認知症をテーマにした読んでおきたい一冊【ヘルパーライターの読書メモ1】
週刊誌の記者として、幅広いジャンルで取材、執筆を続けている末並俊司氏は、両親の在宅介護をきっかけに介護問題と向き合うようになった。記者の仕事をしながら、介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)の資格を取得、現在も都内のホスピスケア施設でボランティア活動を行っている。
自らを「ヘルパーライター」と名乗る末並氏が、読んできた「介護関連書籍」中から、おすすめの認知症をテーマにした本を教えてもらう。
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筆者は仕事柄、介護や社会福祉関連の書籍を多く読む。少なくとも年間100冊は超えていると思う。解説書だけではない、小説やコミックスまでこの分野は実に幅が広い。現代の生活から切り離すことのできないテーマであることの証(あかし)だ。
週刊誌やウェブメディアで記事を作るにあたり、事前リサーチのためや記事内に引用する資料として、これまではとにかく読み飛ばしてきた。
しかし、それだけではあまりももったいない。この分野に興味がある人に少しでも役立てていただきたく、読んでみて面白かったりためになったりした書籍をこの場で紹介していこうと思う。
介護の歴史を語るうえで欠かせない一冊 『恍惚の人』
小説『恍惚の人』が新潮社から出版されたのは今から50年近く前、昭和47年のことだ。書店に並ぶやベストセラーとなり、「恍惚」は当時の流行語に。
文庫化され、70回以上の刷りを重ねる本作は今読んでもまったく古さを感じさせない。主人公の立花昭子が抱える問題はそのまま現在に当てはまる。
物語は、はなれに住む義母が亡くなるところから始まる。残された80代の義父・茂造に認知症(当時は『老人性痴呆』と呼ばれる)が発覚。症状は徐々に進行し、様々な困難が家族の生活を脅かす。
仕事を持つ職業婦人である昭子。介護に非協力的なサラリーマンの夫・信利。祖父の老耄(ろうもう)を見て「パパも、ママも、こんなに長生きしないでね」とつぶやく高校生の息子・敏。
展開する内容はどこまでも深刻だが、綴る筆のタッチは柔らかく、くすりとさせられる場面がいくつもある。
軽くなりすぎず、難しくなりすぎない。奇跡のバランスで物語は進行し、エンディングを迎えるころにはすっかり昭子の気持ちになりきっていた。
物語の中で夫の信利は──昭和八十年(編集部註:西暦2005年)には六十歳を超える人口が三千万人を超え、日本は超老人社会になる──との説を知り、「そうなる前になんとか死んでいたい」と思う。
現実社会は小説が指摘する通りの歴史をたどり、超高齢社会の今を迎えている。
現代人としての生き方、そして死に方を考えるうえで、是非とも手にとりたい一冊だ。
【データ】
書名:『恍惚の人』(新潮文庫)
著者:有吉佐和子
定価:724円
認知症の人たちの心が具体的にわかってくる 『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』
本書で紹介される『CANDy(Conversational Assessment of Neurocognitive Dysfunction)』は認知症の人たちとの日常会話から認知機能を評価するものだ。著者・佐藤眞一氏のグループが開発した。
形式張ったテストではなく、普段遣いの言葉で相手のプライドを傷つけることなく評価できると注目が集まっている。
また、CANDyは認知症の人たちの心を知ることにも役立つ。
例えば、上に紹介した小説『恍惚の人』の冒頭近く、認知症の茂造と主人公・昭子の次のような会話がある。
「寒くないんですか、お爺ちゃん。雪が降ってるのに」
「いや、寒くありません」
「どこへいらっしゃるところだったのですか?」
「会社のかえりですかな」
認知症が始まった茂造は“寒い・暑い”のような感覚に対する質問には何かしら答えるのに、どこに行こうとしていたのか、に質問が及ぶと答えることができず「会社のかえりですかな」と逆に質問を返すことではぐらかしている。
「取り繕い」というアルツハイマー型認知症によく見られる話し方だ。
『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』の内容を知ることで、茂造と昭子が交わした “ズレた会話”の裏にある心理を理解できるようになった。
茂造は自分がどこに向かっているのか思い出すことができないが、目の前にいる「よく知っている人」には悟られたくない。だからはぐらかした。背景には対人関係を保とうする茂造の「心」がある。
『認知症になって記憶は失われても、心は残っている』
よく聞く言葉だが、どうやら真実のようだ。
【データ】
書名:『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』(光文社新書)
著者:佐藤眞一
定価:907円
脳科学者が見た母の認知症 『脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』
著者の恩蔵絢子氏は脳科学者だ。実母が65歳でアルツハイマー型認知症と診断された。
症状が進み、記憶を失っていく母を記録するうちに、『母らしさ』とは何かについて考えるようになったと恩蔵氏は書く。
昔のことは覚えているのに最近のことは覚えることができないといった記憶の不思議。目の前にあるのに認識することができない症状など、認知症についての様々な困りごとを、母の様子を観察しながら脳科学者の目線で冷徹に説明する部分は読み応え十分だ。
しかし本書の真骨頂はときおり顔をのぞかせる娘の目線だ。
母の記憶を“ギフト”と表現するくだりは胸を打つ。
いろいろなことを忘れてしまうが、かつて母親の中にあった大切な記憶は消えてなくなってしまったわけではなく、今は娘の中にある。
──ギフトは人に他人に与えてしまえば、自分の手元には残らないものなのだ。
母の記憶についての彼女なりの考察だ。
そして恩蔵氏は、まえがきの文末に惜しげもなくこの本の「結論」を書いている。興味のある方は是非、手にとってみてほしい。
書名:『脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』(河出書房新社)
著者:恩蔵絢子
定価:1782円
末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都台東区にあるホスピスケア施設にて週に1回のボランティア活動を行っている。