秋川リサ 7年に及んだ母親介護振り返り「後悔してない」
それから1年後には、要介護3と認定された。日常的な介護が必要で、いちばん悩まされたのが徘徊だ。秋川さんが振り返る。
「仕事を続けながら、長女と交代で見守っていました。でも、少しでも目を離すといなくなってしまう。警察にも何度もお世話になりました。簡単に外出できないよう玄関の鍵を二重にして、母の部屋のドアの開け閉めの音が聞こえるように、自室のドアを開けたまま寝ていました。それでもウトウトした隙に母が家から出て行ってしまうかもしれない。だから、万一に備えてすぐに探しに行けるようパジャマには着替えませんでした」
その頃、ケアマネジャーのアドバイスに従い、デイサービスに加え、ショートステイも利用するようになった。そこで秋川さんは“ある物”を目にしてしまう。
「ショートステイに行くための着替えやおむつなどを準備しようと、母の部屋のウオークインクローゼットに入ったんです。そこで見つけたのは残高がゼロになった私名義の預金通帳。腹が立つというより、もう少し早く通帳と印鑑を取り上げておけばよかったと後悔しましたね。
私自身、これから仕事が増えるのは難しい年代にさしかかっていて、まだ家のローンも残っているというのに。“え!? また一からやり直し!?”ってもう笑うしかなかったですね」
さらに家計簿だと思って覗いた大学ノートに並ぶ言葉に衝撃を受ける。
「娘なんて産まなければよかった。1人で生きているほうがよっぽどよかった。生活の面倒を見てるからってえらそうに!」といった罵詈雑言が書かれていたのだ。
高校時代からモデルとして活躍していた秋川さんは、当時から一家の大黒柱だった。家計のすべては彼女が受け持ち、母親の住みたいという街に家を建て、ふたりで海外旅行をしたり、ひとり旅の費用を工面したりもした。そんな生活を楽しんでくれていると思っていたが、その日、その信頼はもろくも崩れてしまった。
「きっと彼女は介護されるなんて想像していなかったんでしょうね。介護されてからでは遅いことがある。だから日記など読まれたくない物は早く処分しないといけない。ノートに書き殴って馬鹿野郎という気持ちを発散させるのもわからなくはないけれど、それを残してはダメよね」
秋川さんはそう言うと、寂しそうに笑った。