兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第36回 できるのか!?人間らしくあるケア】
若年性認知症を患う兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさんが、日常を綴る連載エッセイ。
知人の誘いで認知症ケア技法の講習会に参加したツガエさん。いつか兄がヨボヨボになったときに、自分にそのケアはできるのか…と、あれこれと思いを巡らせるのであります。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
「人間らしくある」技法って?
おフランス生まれの「ユマニチュード」をご存じでしょうか?
おいしそうなスイーツのように聞こえますが、じつは今、医療や介護の現場で注目されているケアの技法でございます。「人間らしくある」ことを意味するフレンチの造語のようです。
昨年あたり、わたくしも新聞で読んだ記憶があったのですが、この度学友でありライター仲間であるチョメ子(仮名)が「ユマニチュードの講演会があるんだけど一緒に行かない?」と誘ってくれましたので、のこのこ出かけてまいりました。
集まったのは、医療や介護施設の関係者と認知症の家族を持つ中高年、大学の先生や介護に興味のある人など50~60人ほどでした。
ユマニチュードは、とても平たく言うと、いわゆる認知症患者さんに気持ちよく介護を受けてもらうための介護者のテクニックでございます。とかく拒絶されたり、抵抗されたりすることが多い介護です。わたくしも母にはだいぶ手こずりました。でもユマニチュードを使えば、たちまち認知症のご老人たちが心を開いてくれるというのです。
「嘘でしょう」そう思いました。でもさまざまな介護現場での映像の終盤に、ユマニチュード考案者であるフレンチ紳士が映り、日本の介護施設でユマニチュードの実践風景がありました。表情の乏しかった老婦人がニコニコと笑顔を見せ、初めて出会ったにもかかわらず、そのフレンチ紳士の頬にキスをしたのです。魔法をかけられたかのようでした。
テクニックのベースは「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つ。すべては「あなたはとても大切な存在です」というメッセージを伝え、受け取ってもらうためにあります。
なんだか小難しくなってしまうので手短に。
テク1:できるだけ近づいて正面から水平に長く相手の瞳を見る。
テク2:声は低めのトーンでゆっくり、抑揚をつけて、前向きな語彙を使って話す。
テク3:相手の自由を奪わぬよう、触れる面積をなるべく広くし、ゆっくり触れる。
テク4:1日に合計20分間立つ時間を作る。
ほかにも具体的なケアポイントがいろいろあるようです。認知症の母を介護した経験から、これが理にかなっていることはとてもよくわかります。でも、やはり魔法をかけたようにはならないのが現実ようで、半年前からユマニチュードを取り入れているという介護施設の方に、少しお話しを伺うと「まだ何も変わりません」とおっしゃっていました。
キスやハグが日常的なおフランスのテイストが日本人向きではない点も大いにありましょう。わたくし自身、もしも母が生きていたら、これができるだろうかと考えても、自分に余裕がないとできないと思いましたし、いつか兄がヨボヨボになったら?と考えたらとてもできそうにありません。手を握ったり、至近距離で見つめ合ったり?
いや無理―!絶対無理でございます。とはいえ、その頃にはわたくしもシワシワヨボヨボでしょうから抵抗などないかもしませんが…。
でも、この講習会でひとつ胸に刺さったのは「何をもって人間なのか」という問いでした。ユマニチュードが「人間らしくある」の意味ならば、そこは大事なポイントでございます。人間から生まれた限りは、外見や内面がどうであれ人間なのでございます。動けない、しゃべれない、意識がなく、意思の疎通があろうがなかろうが、ただ血液の通った肉の塊ではないのだと、改めて考えさせられました。
でも最終的な感想は、ユマニチュードをする側にはなりたくないけれど、20~30年後にはされる側にはなりたいということ。「どうせすぐに忘れちゃうから、多少意地悪しても大丈夫」と思ってしまうわたくしに、おフランスが一石を投じてくれました。
そして、このあとわたくしは「絶対無理―!」の事件を自ら招いてしまったのでございます。
つづく…(次回は4月16日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ