85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第18回 ラブレター】
大切なのは思い出なのか、ラブレターなのか。どちらにせよ、私は彼女を傷つけてしまったに違いない。ここで慰めたりしたら、更に傷つけてしまうかもしれないし、どうしたものかと、思案の沈黙と相なった。いっそ、こちらも泣いてしまうか。
老人男女が向き合って泣く。ハタから見たら、いかなる光景であろうか。と、客観視してみたが、むろん解決にはならぬ。
年輪は刻んでいるにせよ、かつては大層な美貌の持ち主だったに違いない。それなのに記憶の片隅にも存在していないのは何故だろうか。
5年前、私はあるパーティーの席上で、いきなり一人の女性から平手打ちにされたことがある。
「お久しぶり」と、近づいて来た年配の女性に、私は呆然(ぼうぜん)として、「どなたでしたか」と、尋ねてひっぱたかれたのである。音が大きかったこともあって、周囲の人々から好奇な目で注視された。
立ち去った女性を追いかける気はなかったし、その時は多分人違いされたのだろうと、気にもならなかった。遇発的な災難と受け止めたのである。
だが、今回のラブレター事件が起き、もしや私も認知症ではと、我が身を疑うことになった。
そこで決心した。ラブレターを読めば、何かしら記憶が蘇(よみがえ)るのではあるまいか、と。
残念ながら、何も蘇らなかったが、自分が書いたラブレターが、実に名文で素晴らしいものだと感動してしまった。
「ありがとう。良いものを見せてくれて、心から感謝します」
「あゝ嬉しい。わかって下さったのね」
先方は覚えていても、こちらは忘れている。
そんなことがあっても不思議ではないと、私は自分に言い聞かせた。邂逅は満足のゆくものではなかっただろうが、それぞれが一応の納得をして別れた。縁あって男女が交際したという事実は、時として幻かもしれないのだ。
私は生涯を不実な人間として終わるに相違ない。望んで長命でいるわけではないが、不可解もまた人生と思えば、明日も生きる勇気が湧いてくる。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。