倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.100「配偶者を失って花開く人生」
漫画家の倉田真由美さんが夫の叶井俊太郎さん(享年56)の闘病から看取り、そして夫を失ってからの日々のことを綴ったてきたこのエッセイも100回目を迎えた。「配偶者を失った」その後の生き方について、母親の様子から感じたこととは。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新たな描きおろし漫画も収録した最新の書籍『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』も話題に。
父が亡くなった後の母のこと
私はあまり親孝行していないほうかもしれません。
元々、「何でも話し合える仲良し親子」というのではありませんでした。若い頃から問題など起きた時は、親を心配させないように黙っていることが多かったと思います。両親どちらとも仲が悪くはなかったけど私が18才で上京してからはそばにいる時間も短くなり、私が再婚してからは会わない時間が増えたこともあって少し疎遠になっていました。
そのせいというわけでもないでしょうが、3年前に父が亡くなった時も、夫の時とはまったく違って「悲しみに暮れる」ということはありませんでした。むしろ人工呼吸器につながれていた期間、意識はないのにあまりに苦しそうだったので、それが終わったことにホッとする気持ちもあったくらいです。
遺された母は、父が亡くなった後、それまで我慢してきたことを一気に始めました。習い事も体操、川柳などいくつも始め、毎日のように近所の奥さんたちとランチや旅行に出掛けています。
父は典型的な昭和の男で、定年後は「俺の飯は」「婆さんがいない間、俺はどうするんだ」と母に頼りきりの人だったので、元々社交的で行動的な母は父に縛られてやりたいことがほとんどできない状態でした。実際、母のように「配偶者がいなくなって花開く高齢女性」は多いようで、母と同じような話を他でも聞きます。
母が妹の家族と旅行へ
そんな母が、先日私の妹家族と広島旅行に行きました。
姪の運転で、福岡から広島へ。4時間ほどかかったそうですが、人数が多いので新幹線で行くよりかなり節約できます。
妹と姪から、広島での皆の様子が写真や動画で送られてきました。船に乗ったり、人力車に乗ったり、宮島で鹿を眺めたり、撮られることも嬉しそうです。
「こんなに陽気で楽しそうな母は、初めて見たかも」
私や妹が子どもの頃を思い出しても、これほど明るい母を見た記憶がありません。
私の印象に残っている母は、家事をする姿と、しばしば父と喧嘩していた姿。親の夫婦喧嘩を見るのが、子ども心にとても嫌でした。いつもではないにしろ、衝突が多い夫婦であったことは間違いなく、それは家族にとってどうしようもない現実でした。
でも母は今、こんなに人生を楽しめている。
友だちも多く、自分で自分の生活を楽しくすることができる母だけど、娘や孫と遊ぶのはまた別の喜びでしょう。
来年は母を連れて、私もどこか旅行に行こうかなと思います。
