連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第19回 モノ盗られ妄想」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。

 父亡き後、認知症の症状が出た母。同居も試みたが、結局母の希望もあり、近くの介護施設に入居。しかし、新型コロナウイルス感染拡大とときを同じくして体調を崩した母は、退所することになった。その後、ようやく新たな施設が見つかり、ふたたび入所したが…。

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 * * *

川場村で久しぶりの撮影

 母が館山の施設に入居し、少し落ち着いてきたので、わたしも撮影の仕事を少しずつ再開した。

 もちろん、海外渡航への予定は当分なく、国内ですら移動手段を選ばなくてはならない。わたしが感染することは避けなければならない。

 群馬県の川場村へ、久しぶりに撮影に行ってきた。

 川場村は、夏と秋の狭間の里山には清冽な水を感じるいい風が吹いていた。稲穂が色づき、林檎も実り、枝を揺らしている。もう30年近く、東京の世田谷区と縁組み協定を結び村づくりを進めているこの村の撮影に関わっているので、訪れると必ず顔を合わせる人もいる。世田谷区立小学校の子供も村を必ず訪れている。

 村立唯一の小学校では、10年間、総合学習で写真を教えていた。その授業がきっかけで写真に目覚めた女の子はもう二十歳になった。今も、果樹園での仕事の傍ら写真作品を撮り続けているという。その彼女と一緒に撮影したり、写真談義をしたり…。日々の母との営みで忘れていた自分を取り戻していく感覚があった。

 林檎とブルーベリーの果樹園の片隅にある古い土蔵を改装したギャラリーで写真展を開催したり、川場村はわたしにとってまさに日本の田園原風景のふるさとだ。

 長年仕事を共にしてきた仲間と会えば、やはり話題は親のことだった。

「おっかさんも川場に連れて来りゃいいんさ。うちん親父も家で一人にしとくときゃ、危ないから家の外からガス止めるんさね。デイサービスなんぞ、最初は行くの嫌がってたのに、今じゃ毎日電話して、今日はないんかい~?って(笑い)」。

 群馬の空っ風気質でそう言われると介護の話も全く湿っぽく聞こえない。みんな高齢の家族を抱えながら仕事をしているのだ。

 こんな会話を交わすだけで、「自分だけではない」という安心感と「お互いがんばんべえ」と連帯感が生まれるのだった。温泉にも浸かり、神経の疲れが解けた。温泉は火山列島、日本の宝だとつくづつ思う。

 2泊3日の撮影を終え、再び関越道を房総へと走る。ほんの数年前までこうしてロケに出ている間、父と母に愛犬を預けていたので、帰りは必ず船橋の実家へ向かっていたことを思い出した。

 そうして当たり前のように仕事をしてきたつもりだったけれど、ずっと両親に助けてもらっていたことを思い返しながら帰路に着いた。

母の施設からの知らせ

 突然、電話が鳴った。

 母の施設からだった。サービスエリアに車を停め、コールバックすると

「実はお母様のことでご相談があります。このところ、毎日事務所へいらして、泥棒が毎日部屋の中に入りモノをとっていくとおっしゃるんです。今はまだ他の入所者の方に言ってないようなのですが、そんなお話を他の方にされるとトラブルになりかねないので…」とのこと。

 確かに、この間わたし行った時も母はそんな事を言っていた。「レース編みで作ったコースターが無くなる、誰かが食事の間に部屋に入って盗って行ったみたい」と。

 でも実際は、母の手提げ袋の中からコースターは出てきたのだ。施設の方には「泥棒はあり得ないですよね。そう母に言って聞かせてください」とお願いをした。

 自分の持ち物を自己管理できなくなったり、片づけた場所を忘れて、それを誰かに盗まれたという話にしてしまうというのは、認知症を患う人には珍しくないという。

 わたしの家でも、母は自分の大切なものを保管しようという気持ちなのか、袋物の中にまた袋を入れ、さらにタオルや布で丁寧にモノを巻いてしまっていた。なので、母が探しモノを始めたら、まずいくつかある袋の中を探したものだ。布物の中に、さらに入れ子になっているのでまさに「発掘」だ。

 母と暮らしていたときは、そんな発掘時間に翻弄され、あっという間に1日が過ぎ、自分の時間がどんどん奪われていくような焦りを感じていたものだ。

 川場村から帰宅した翌日、施設を訪れ、施設長さんと看護師さんと面談した。

「これ以上認知症が進まないようにお薬を飲まれた方が良いのではないでしょうか」

 そういう提案だった。わたしはその判断にお任せすると伝えた。

 母とも少し面談する時間がもらえ、明日にでも看護師さん付き添いで施設内の病院で受診し、お薬を処方されると伝えた。

「ねえ、ここは毎日部屋に泥棒が入るし、出たいの!きっと勝浦で一人で暮らせると思う。だから勝浦へ帰りたいと思うの」と母。

「え!この前もう勝浦は最後にして売却をすると同意したんじゃないの?それに勝浦の家で一人では夜が怖いと言ってたじゃない」とわたし。

 ようやく部屋が空いて入所できた施設だ。できれば来春まででも頑張っていてくれたら…。わたしは母の言葉に困惑した。

 懇願する母の表情を見ていると、「施設は大丈夫」と言っていたものの、内心は不安で仕方がないのだとわかる。そんな母の気持ちを想像すると胸が痛んだ。

「お薬を飲まれると気持ちも落ち着きますから大丈夫ですよ」

 そう言う施設の方の言葉を信じ、わたしは自宅へ戻った。

認知症の薬の副作用

 そして1週間の後、再び施設に向かった。

 面会室にやってきた母の表情はどこか虚ろで、覇気がない。老いてもまだ好奇心を隠せない、いつもの眼とも違っている。肩を落として強張ったような歩き方をしているようにも見える。

 それが気になり、先日処方された薬の処方箋を見せてもらい、帰宅後インターネットで調べると、それは一般的な認知症の薬のようだ。しかし、副作用として列挙されている症状を見て唖然とした。

「心筋梗塞、心不全に始まり、歩行不全、脳性発作、肝機能障害、呼吸困難、俳諧、酩酊…」などなど、多くの老人が抱えがちな病気や、認知症の症状自体が記載されているではないか。

 母は物忘れや被害妄想は多少あれ、身体に限っては至って健康である。健康な人に病気になるかもしれない薬を飲ませてまで施設に適応させるしかないのだろうか?

 胸の中に、なんとも気持ちの悪い、言いようのない感情が溢れてくる。

 自分が直面している状況と薬の副作用への疑問を、息子さんが介護施設でヘルパーをしている友人に思い切ってLINEで尋ねてみた。

 すると「(母の服用する薬は)一般的な認知症のお薬で、通常、服用量は少しずつ増やしていくみたいです。ご家族からの依頼で飲ませる方もいるようです」との返事。

「今の日本の施設では入所者さんと介護者さんの様々な事情でやはりお薬に頼ることが現実的な場合もありますから」と、知人の医師も言う。

 ふたたび、わたしは自問自答の夜を過ごすこととなった。

同居すべきか…逡巡する心

 ようやく手放すと決めたはずの勝浦の家で、愛犬もいなく、母とわたしの二人暮らしをシミュレーションしてみた。

 母はわたしが見ていない時に、勝手にモノを色々移動してはそれすら忘れてしまう。たわいもない内容だが、1日に何度も繰り返される会話。難聴の母に、怒鳴っている訳ではなくとも大声で話し、その度に気持ちが荒れていくような感覚。

 でも、ネガティブな事だけではない、春の海辺でワカメを拾い、嬉しそうにしてる母。庭先に咲いた花を花瓶に活けて喜ぶ母の表情なども脳裏に浮かぶ。

 母と暮らすことで起こる自分にとっての不快な部分を一軒家で部屋が分かれているというメリットを生かしてなんとかできないだろうか?

 しかし、ようやく売却用に片づけたばかりの家にまた舞い戻るのか?

 考えが行き来しつつ、でも、気が付くと勝浦で母となんとか同居する方法へと気持ちが向いていく自分がいた。

 友人に「飯田さんは優しいから」と言われても、実はやるべき本来の仕事から「介護」やコロナを言い訳に逃げているのでは?とも自答する。

 とはいえ、まずは母の事が安心できなければ、自分の仕事へ向かうことすら難しい。

 ひと足先に介護を体験してきた友人は

「お母様のこと、気になるでしょう?自分の親ながらこんな老人は手に負えない!と思ったり、でもやはり自分を責めたり…。わたしも板挟みで葛藤したわよ。揺れるわよねえ」と言ってくれる。

 考えがまとまらない日々の中で、館山の海でベテランの方のヨットに乗船させていただく機会を得た。青い海と空に白い帆を張り進む。久々の海の上は人間の俗世間から隔離された、どこか潔さがあった。

 風がある時もない時も、強風の時も時化の時も、小さな帆の張り方やヨットの操舵でなんとか工夫をして船を進める。自然相手のヨットというスポーツは、いつもいい時ばかりではない。海を変えることも風を変えることもできないけれど、人が柔軟に、そして迅速に判断して操縦しなければ命にも関わる。

 こうしているうちにも母には薬が投与され続けている。

 ヨットの帰り道、勝浦で以前お世話になっていたベテランのケアマネさんの顔が浮かんだ。

 久々に電話を入れると、

「飯田さん、ご自分にとっても、お母様にとっても後悔のないようにするのが一番ですよ。わたしの体験ですが、あとで悔やまれる方を沢山見てきましたので…」

 言うは易し行うのは難し。

 さあ、もう何度も行き来し、ジタバタし続けるのはやめよう。深いため息をついてから、背筋を伸ばした。

(つづく)

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

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