コミュニケーション重視の医療介護専用SNS。キーワードは「意思決定」
「地域包括ケア」という言葉を聞いたことがあるだろうか。たとえ重度な要介護状態になっても住み慣れた地域で人生の最後まで自分らしい暮らしを続けられるようにするためのケアという考え方のことで、いま各自治体でそのシステムづくりに取り組んでいる。
地域包括ケアの実現のためには在宅医療・介護の充実が欠かせないのだが、その現場で役立つツールとして開発されたのが、完全非公開型SNSサービス「メディカルケアステーション(以下MCS)」(エンブレース株式会社)だ。今回、MCSの生みの親にしてエンブレース株式会社の創業者・伊東学氏(同社ファウンダー特別顧問)に、MCS開発の背景と発想の原点、これからの展望について話を聞いた。
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個人の意思を大切にして物事を選択する仕組みを作りたい
MCSは医療・介護専用に開発された、パソコンやスマートフォンを使ってテキストメッセージや画像ファイル、動画ファイルなどを送受信できるSNSサービスだ。
完全非公開型なのでセキュリティ性が高く、患者や利用者の個人情報を守りつつ、いつでもどこでも必要な人・情報にアクセスすることができる。無料通話アプリと同じようにチャット感覚で使えるため、電話やファクスよりも格段にコミュニケーションが図りやすいと医療介護者の間で評判を呼び、年々ユーザー数を増やしている。
昨今、スマートフォンの無料通話アプリでコミュニケーションをとることはごく当たり前と思うかもしれないが、実は、医療介護の現場ではそうではない。個人情報の取り扱いなどさまざまな理由から、今でも電話やファクスを中心に連絡を取り合っていることが多い。その中でMCSは実に画期的なツールだが、そもそもの開発のきっかけはなんだったのだろうか。
「最初から医療や介護に特化しようと考えていたわけではありません。モノやサービスを選択するときの消費者側の意思の大切さを漠然と感じる時期があり、そういう個人の意思決定みたいなことを後押しする事業をやってみたいと、勤めていた会社を辞めました。それが最終的に医療に関する事業になったきっかけは、ちょうど同じ頃、母が若くしてがんで亡くなったことです」
と、伊東氏は今から約18年前の創業時を振り返る。
いまでこそ「自己決定」「意思決定」という言葉がある程度語られるようになったが、当時の日本では一般の人が何かを選ぶとき「自分の意思で選ぶ」という意識が低かったのではないだろうか。買い物にしても就職にしても、個々人はあまり考えることもなく、社会に存在する決められたレールやパッケージを選ぶ。医療に関しては特にその傾向が強く、当時(もしかすると現在でも)、患者側は「医者はすごい、医学は難しい」という感覚で、大多数の人が治療法を自分で選択することなど考えてもいなかった。
「母が亡くなった時、私は当事者として、ある種の理不尽さを経験しました。それは母の自己決定、あるいは家族の自己決定というものが、それほど実現できていなかったという後悔でもありました」(伊東氏、以下「」同)
こうした自身の反省から、世の中にひとつの方向性を示すためにも、自分たちの意思を大切にしながら物事を選んでいける仕組みやサービスを生み出そうと考えた。
試行錯誤を繰り返し、MCSという答えにたどりつくまで
最初からIT事業にこだわっていたわけではない。「医療に関して患者が意思決定をする」という方向性を世の中に示すことができるなら、たとえばセミナーや講演活動という方法もあったかもしれない。だが、当時、そのテーマでセミナーを開いても誰も耳を傾けないだろうと考えた伊東氏はICTに目をつけた。
というのは、当時、医療の世界でIT化がまだ進んでいなかったからだ。発展途上の分野だからこそ新規参入もしやすいと思ったし、ビジネスチャンスだけにとどまらず、世の中を変えるチャンスがそこにあるという期待もあったという伊東氏。それまでIT企業に勤めていたこともあり、ICTによる仕組みを作ることにした。
「その仕組みに必要なのは、つまりコミュニケーションだという考えにたどり着きました。医療介護者と患者のコミュニケーションが活性化すれば、結果的に患者側に自己決定、意思決定という意識が芽生えてくるんじゃないかと考えたわけです」
こうしたビジョンのもと、現在ほどテクノロジーが発展していない中で、たとえば歯科の分野だけに閉じられたコミュニケーションサービス、福利厚生に特化したヘルスケアサービスなど、いろいろと試行錯誤した。
「でも、どれもうまくいかない。そこでよくよく原因を考えたところ、私自身の気持ちの問題だったことに気がつきました」
伊東氏自身、どこかで「医療の世界は敷居が高い」という感覚をぬぐいきれず、分野を絞って部分的にやろう、裏道を回ろう、という気持ちで取り組んでいたという。その気づきから今度は正攻法で、かつ規模の大きいところで勝負しようと考えた。そこで出た答えが「SNS方式による、医療介護者を巻き込んでのコミュニケーション」というスタイル、現在のMCSである。ようやく2011年になってからのことだ。
医療介護機関にさらに広めることで、よりよい意思決定ツールに
「いまインターネット上には病院検索サイトや医療系の口コミサイトは山ほどありますが、多くは医療介護者側が参加していません。使っているのは患者側だけで、そこには客観性も責任もありません」
患者や家族の自己決定を支援するという意味で、最終的には患者側と医療介護者側の双方が参加してほしいという思いはあったが、伊東氏は、順序としてまず医療介護者側が参加することにこだわった。そうでないと「信頼」が得られないからだ。そこで着目したのが在宅医療介護である。折しも世の中で地域包括ケアの推進が叫ばれはじめた頃。地域包括ケアが目的であれば、道具として医療介護者が使ってくれるのではないか。この段階で、より明確にMCSの姿が見えてきた。
「地域包括ケアに多職種連携(医師、薬剤師、訪問看護師、リハビリ職、ケアマネなど、医療介護に関わるさまざまな職種の連携)が欠かせないといいますが、いまのMCSのタイムラインに並んでいるチームが、まさに多職種連携のかたちなのではないかと思うのです。それは、ただ名前と顔を知っているだけという関係ではありません。ITによって当事者同士のコミュニケーションが円滑にできている、そこでのやりとりが記録に残り読み返すこともできる、という条件が揃った繋がりです」
利用者は現在9万人超え
もうひとつ、開発時にこだわったのは汎用性で、MCSは病院、クリニック、訪問看護ステーションなど複数の施設をまたいで活用できる設計になっている。
患者が複数の医療機関を同時に利用しているのは珍しくないし、介護においても1人の利用者に複数の施設が関わるのが普通だ。そこでは複数の施設が横断的にやりとりできる仕組みこそが役に立つ。こうして2013年に産声を上げたMCS、当初のユーザー数は50人ほどだったが、現在ではその数9万を超えるまでに広まった。
「最初にMCSを採用してくれた医師会の理事の方が『これからの医師会は地域のために、医療者や介護者をうまく誘っていく立場であるべきだ。それこそが地域包括ケアで、そこには何らかのシステムが必要。それを一緒にやろう』というような話をしてくださいました。その言葉が今でも忘れられません」
MCSがここまで成長した背景には、テクノロジーの進化やデジタル機器の普及など、さまざまな要因があるが、地域包括ケア自体が成長したことを表しているのかもしれない。1人でも多くの人が納得のいく医療介護を受けられるように、いずれは患者や家族の意思決定サポートに欠かせないツールへ。MCSがさらに成長するために、より多くの医療介護者に参加してほしいと伊東氏は話す。
汎用性が高いだけに、これからもさらに活用の幅が広がる可能性を秘めたMCS。最後にこれからの展望について聞いてみた。
「最近は“老老介護”や“介護うつ”などが社会問題化しています。老老介護に限らず、若い世代の人にとっても、子育てと介護が同時に必要になると介護者の精神的負担は大変なものです。こういうメンタル面のサポートというのは疾病の治療よりも複雑で、それこそ地域ぐるみのコミュニケーションがないと難しいのではないかと思います。そうした介護者や子育て中の親の負担やストレスを軽減するために、彼らの“声なきシグナル”をキャッチする仕掛けとしてMCSが貢献できたらいいですね」
【データ】
「メディカルケアステーション」(エンブレース株式会社)
URL:https://www.medical-care.net/html/
「MCS活用例」
URL:https://post.medicalcare-station.com/
取材・文/ノーション