【シーズン2】兄がボケました~認知症と介護と老後と「第5回 インフルエンザ注意報」
新年最初の「兄がボケました」をお届けします。激動だった2024年のツガエ家。10年ぶりに落ち着いたお正月を過ごせるようになったライターのツガエマナミコさんが、昨年の兄との日々をを振り返りつつ、近況を綴ってくれました。
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兄のいる施設でも感染者が発生
謹賀新年
今年も無事に明けたようで、ありがたいことでございます。
思えば、2024年もいろいろありました。
昨年の元旦、まだ兄は元気に歩いていたので、朝から兄のお尿さま掃除でストレスが爆発しておりました。「おはよう」と起こせば、紙パンツから漏れたお尿さまでシーツも服もびしょびしょで、必死に脱がせてシャワーをさせて、大量の洗濯。それが毎日続いていた頃でございます。デイケアセンターも1週間お正月お休みになってしまうし、仕事にも追われ、とてもお正月気分にはなれませんでした。テレビのお祭り騒ぎに嫌気がさし、「正月なんて要らない!」と本気思ったことを思い出します。
その後は、兄が5月のショートステイ先でてんかん発作を起こして倒れ、事態は急展開!
兄はそれを境に歩けなくなり、寝たきりの要介護5に認定され、介護ヘルパーさまや訪問看護師さまが入れ代わり立ち代わり来訪してくださるようになりました。すったもんだありましたが、夏には兄が特別養護老人ホームに入居するというクライマックスを迎えたわけでございます。
父母の介護から含めると、約10年ぶりに自由を手にしたわたくし。介護があるから諦めてきたことがたくさんあって「自由になったらこれをやろう、あそこにも行こう」とキラキラした夢を見ておりました。でも、いざ自由になったら「いつでも行けるやん」となってしまって、寒いのを言い訳に「もう少しあったかくなったらでいいや」と先延ばし。なんだか思っていたほどキラキラした日々にはなっておりません。でも、それも自由になったからこそのゆとり。介護に明け暮れていた頃は、いつ何が起こるか分からないので、家事も仕事も先送りにはできなかったように思います。
年末、恒例の保険会社の方の来訪がありました。
年に一度、わたくしと兄の保険の内容確認作業でございます。簡単な事務手続きですが、本人の顔を見ることが必須なようで、この年末は兄の入居している施設に保険会社の方がお二人で来訪されることになりました。1週間前に施設に事情をお話し、もちろんわたくしも同席いたしました。
が、なんとなんと!行ってみると施設の入り口に見慣れぬ立て看板があり
「インフルエンザ流行中」の文字が!
事務の方にお話を伺うと「じつはインフルエンザに罹った方が出て、お部屋のフロアーはすべて閉鎖しています。今日は保険の方がいらっしゃるんですよね。応接室を用意していますのでそこにお兄さんをお連れします」とのことでした。
手続きは、恒例のことでしたが、兄の保険は2027年2月が満期の個人年金保険。満期後は兄の通帳に入ることにしているのに「妹さまがその手続きをなさる場合は、戸籍謄本が必要です」と言われ、「はぁ?」となってしまいました。兄のお金を兄の通帳に入れる手続きをするだけなのに戸籍謄本が必要とは……。
兄もわたくしも戸籍は九州。父母が他界したときも相続の関係で、何度も郵便で戸籍謄本を取り寄せました。「またか」という落胆と納得できない思いが顔に出てしまいました。でもルールはルール。仕方がございません。マイナンバーカードがあれば容易に入手できるのでございましょうか。
さらに残念だったのは、行きのバスの中で、わたくしがそばにいることを知らずにお二人の保険会社の方がお話していた内容。
「パッと終わらせて早く帰りたいね」
お仕事は早く終わった方がいいに決まっていますから、腹が立つことはありませんでしたけれども、わたくしのお二人への信頼度は半減し、「聞きたくなかったなぁ」と思った次第でございます。
幸いまだ兄はインフルエンザに罹っていませんが、再びはじまったこの大流行の中ではいつ罹っても不思議ではございません。兄のインフルエンザの注射は12月に入ってからだったので抗体ができているかどうか。施設スタッフの方々は、また消毒やら隔離やらで神経をすり減らしていらっしゃることでしょう。ご高齢の方ばかりですから、どなたも重症化せず、感染が最小限に収まることを祈るしかございません。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現66才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ