祝・米寿!「マムちゃん寄席」も大盛況、ますます意気軒高な毒蝮三太夫が語る心境|「マムちゃんの毒入り相談室」番外編
我らがマムシさんが、2024年3月31日に米寿(88歳)の誕生日を迎える。おめでとうございます!「いやいやいや、みんなが祝福してくれるのは嬉しいけど、単なる通過点だからね」とテレながらも、ますます意気軒高だ。そんなマムシさんに、米寿を迎えた心境や長く生かされている意味、そして愛妻への思いについて語ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)
「米寿は通過点。90になっても100になっても元気にやっていきたい」
このところ「もうすぐ米寿を迎えますが、どういう心境ですか?」と、よく聞かれる。長生きを祝福してくれるのは嬉しいけど、特別な感慨はないんだよね。86や87の誕生日を迎えたときと同じで、俺としては単なる通過点って感じかな。
人生100年時代って言うから、まだまだ動きを止めるわけにはいかない。90になっても100になっても、人様の助けをなるべく借りないで毎日を元気に過ごせたらいいなと願ってる。でも、ちょっと前までは集まって酒飲んでた同級生たちは、いなくなったり出てこられなくなったりで、ほとんど全滅状態だ。そういうところで年齢を感じるね。
俺はこうしてあちこちで好き勝手なことをしゃべらせてもらってるから、元気でいられるのかもしれない。その意味では、ラジオのリスナーやこの連載の読者のおかげだ。どうもありがとう。まだしばらくのあいだ付き合ってくれ。
3月13日には俺が席亭をやっている「第18回マムちゃん寄席」が開催された。立川志の輔やナイツといった人気者がたくさん集まって、満員のお客さんといっしょに俺の米寿を盛り上げてくれた。俺と玉袋筋太郎が対談するコーナーに、サプライズゲストで出てくれたのは長い付き合いの古谷敏と、ベテラン俳優の篠田三郎だ。
古谷は「ウルトラマン」ではウルトラマンのスーツアクターをやってて、「ウルトラセブン」ではウルトラ警備隊のメンバーだった。篠ちゃんは「ウルトラマンタロウ」に変身する東光太郎だ。それぞれ決めポーズをやってくれたのは嬉しかったね。俺も含めてウルトラつながりの3人が並んで、お客さんも喜んでくれた。つくづく、偉大なシリーズだよな。
ただ、この日は朝から悲しい知らせが入ってきた。舞台で俺が着ていたシャレた柄のシャツと羽織は、西新井のひらさわ呉服店の平澤建二さんが作ってくれたオリジナルの一点モンだ。平澤さんは俺よりひとつ上で、東京大空襲を経験している。その平澤さんが、お亡くなりになったという知らせだった。
平澤さんは空襲体験を後世に伝える活動にも熱心で、彼の語りを元にしたドキュメンタリー映画も作られている。あらためて、自分がこの歳まで元気に生かされていることの意味を考えさせられた。俺は9歳のときに、焼夷弾が降り注いで火の海になった街をおふくろと逃げ回ったけど、その記憶があって今も元気で話せる人はほとんどいない。
あれから79年がたつけど、世界のあちこちでは戦争が行なわれてたくさんの命が失われている。人間はなんて愚かでなんて忘れっぽいんだと思うね。だからこそ、実際に体験した俺たちが戦争の悲惨さを伝え続けていかなきゃいけない。平澤さんだって、まだまだ話したかったはずだ。先輩たちの思いを受け継いで、俺にできることをやっていくよ。
俺は太平洋戦争の空襲だけじゃなくて、じつは1954(昭和29)年3月に南太平洋のビキニ環礁で行なわれたアメリカの水爆実験のときも、いろいろ影響を受けてる。あのときは、第五福竜丸が“死の灰”を浴びて、無線長の久保山愛吉さんが犠牲になってしまった。
俺は三重県の神島っていう伊勢湾の真ん中に浮かぶ離島で、映画『潮騒』の撮影をしていた。三島由紀夫さんの原作が初めて映画化されたときで、主演は久保明さんと青山京子さん。当時、神島には水道がなくて、雨水を沸かして飲んでいた。雨水には放射能が含まれていて危険だとなったんだけど、そうすると鳥羽から船で水を運ばなきゃいけない。谷口千吉監督が「こういう状況だから、帰りたい人は帰っていい」と言ったのを覚えている。戦争はとっくに終わったのに、アメリカの核兵器に振り回されなきゃいけなかったんだ。
最初の『ゴジラ』が公開されたのは、その年の秋だった。ゴジラはアメリカの水爆実験で目覚めさせられたという設定だ。時を経て、このあいだ『ゴジラ-1.0』が、アメリカでアカデミー賞視覚効果賞を受賞した。長編アニメーション賞を受賞した『君たちはどう生きるか』だって、太平洋戦争が大きなモチーフになっている。
しかも、作品賞や監督賞など主要7部門を受賞したのが、原爆の父と呼ばれた物理学者を描いた『オッペンハイマー』だ。 これはアメリカの映画関係者が戦争や核の脅威を身近に感じている証左だと思う。一触即発、人類共通の危機に直面している今、「これからどう生きていくのか」が問われているように感じる。
あとどのぐらい、今みたいに元気でやれるかはわからない。それは自分じゃ決められないからね。考えてみたら、生まれてきたことだって自分で決めたわけじゃない。俺の場合は、俳優になったのだって、元はと言えばマッカーサーが『鐘の鳴る丘』を舞台にしたのがきっかけだった。その後の仕事も、たまたま来た話に乗っかっただけだ。
人生の中で、自分で選んだと言えるのはカミさんだけじゃないかな。おかげさまで大当たりを引いた。俺は見る目があったってことだ。自分で「この人だ」と決めて、60年以上ずっと一緒にいてくれているんだから、大事にしなきゃなと思ってる。今後の目標をひとつあげるとするなら、カミさんをもっともっと大事にするってことだな。ハハハ。
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毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)
1936年東京生まれ(品川生まれ浅草育ち)。俳優・タレント。聖徳大学客員教授。日大芸術学部映画学科卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役など、本名の「石井伊吉」で俳優としてテレビや映画で活躍。「笑点」で座布団運びをしていた1968年に、司会の立川談志の助言で現在の芸名に改名した。1969年10月からパーソナリティを務めているTBSラジオの「ミュージックプレゼント」は、現在『金曜ワイドラジオTOKYO 「えんがわ」』内で毎月最終金曜日の16時から放送中。87歳の現在も、ラジオ、テレビ、講演、大学での講義など精力的に活躍中。2021年暮れには、自らが創作してラジオでも語り続けている童話『こなくてよかったサンタクロース』が、絵本になって発売された(絵・塚本やすし、ニコモ刊)。この連載をベースにしつつ新しい相談を多数加えた最新刊『70歳からの人生相談』(文春新書)が、幅広い世代に大きな反響を呼んでいる。
YouTube「マムちゃんねる【公式】」(https://www.youtube.com/channel/UCGbaeaUO1ve8ldOXX2Ti8DQ)も、毎回多彩なゲストのとのぶっちゃけトークが大好評! 毎月1日、15日に新しい動画を配信中。
石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊は『押してはいけない 妻のスイッチ』(青春出版社)。この連載ではマムシさんの言葉を通じて、高齢者に対する大人力とは何かを探求している。
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