共同生活で世界が劇的に変わった!快適なシニアハウスでの暮らし方【元NHKアナウンサー・村田幸子さん】
元NHKアナウンサーで福祉ジャーナリストの村田幸子さん(84才)は現在、シニアハウスで楽しく暮らしている。母の看取りや移住生活などを経て、辿り着いた「終の棲家」。共同生活を通じて新しい自分の暮らし方を発見したという。自分らしく毎日をエンジョイする村田さんに、この生活を手に入れるまでの道のりと思いをうかがいました。
教えてくれた人
村田幸子さん/元NHKアナウンサー・福祉ジャーナリスト
1940年東京都出身。1963年、NHKにアナウンサーとして入局し、報道番組で活躍。1990年、NHK解説委員となり福祉問題を中心に取材。退局後も福祉ジャーナリストとして活動を行う。
シニアハウスの共同生活で世界が劇的に広がった
慣れない環境で行動も制限されて自分の世界が狭まっていく――そんな施設への入居に伴う世間のイメージと、自身の暮らしとのギャップに日々驚いていると語るのは、緑豊かなシニアハウス(※)に暮らして2年になる元NHKアナウンサーの村田幸子さん(84才)だ。
「知人から『村田さん、施設で寂しいでしょ。頑張って』なんて励まされてびっくり。世の中には施設に入ると窮屈で無味乾燥な暮らしを強いられると思っている人が多いですが、実際の生活は真逆です」(村田さん・以下同)
※シニアハウス……介護付き有料老人ホームやサ高住など、シニア世代を対象とした集合住宅やサポートを受けられる施設を指す。
老後を楽しむための引っ越し先で感じた違和感
村田さんが現在の快適な「終の住処」に辿り着くまでには長い道のりがあった。
「もともと独身で子供もいなかったから、最期をどこで過ごすかは、50代の頃からずっと考えていました。
まず始めたのは親しい友人たちと兵庫県尼崎市で各自が同じマンションの一室をそれぞれ購入し、互いに見守りながら暮らす『ともだち近居』。NHKを退局してから少し経った2008年頃のことでした」
期待に満ちた新生活だったが、実際に引っ越してみると違和感が生じた。
「荷ほどきをしながら、根っこをもぎ取られたような何ともいえない感覚に襲われました。突き詰めて考えると、私はずっと東京で育ってきたから、人生の基盤が東京にあることに気がついたんです。
それからは母が暮らす東京と兵庫を往復する生活を12年間続けました。母を看取り、兵庫のマンションを引き払い、80才近くになってから東京に戻ってひとり暮らしを始めました」
人生の下り坂で人生を見つめ直す
しかし、東京での暮らしを始めて間もなく、昔手術を受けた人工股関節の調子が悪くなったり、胃腸の調子がすぐれなかったりと次々に体に異変が起きることになる。
「当初は住み慣れた家を終の住処にしたいと思っていましたが、人生の“下り坂”を実感し、少しずつその考えが変わっていきました。年を重ねて家でひとり、生活を続けるのは想像していたよりも不安でした。たとえヘルパーや看護師が訪問してくれても、その人たちは“点”でしかなく、点がないときはひとりぼっちで天井を見上げて暮らすことになる。ああダメだ、自分は人の気配を感じる暮らしがしたいのだと痛感したんです」
ちょうどその頃、友人が入居していた現在のシニアハウスに誘われ、1年間の仮契約を経て入居した。
「いざ入ってみると世界が劇的に広がりました。入居者には主婦、銀行員、大学の先生、医療関係者などあらゆる職業の人がいて、交流のなかで知識や教養が手に入り、ひとり暮らしとはまったく違う世界を広げることができる。私のように長く外で働いていると地域に溶け込んでコミュニケーションを取るのは難しいけれど、ここでは人と人のつながりが自然に築けました。
また、施設にはカラオケや習字、ダンスなどさまざまなサークルがあって、新たな趣味を見つけられます。私が始めたのはカードゲームのブリッジ。
共同生活を通じて新しい自分の暮らし方を発見できるのが、施設暮らしの最大の魅力の一つでしょうね」
文/池田道大 取材/小山内麗香、平田淳、伏見友里 撮影/田中智久
※女性セブン2024年8月22日・29日号
https://josei7.com/
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