父の職場でクラスター発生!そのとき我が家は…家庭内隔離で大混乱
さて、次は母だ。電話をすると、「2階から笑い声が聞こえてきた」と、こちらも少しは落ち着いた様子。冗談めかして、「『階段から蹴落としてやる』なんて物騒なことを言っていたよー」と、念のため、軽く警告しておく。万が一の惨事を避けるため、そして母の強気な態度をやわらげてもらうためだ。
母と、翌日以降の行動について作戦を練ることにした。
まず、両親の翌日以降の動きを尋ねてみる。母は職場から自宅待機の指示を受けていた。父は明日、PCR検査を受けるために出勤することになっているそうだ(父がどこで検査を受け、結果はいつ出るのか把握していないこと、父のせいで自分が仕事に行けないことも母の不満の原因だ)。
ともかく、すぐに検査が受けられるのは何よりだ。あとは母が感染しないように注意するしかない。そこで、アルコール消毒すべき場所、入浴やタオル、トイレについて再確認。朝食も父の部屋に運ぶこと、父の朝の仕事である雨戸開け、仏壇の世話も母が代行する。ミッションが定まり、母は再び、やる気を取り戻した。
2人の話をそれぞれ聞くと、お互いのことを心配していないわけではない。積極的か消極的かは別として、家庭内隔離も今のところはできている。それでもあわやDVという状況に陥った理由は、「相手のために“やってあげている”のに、理解・感謝されない」という不満があるからではないか。
お父さんのことを心配して「あげているのに」。ご飯を「運んであげているのに」。
お母さんが言うから「部屋にいてやっているのに」。こんなところで「飯を食ってやっているのに」。
どちらにも一理あるし、仕方がない。ここは遠く離れたところにいる者(私)が、それぞれの行動を最大限に評価し、労い、もう一方に相手の気持ちを思いっきり美化して伝え、意思疎通を図るしかない。
カワバタ先生大作戦
翌日の夜、再び母に電話をした。落ち着いたかと思いきや、なぜかへこたれている。
母:「検査は受けてきたんだけど、帰ってもぜんっぜん気をつけてくれないの。気づいたら1階のトイレを使ってるし、マスク外してしゃべるし。今朝だって気づいたら雨戸が開いてるの! 仏壇のお茶も替えたみたいだし……」
忘れていた。父にとってルーティーンはこの世の何より大事なのだ。朝は雨戸を開け、仏壇の世話、新聞を読んで、食事をとり、食後には緑茶。日中はたびたびお茶を飲み、12時に昼食をとった後は昼寝。犬の散歩をし、雨戸を閉め、19時に夕食、お茶、入浴、晩酌。テレビ番組だって、決まったものを何十年も欠かさずに見ている。
母:「手袋してって言ってもダメ。そこら中をベタベタ触るから、消毒して回るだけでおかしくなりそう」
母の言いたいことはよくわかる。一度言い聞かせただけで父のルーティーンを変えられると思った私が甘かった。しかしたった24時間で音をあげていては、この先、母の精神状態がもたないだろう。早晩、母がキレ、父が逆ギレ、DVの悪夢が現実になるかもしれない。
この期に及んでも父の行動変容はまず期待できない。コチコチ頭に理解してもらうのが大変な上に、言ってもすぐに忘れてしまうからだ。柔軟性で言うなら、圧倒的に母に軍配があがる。作戦変更だ。
私:「そんなに必死に消毒しなくていいよ。要は、コロナがお母さんの体に入らなかったらいいんだから。お父さんがマスクを外してしゃべろうとしたら、お母さんが離れよう。後で電話で話せばいいから。家にいるときはお母さんが手袋をして、ひたすら手を洗おう」
父が雨戸を開けたがるなら、先に開けてしまえばいい。なんなら夜に閉めなければいいのだ。父のルーティーンには「雨戸を閉める」も入っているので、一度閉めさせた後、夜のうちにさっさと開ければいい。このご時世、在宅率が高いことはわかっているのだから泥棒が入るリスクは低いだろう。
仏壇は、父の自由にさせる。その代わり、母は洗い物を含めて一切触らない。父は毎日のルーティーンを続行したいだけであって、ホコリが溜まっても茶渋がついても特段気にしない。
手拭きタオルも、父は自由に使う。母は自分のエプロンにタオルをつけて、それを使えばいい。トイレは母が使う前にさっと掃除をする。
こうしてみると、母の負担ばかりが増えてかわいそうな気がする。しかし、毎日家中を消毒して回るより、自分が使うところだけ消毒するほうが効率がいいはずだ。父も、自分が触れたところに、ため息をつかれながらシュッシュされるよりも気分がいいだろう。
闘志の矛先を向けるべきはウイルスであって、父を敵に回すのはお門違い。母ばかりが気を使うのは不公平というしかないが。
私:「階段を上ってご飯を運ぶのは大変だけど、旅館に文豪がいるみたいと思って我慢したらどう? カワバタ(=川端康成)先生のお世話だよ」
久しぶりに、母が少し笑った。この日はあえて父に電話せず(娘の声という伝家の宝刀を出し惜しみした)、母との会話に専念した。