ピック病の父をワンオペ介護する娘に学ぶ認知症との付き合い方
家中が血の海となり、父の額が骨になっていたホラーのような「おでこが骨」事件。女友達からの電話がきっかけとなった「父が脱走」事件。途方に暮れてしまうような数々の事件を経た今も、田中さんと父は現在も自宅で2人暮らしを続けている。
そんな2人の生活で、重要な役割を果たしているのが「小規模多機能型居宅介護」(以下、小規模多機能型※)だ。小規模多機能型とは、小さな規模で多くの機能を持つという意味で、年を重ねても、自宅で過ごすことの支援のため、さまざまな種類のサービスをそこ1か所で行う介護サービスのこと。「デイサービス」「宿泊」、利用者の自宅への「訪問」での生活支援や見守り、看護師のいるタイプの小規模多機能型は、「訪問介護ステーション」の機能もある。
「『おでこが骨』事件のとき、大けがをした直後なのに病院から『命の危険がないから入院はできない』と言われました。認知症だし、本人は痛みを感じていないらしいので、うろうろ歩き回り、転びでもしたらと恐ろしくて。ようやく高齢者を受け入れる入院先を見つけたものの、数日で退院勧告され困っていたときに、病院の社会福祉士とケアマネさんの両方に勧められたのが、看護師さんの常駐する『看護小規模多機能型居宅介護』でした」
小規模多機能型の事業所のサービスは、融通が利く。デイサービス的な利用や生活支援、空いていれば直近の宿泊やしばらく滞在することもOK。田中さんが契約した「看護小規模多機能」は、看護師が常駐し、医師の指示のもと、消毒その他、簡単なケアはしてくれるので、手術入院の前後1か月ほど、宿泊させてもらっていた。
家に戻ってからは、試行錯誤の結果、現在は朝10時半に通所のお迎え、事業所で入浴と昼食、夕食用のお弁当を同行者とともに買いに行き、13時半に帰宅というルーティンに落ち着いた。できれば夕方まで事業所で過ごしてもらいたいが、ピック病の特徴である「時計的行動」のためか、買い物が終わると「帰る時間だ」と玄関に向かってしまうため、13時半に帰宅することになったという。田中さんが午後から仕事に出る場合は、前日までの電話で午後からの通所に変えたり、見守りに来てもらったり。利用者の状態に応じて、そういったイレギュラー対応ができる点も、小規模多機能型のメリットのひとつだ。
「小規模多機能型のサービスは柔軟に対応してくれるので、ワンオペ(介護を)している私には、とてもありがたい。その代わり、事業所側の都合で時間変更やお休みを頼まれることもあります。そういう細かいコミュニケーションを取って、融通を利かせ合うことが必要だけど、その家の状況により、オーダーメイド的な使い方のできるサービスだと思います」
※小規模多機能型居宅介護には、通常の「小規模多機能型居宅介護」と、看護師が常駐する「看護小規模多機能型居宅介護」の2種類がある。田中さんが利用しているのは「看護小規模多機能型居宅介護」。この記事では、2つを含めて「小規模多機能型」を略称とした。
「自分が気楽」な道を選ぶ
自宅では、「できることはできるだけ本人がやる」が田中さんの方針だ。例えば朝食時、父は自分で食器を出し、電気ロースターで魚を焼き、残ったお惣菜のパックに輪ゴムをかけ、冷蔵庫にしまう。父の衣類の洗濯は、田中さんが洗濯機を回す。洗い終わったら父が洗濯物を室内に干し、片付ける。
「火事が怖いので火を使うのとお風呂を焚くのは禁止。というか、入院している間にそれまでできていたことは忘れてしまったようなので、今では我が家には仏壇の存在も家でお風呂に入る習慣も“なかったこと”にしています。そういうこと以外で、これまでできていたことや、私が『これは自分でやってくれたら便利だな』と思うことは、忘れずにできるようにトレーニングしました。例えば魚のロースターのセットの仕方とか、お惣菜パックをそのまましまおうとするので、『輪ゴム!』ってうるさく言うとか。
手を貸すのは簡単だけど、私自身、常に細々とした世話はしたくないし、できない。それにやらないことは、すぐに忘れてしまうんです。結局、自分でやることで記憶も保たれている感じなので、本人のため、ひいては長期的に私が楽になるために、できるだけ自活してもらおうと思っています」
こうしたやり方にはいい面も悪い面もあるし、自分のやり方が正しいわけじゃない、と田中さんは言う。
「いろんな症状や家族の状況があると思うので、私は施設に入れるのが悪いなんて、全然思っていないんです。ただうちの場合、父の状態がそこそこ落ち着いているのと、彼が施設に入りたくないという強い意志をもっていること。私も、父を無理やり施設に入れて、『出せ出せ』と電話がかかってくるのが嫌だし、父のイライラが募って施設で暴れて取り押さえられたり、認知症が進んだりしたら自分が嫌な気持ちになると思うから。結局、今の暮らしが私にとって一番気楽なんです」
解決はできないけれど、改善はできる
話を聞いていると、田中さんは壮絶な体験を乗り越えて、父との暮らしがかなりうまくいっているようだが……。
「いってると思って油断してるとまずいんです(笑)。今日は何もなくても、明日か明後日には怪我や病気をするかもしれない。緊急事態宣言で通所が激減している中、昨日だっていきなり『歯が抜けたから医者に行く』と1人で出かけようとしたんですよ。話を聞いてみたら、父の言う病院はその場所には存在していなくて、昔、車で通っていた遠くの病院を近所と勘違いしたみたい。しかも名前もわからないというし。もし、あのまま1人で出かけていたら行方不明案件ですよ。そんな面倒くさいことがしょっちゅう起こるんです。
介護に関する問題が完璧に解決する方法は、残念ながらありません。でも、介護保険やいろいろな制度を活用して、工夫して暮らせば、改善は絶対にできるんです。そうやって1日1日をしのいでいるうちに状況が変わったり、新しい方法が見つかったりして、気づけば長期的にしのげる状況になる。だから、あんまり先のことを考えすぎず、1日をしのぐために何をすればいいか考えるんです」
怒ったり、イラついたりもしながら、「今の暮らしが一番気楽」と言える田中さん。そんな日常を手に入れるまでの数々のバトルが記録された『お父さんは認知症 父と娘の事件簿』は、ユーモアと実用的な情報、勇気の出る言葉がぎゅっと詰まっている。今まさに介護真っ最中の人からちょっぴり怖いもの好きな人まで、幅広い人が一読する価値のある介護エッセイだ。
著者プロフィール
田中亜紀子(たなかあきこ)/1963年神奈川県鎌倉市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後、OLを経てライターに。体験エッセイや女性のライフスタイル、仕事についての記事を執筆。芸能人、文化人のロングインタビューや介護関係の記事も手がける。著書に『満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか』(PHP新書)、『39.9歳 お気楽シングル終焉記』(WAVE出版)がある。
紹介した書籍 『お父さんは認知症 父と娘の事件簿』(中公新書ラクレ) https://www.chuko.co.jp/laclef/2020/05/150689.html
取材・文/市原淳子