兄がボケました~若年性に認知症の家族との暮らし【第208回 ツガエ、円周率を覚えます】
行動制限のない夏を迎え、イベントやレジャーの計画を立てている人も多いことでしょう。しかし、若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんは、遠出や長時間のお出かけはなかなか難しい状況が続いています。今回は、ツガエさんの日常に変化をもたらすかもしれない、とある挑戦を始めたというお話です。
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友人の話が頭に入りません
WHO(世界保健機関)によると、現在の世界の認知症患者は5500万人以上と推計されていて、2050年には1億3900万人に増加すると予想されているそうでございます。食い止めるすべはあるのでしょうか。それとも食い止める必要はないのでしょうか。世界80億人中の5500万人は1%以下。この割合は多いのでしょうか? 少ないのでしょうか?
つい先日、「認知症基本法」というものが衆議院本会議で全会一致で可決・成立した、という見出しを拝見しました。それはいったいなんですか? と読み進めていきますと、「認知症の人が自らの意思で日常生活、社会生活を営むことできるがよう、適切な保険医療サービスが切れ目なく提供され、家族などにも適切な支援を行う」などとした法案のようです。
素敵な文言が並んでおりますが、兄がこの先、自らの意思で日常生活ができ、社会生活を営むことはあるのでしょうか?
恐らく介護サービスを充実していくことが中心になるのでしょう。介護職さまの離職率の高さを解消することはできるのでしょうか? お国の偉い方々が何をしてくださるのか、お手並み拝見といったところでしょうか。「認知症に対して政府も対応していますよ」という形だけのお飾りにならないことを祈るばかりでございます。
日頃、認知症の兄のことばかり考えているせいか、友人との会話が頭に入ってこないようになりました。先日、友人のお誕生日にランチをしたのですが、彼女は「函館旅行をしてきた」とか「〇〇のライブに行ってきた」というお話を繰り広げ、写真を延々と見せてくださり、お土産をくださり、それはそれは楽しそうでございました。もう一人の友人は職場の話と「△△の□□君がカワイイ」という男性アイドルのお話をしていて、わたくしは終始「へぇ」「すごいね」「そうなんだ」を繰り返すばかりでございました。もちろん彼女たちが楽しそうなのは喜ばしいことなので、こちらも幸せな気持ちになりますし、実際その場は楽しいのですが、帰り道には何も覚えておらず「あんなに一生懸命しゃべってくれたのに…」と申し訳ない気持ちになりました。
わたくしは、誰かに話せるような楽しいお話がありません。「お兄さんはどう?」と言われると「まぁちょっとずつ進行しているけど、元気は元気」とお答えして終わりです。認知症の介護の話などしても暗くなるばかりでございますからね。わたくしも外にいる時ぐらいは兄から解放されたいので積極的に話しませんし。
還暦にもなれば、誰でもなにかしら背負っているものや抱えているものがございましょう。きっと楽しそうな彼女たちにもいろいろあるはずでございます。でも、それを言い出したらキリがないから普段は口に出して言ったりはいたしません。
わたくしも男性アイドルに夢中になれたらどんなに暮らしが華やぐだろうかと思います。
それは無理でも、何か新しいことを始めないと自分も認知症まっしぐらな気がする今日このごろでございます。
毎日同じことを繰り返す生活をしていると、脳を使わずとも一応のことができてしまうのが人間でございます。例えば、泥酔していてもなぜか家に帰って来られたりするのがその代表。ぼうっとしていても習慣で動けてしまうのは正常な能力です。でも、心理学の先生によれば、それは思考が凝り固まって新たな考えができにくくなる危険性をはらんでいるそうでございます。前例がないからダメとか、いつもこうだからこれでいいんだ、となるのはその習慣のせい。脳の活性のためには、いつもと違う事態に遭遇することが大事なようです。知らないこと、避けてきたこと、できるわけないじゃんと思うようなことをやってみると脳がグッと活性化するとのこと。できるようになることが重要なのではなく、できないからもどかしくて「なんでできないの、もう~」と悪あがきすることが大事なポイントのようですよ。
さて、何をいたしましょう。いや~でもどこか教室に通うような余裕はないですし~。そうだ!円周率小数点以下100桁覚えるチャレンジでもしてみることにいたしましょうか。日常生活にはまったく役に立ちませんが、実利がないところがかえってキモチイイ。
3.141592……う~む、今はここまで。あと94桁でございます!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ