倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.70「”最期まで家で”を叶える訪問診療のこと」
漫画家の倉田真由美さんの夫、叶井俊太郎さんはすい臓がんにより昨年2月16日に旅立った。「俺、ここで死にたい」という夫の思い、最期まで自宅で過ごすことを叶えるため、どんな準備や心構えが必要だったのか――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
訪問診療医が言った言葉
夫が自宅のベッドで息を引き取った後、家に来て夫の死亡を確認したのは訪問診療医のK先生です。
K先生が初めて夫の診療にうちに来たのは24年の2月7日。その9日後に夫は亡くなったので、ほんの短いお付き合いでしたが、痛み止めの使い方の指導などでお世話になりました。
夫が一度危篤状態になってから少し持ち直した時、K先生は私にこう言いました。
「次にまた危ない状態になったら、救急車じゃなくて僕を呼んでください」
勿論私はそのつもりでしたが、K先生は夫、そして私の意向をよく汲み取ってくれていたので確認の意味もあったと思います。
「もし救急車を呼ぶと、そのまま病院に連れて行かれてしまいます。点滴などをして、長くつらい思いをさせてしまうこともあるから」
夫はまったく延命処置を希望していませんでした。望んでいたのは、家で最期を迎えること。私も、ずっと夫のそばにいることを決めていました。そして実際、そうすることができたのはよかったと思います。もしそうじゃなければ、大きな心残りになっていたのは間違いないですから。
最期を自宅で迎えるのに必要なこと
「最期を自宅で」というのは、望んだとしても誰にでも叶うことではないのが現状です。病気の種類によって、状態によって、家族の意向や状況によって、阻まれることは多いです。実際日本人は、大多数が病院で亡くなります。いろんな条件が整って初めて家で死ぬという選択ができるのかもしれません。
訪問診療医のK先生は、心強い存在でした。うちの場合はいてくれたことで、在宅のままでも痛み止めの処方に困ることはなかったし、最期まで迷わなくてすみました。こちらの希望をしっかり分かってくれる、話を聞いてくれるかただったのが何より救いでした。
ただやっぱり、一番は家族、患者以外の誰かによるサポートです。
モルヒネ系の痛み止めは場合によっては少し意識を混濁させることもあり、夫も亡くなる数日前には話しているのに夢の中にいるような、朦朧としていたことが何度かありました。発熱している時も同様で、眠っているわけではないのに意識がはっきりしないような状態の際に独りでは、水を飲むことすら難しかったはずです。
自分の「その時」をサポートしてくれる人がいる人は、きっと幸せ者なのだと思います。