【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第11回 1人暮らしの叔母」
写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。
昨年、父が他界し、その後1人暮らしになった母は認知症を発症した。家族、友人、介護、仕事…同世代が抱えるさまざまな悩みや葛藤を、美しい写真と共に本音で綴ります。
同年代で集まると親の介護がいつも話題になる
自分と同じくらいの年齢、50代後半~60代の友人が集まると、どうしても親の介護が話題になる。それぞれ、家庭の事情は違っても、同じようにため息が混じる。
ある日、友人がやっているカフェで一息入れていると、やはり同年代の友人が入ってきた。
「あら、久しぶり!1人?」
「父の施設へ行った帰りよ」
「それは大変ね~」
「近所では1人暮らしのおじいさんがいて、毎日朝から夜までヘルパーさんやらの車がひっきりなしで出入りしているのよ」
などなど、その手の話題にはキリがない。
カフェのマスターは「皆さん、介護の話はやめよう!と言いながら、結局また同じ話題に戻っていますよね~」と笑う。
苦労自慢ではないが、親の介護の話題となると、あながちそれも間違いではないようにも思う。誰もが、今は親の問題でも、やがてはやってくる自分の問題として捉えている。自ずと情報交換にも力が入るのだ。
そして、話題の締めはいつも
「でもいろいろあっても、親が生きててくれてるってだけで、ありがたいよね~」
となる。人の心理は、本当に複雑だから面白い。
豪華クルーズの旅に出て気付いたこと
少し前のこと、作家の友人が世界一周クルーズのゲストスピーカーに選ばれ、コスタリカからサンフランシスコまで1週間、豪華客船に乗ることになり、その船旅に私も同行という、夢のようなご褒美旅を体験した。
私自身は90年代初めに豪華船旅の撮影取材で何度か乗船体験があったので、今回も昼のアクティビティー用の服、そして、夜のドレスなどの準備に気を配りつつ荷造りをした。クルーズ旅は、船室のクローゼットに一度入れてしまえば何度もトランクへの詰め替え、移動をしなくていいのが良いところだ。
お金に不自由のないご老人たちは、施設に入る代わりに世界周遊クルーズで旅を続けているらしい…と耳にしたこともあったが、まさにそのクルーズの乗客にも、そういった方々と見受けられる高齢者が多かった。
しかし、今回、船に乗ってみると…、世界一周の後半に差し掛かっていたこともあり、ご老体に夜遊びはきついのだろうか思う光景を目にした。
ディナーのテーブルでワインを開けるでもなく、バーやカジノも閑散とし、船上屋外プールに至っては、きらめく光のファンタジーだけが虚しく揺れる水面を照らしているだけ……。
しかし、高齢者は、朝は目覚めは早い。デッキ上の朝のラジオ体操や、ズンバ・ダンス、そしてフィットネス・センターはいつも大盛況!と、健康意識が高く、日々体を鍛える意欲旺盛な方々だからこそ、このような船旅に参加するのだとようやく合点がいった。
昔風に船上での深酒や暴飲暴食、身体を冷やす夜のプールなどはご法度のようだった。
1人暮らし、78才の叔母
そんな客船の旅から帰国し、そんな土産話を持って、久々に鎌倉に住む叔母を訪ねた。
「裕子ちゃん、忙しいのにありがとう~」
叔母の笑顔があった。
叔母は母の従姉妹にあたり、母より10歳若く78歳、1人暮らしだ。実は3年前、突然ご主人をサイレントの癌で亡くし、まだその心の傷は癒えていない。
叔母にとっては想像を絶する辛い出来事だったのだと思う。私は、その時期にちょうど父の介護も佳境を迎えていたので、あまり力になることができなかった。しかし、時が経つにつれ、一軒家に1人で暮らしている叔母のことが気になり、不安が胸に膨らんできた。電話でも、「台風などの日には、心細さもひとしお」という話も聞いた。
そこで、さまざまな施設を含め、叔母の今後の住まい場所を探し始めた。
叔母には子供がいないこともあり、遠からずの縁者である私が身元引受人となったのだ。叔母は一人っ子だが、若い頃からクリスチャンとして教会の活動に参加したり、また趣味で習字を習ったり、多くの友人に恵まれている人だ。
私の祖母の姉妹が叔母の母で、長らく近しく付き合いを続けてきたわけではなかったが、どことなく趣味や嗜好、興味の方向性が私とも似ているので、私自身、叔母と一緒にいると心が和む。
叔母との付き合いが深まったきっかけは、私が数年前、長崎の教会に関する本を作るために1年がかりで撮影したことがあり、その時に信徒である叔母にクリスチャンに関する参考本や、行事などを聞いたことだった。
今、思えば、導線のような不思議なタイミングがこの数年で叔母との間に起きていた気がする。それを敬虔なクリスチャンであったなら「神のお導き」と解釈するかもしれない。
私にとっても、弟家族が海外在住なので、身近に叔母がいてくれることは心強く、ありがたい「感謝」という気持ちが自然と湧いてくる。
というわけで、最近は時折内房の我が家から時々、フェリーに30分乗って三浦半島に向かう。晴れた日には海の向こうに富士山を望み、東京湾フェリー乗船の時間は、小さな旅としてなかなか良いものだ。
母も今、施設へ入る心の準備を始めたが、やはり不安もあり、気持ちが揺れている。
そんな時、叔母が生前にご主人と一緒に入居希望の申し込みをしていた施設に空き部屋が出たので、見学と面談、そして健康診断に私の立会いが必要との知らせが入った。
(つづく)
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。