【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第35回 師走のできごと」
慌ただしい日々の中、どうにか師走の声を聞いた頃、弟から連絡があり、岡山に引っ越しをして少し落ち着いたので東京に仕事で来るとのこと。そして、間隙(かんげき)を縫って1泊だけ勝浦に来たいとのことだった。
弟は、この夏に息子を連れて勝浦へ来る予定だったのだが、そのときに、私と母が、新型コロナに感染したために中止になっていたのだ。弟にとっては母と会うのも久しぶりになる。
母には、弟の来訪前夜に伝えることにした。あまり早く言っても忘れてしまうか、興奮しすぎるかのどちらかだからだ。
夜に到着し、翌朝に父の永代供養のお寺にお参りし、そしてまた東京へ戻るというスケジュール。夕食は久しぶりに3人で食卓を囲んだ。
「あなた名古屋に住んでるんだっけ?」
どうして名古屋という地名が出てきたのか…。不思議だったのか、その問いに、弟は苦笑いを返すだけ。
「違うよ、ママ、岡山だってば」と私が伝えると、「ああ、そうなの、岡山にいるのね」と母。
さらに、「あなた子供いたっけ?」との母の質問に、弟は再びニコニコと笑顔を絶やさずに、無言。
これがいわゆる「絶句」というものかもしれない。
「ママ、ほらイギリスにいたでしょう?3人の可愛い男の子たちが。ママの部屋に沢山写真はってあるでしょう?」と私。
「ああ、そう。そうだった。大きくなったでしょうね」と母。
しかしその数分後、「あなた子供いたっけな?」と母。
あんなに気にかけて可愛がっていた孫だったのに、普段の会話にはぼ出なくなって久しい。
翌朝、母と弟と3人でお寺に向かった。久しぶりの参拝だ。お供えに父が好きだったビールと甘栗を買って行く。お線香をあげ、お祈りをする。
「早くそちらに呼んでください」と母。
私も弟も無言で祈った。私は、ただ「感謝」と、そして「いい方向に導いてください」と祈った。
かといって、生前の父は私や弟の進路や暮らしに全く無関心であるかのように口出しもしなかった人なので、その答えは神のみぞ知る、だ。
クリスタルお位牌に彫られた父の戒名の脇には母用の空のスペースがすでにある。そこに母の戒名が彫られる日がいつになるのか知る由もない。
身支度を調えることがめんどうになってきた様子
「ああ、顔洗うのめんどくさい~」と櫛も通さない髪で家で過ごす母。
「さあ、今日はデイサービスで施設へ行く日だから身支度を調えてね」と鏡を渡し、お化粧を促す。
それでも「別にいいよなんでも」と開き直る母。
私は「施設では、皆に神田生まれだの、丸の内で仕事していたと話をしているらしいけど、その姿では、そんな話を聞いても誰も感心しないだろうなあ、きっと」と言ってみる。
すると母のプライドが ムクムクと起き出して鏡を覗き出した。確かに90歳を過ぎたらもうとんがろうとしてもとんがれない。丸みを通り越して平らになってしまい、もはやプライドも無意味な気もする。