入浴しなくなった認知症の母が自分でシャンプーした!嬉しかった予想外の展開
遠方に一人住まいする認知症の母の介護を続けている、作家でブロガーの工藤広伸さんは、毎月、盛岡ー東京をほぼ2往復しながら生活している。
工藤さんは、遠距離介護を円滑に進めるために取り入れている工夫や心持ちを書籍やブログで公開、その実体験に基づく介護術は、すぐ役に立つと評判だ。
当サイトでも連載で、工藤さんの介護術をご紹介中。今回はお母様のシャンプーにまつわるエピソードだ。入浴をしなくなってしまった母に工藤さんはどのような対応をしているのだろうか?
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認知症の進行によって、今まで当たり前にできていたことが、急にできなくなることがあります。その人の能力が「引き算」のようにどんどん減っていくので、一番近くで見ている家族も、認知症の人と同じように戸惑い、苦しむことがよくあります。
母がお風呂に入らない2つの理由
母は何年もお風呂に入っていません。理由は2つあって、ひとつは母が風呂場での転倒を恐れているからです。難病による手足の筋肉の萎縮(いしゅく)で、日常生活でもよく転倒する母にとって、風呂場の濡れた床は特に危険です。
2つ目は、母が入浴を億劫に感じていることです。
認知症の人は、昨日お風呂に入ったことを思い出せなかったり、そもそも自分の身体は汚れていないと思っていたり、ヘルパーさんなど他人に裸を見られたくなかったりといった理由に加え、入浴そのものが億劫になるため、お風呂に入らなくなるようです。
母もこれらの理由に該当していると感じます。本人はお風呂に入った「つもり」でいて、実際はお風呂に入っていないのです。デイサービスでの入浴を勧めたこともあるのですが、うまくいかなかったので、今はムリに勧めず、そのままにしています。
母は尿便失禁が多いので、自分でシャワーを使って、下半身だけを洗い流しています。上半身はタオルで拭くこともあるので、なんとなく体はキレイに保てています。
そのついでに、髪の毛も洗って欲しいのですが、濡れタオルで拭くだけなので、いつも髪がベタついています。自分で髪を洗わないので、今は、わたしが帰省のタイミングで洗髪を手伝っているのです。
母自身に髪の毛を洗ってもらう工夫
母の洗髪は、台所の流し台の前に椅子をセットして、その上に膝で立ってもらうところからスタートします。
母にお湯の温度を確かめてもらってから、髪の毛を濡らすのですが、手で触る温度と頭で直接感じる温度が違うようで、「熱い!」と必ず文句を言います。脂ぎった髪の毛はお湯をはじき、わたしの指にはたくさんの抜け毛が絡みつきます。
1回のシャンプーでは泡立たず、最低2回はシャンプーを繰り返し、「前のほうがかゆい、てっぺんがかゆい」と口うるさい母のリクエストに応えながらの洗髪作業。
洗い終わった後は、1度タオルドライをしてから、ドライヤーで髪を乾かします。冬は特に風邪をひきやすいので、乾かし足りないことがないよう念入りに行います。
ひと通り洗髪が終わると、髪にボリュームが出て、10歳くらい若返ったように見える母。
「やっぱり髪にボリュームがあったほうが、若返るよ」
わたしが母を褒める理由は、気分が良くなれば、自分で髪を洗うようになるかもしれないと期待しているからです。
しかし、自分で髪を洗おうとはしません。最近では、わたしの介護負荷を減らすために、ヘルパーさんにも洗髪を手伝ってもらうようになりました。
シャンプーを馴染みの深い銘柄に変えてみたら
わたしは、母が認知症であっても、自分で髪の毛を洗えると思っています。ただ、シャンプーという習慣を忘れてしまっただけで、きっかけさえあれば、また自分で髪を洗うようになるだろうと。
そこで、母が昔使っていたシャンプー『メリット』を買ってきました。昔からあるシャンプーを手にすれば、何か思い出すかもしれないと考えたからです。
しかし、母がいつも使っている洗面器の中に、この『メリット』を忍ばせておいたのですが、シャンプーは全く減っていませんでした。
認知症の人の習慣を変えるのは、簡単なことではありません。
次に、母を台所に立たせて、髪の毛を洗ってみました。椅子を使うことでは、誰かに髪を洗ってもらう前提で態勢を整えているようなものかもと思ったので、立ったままにしたのですが、結局、それでも自分で髪を洗うことはしませんでした。
今度は、シャンプーで母の髪を泡立てたあと、自分の手で頭をこするようお願いしてみました。すると、母は髪を洗い出したので、わたしは洗い残しのある襟足をこする程度にしました。
少し進歩があったので、次はシャンプーとタオルだけ準備して、何もせずに母の横に黙って立ってみました。すると母が「今日は、自分で洗ってみる」と言ったのです。
まさか自分で洗うなんて言うと思っていなかったので、「あ、そ、そう。じゃぁ、お願い」とわたしの声は上ずってしまいました。
「引き算」ばかりの認知症介護だが…
ひとりで髪を洗えず、お風呂にも入らない母の姿に、わたしも最初はショックを受けました。しかし、できないことが増えていく中で、毎回同じレベルでショックを受けていたら、自分の身が持たないことに気づき、能力の引き算を自然と受け入れられるようになっていきました。
できなくなることを自然と受け入れる技術は、認知症介護をしている人なら、必ず習得するスキルのひとつだと、わたしは思います。
認知症の人が能力を失っていくプロセスを、一番近くで見なければならない家族は、日々さみしさや切なさを募らせることになりますが、忘れていた能力を思い出すこともあるのです。
認知症介護は「引き算」ばかりではありません。このような小さな「足し算」に救われることもよくあります。
今日もしれっと、しれっと。
工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士、なないろのとびら診療所(岩手県盛岡市)地域医療推進室非常勤。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/)
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