめて「彼は確かに運転ができていました」という事実を残したくて、わたくしの独断と偏見で「返納&運転経歴証明書の同時交付申請」をすることにいたしました。兄にも一応説明しましたが、理解してくれたような手ごたえはございません。わたくしの思いとは裏腹に“暖簾に腕押し”でございました。
兄を連れて向かったのは管轄の警察署です。ちなみに免許が失効したあとでも5年間は経歴証明書の交付申請はできるのですが、その場合は警察署ではなく、運転免許センターまで足を運ばなければならないようです。
必要なものは、運転免許証と証明写真と収入印紙代1100円。あとは警察署にある申請用紙に住所や名前を記入して一緒に提出したら手続きは終わり。あとは3週間後に取りに行くシステムでございます。でもこのとき、物言わぬ兄の代わりにしゃしゃり出るわたくしに窓口の署員さんが「奥さん、一応何か身分を証明できるものを…」とおっしゃったのです。久しぶりに聞いた大間違いの呼称でございます。
「妹です」とここまで出かけましたが、苗字も住所も同じ自分の免許証を提示しながら、「どうでもいいか」と気づいて萎えました。そのあと追い打ちをかけるように「奥さんが代理で取りに来ていただいてもいいですよ」と言われたので、「そうですか。わかりました」と苦虫をかみつぶす気持ちで答えました。もとより窓口の方にしてみればどちらでもいいこと。「妹です」「ああ、失礼しました」という無益な会話が増えるだけなので、無抵抗のまま帰ってまいりました。
3週間後、代理で取りに行くとまた「ここに奥さんのお名前を~」と言われたので無言で署名し、受け取ってまいりました。穴を空けられて無効になった「優良」の運転免許証とこの運転経歴証明書は、兄がかつて健常者だった証。ともするとそれすら忘れてしまいそうになるので、ときどき眺めて思い出さなくては…と思っております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ