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『鎌倉殿の13人』最終話 弟を怪物にしてしまった政子の自責だったのか?それとも…恐るべきラストシーンを考察

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』48話、とうとう最終回。項目をあげるだけでも「承久の乱」「上皇流罪」「御成敗式目の萌芽」「運慶の仏像」「毒を盛る妻」「友との和解」「主人公の死」と、すさまじいドラマが詰め込まれ、感動のラストシーンへとなだれ込んでいった最終回「報いの時」(副題)を歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

『どうする家康』にエール

『鎌倉殿の13人』がとうとう最終回を迎えてしまった。最後の最後までさまざまな要素がてんこ盛りであった。ざっと挙げても、「承久の乱」「上皇流罪」「泰時、のちの御成敗式目に着手」「運慶の仏像」「のえ、毒を盛る」「義村との和解」、そして「義時の死」と、それぞれ細かく描けばまだ数回は続けられたはずだ。

 今回まず驚かせたのは、アバンタイトル(オープニング前のシーン)に徳川家康が登場したことだ。それも来年の大河ドラマ『どうする家康』の主演である松本潤がそのまま演じ、年明けの放送開始に先立ってのお披露目となった。そこで家康は、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』を読みふけり、いよいよ承久の乱の始まりかと胸を高鳴らせる。

 三谷幸喜はこれ以前に手がけた『真田丸』(2016年)の終盤にも、次の大河ドラマにエールを送るような場面を設けていた。それは大坂冬の陣の回(第45回)でのこと、堺雅人演じる主人公・真田幸村(信繁)が、真田丸(大坂の陣において大坂城の南を防御するために築かれた出城)から敵である徳川勢を見下ろしていたところ、井伊直孝(のちの2代目彦根藩主)の姿を見つけ、「向こうにもここにいたるまでの物語があるんだろうな」と口にしたのだ。『真田丸』の翌年の大河、戦国時代の井伊家を描く『おんな城主 直虎』を意識したセリフであったことは間違いない。

 そんな先例があったうえ、家康が『吾妻鏡』を愛読し、源頼朝を模範としたことは史実だけに、筆者は最終回に家康が登場するのではないかと予想していたものの(そのことは頼朝が死んだ25話のレビューにも書いた)、それがラストシーンではなく冒頭だったのには意表を突かれた。あとから振り返れば、ラストシーンがあまりに衝撃的だっただけに、やはり家康を頭に持ってきたのは正解であった。しかも家康が『吾妻鏡』にうっかり湯呑の白湯をこぼしてしまったことには、ラストを暗示していたような気もしないではない。

→第25話のレビューを読む

 そんなわけで家康に誘われながら、ドラマは承久の乱へと突入する。前回描かれたように、政子(小池栄子)の演説で坂東の御家人たちは朝廷と徹底抗戦すべく気炎を上げた。が、どうやら少なからぬ者たちは、坂東から離れたくないというのが本音らしい。三浦義村(山本耕史)は長沼宗政(清水伸)とその様子を見ながら、頃合いを見計らって寝返り朝廷方につこうと画策する。

官軍はあっさり敗北

 泰時(坂口健太郎)も御家人たちが渋っていることを察し、軍勢をそろえるには時間がかかると、一気に京へ攻め込もうという叔父の時房(瀬戸康史)の案に難色を示す。しかし、そこへ大江広元(栗原英雄)が、平家が源氏に敗れたのは速やかに追討軍を送らなかったからだとして、一刻も早い出兵を訴えた。まったく同じことを、頼朝のころより鎌倉に仕えてきた三善康信(小林隆)も病を押して申し出たとあっては、北条家の人たちも腹を決める。

 義時は泰時に総大将となり先陣を切って京へ向かえと命じた。北条の覚悟を示すためだが、この時点で泰時の軍は18人。あとは西へ向かうあいだに兵を集めるしかない。泰時が出陣するのを確認した義村は、兵は2000も集まればいいところだろうと踏み、自分たちもそのあとを追って合流すると見せかけ、途中で泰時を襲うつもりでいた。だが、彼の予想に反して、泰時の軍勢はやがて1万にも膨れあがり、木曽川で官軍と衝突するや打ち破る。この勢いに乗って一気に京に向かって進撃した。

 京の最終防衛線である宇治川では、官軍が橋板を外して死守する構えであった。ここで泰時は、ありあわせのもので筏をつくり、兵を乗せて向こう岸まで運ぶという作戦を提案する。しかし、そのためには筏を押すため水中で鎧を脱いだ兵が、敵に狙われるリスクを冒さねばならない。悩んだ末、時房に促され、ついに泰時はこの作戦を断行した。

 案の定、筏を押す兵たちは次々と敵に矢で撃たれていった。泰時の腹心・平盛綱(きづき)も肩を射抜かれた。だが、駆け寄る泰時に、彼は「俺に構わず行け」と叫ぶ。絵に描いたような死亡フラグだが……あれ、でも、平盛綱は泰時の家臣となり、のちに長崎氏を名乗り、その子孫は鎌倉時代後期には御内人(みうちびと)として権勢を振るうことになるわけで、ここで死んでは歴史が変わってしまうのでは?

 そんな疑問を抱いているあいだに鎌倉軍は京へ入る。ここにいたっても後鳥羽上皇(尾上松也)が自ら出陣すれば形勢が逆転する可能性はまだ十分にあり、義村もそれを期待して弟の胤義(岸田タツヤ)に上皇の説得にあたらせた。しかし、上皇自身は一旦は出陣を約束したものの、乳母・藤原兼子(シルビア・グラブ)の強い反対により断念する。

 こうして官軍はあっさり敗北する。だが、乱のあと、院御所に参じた時房に対し、上皇はまるで自分には責任がないかのような物言いをして、義時から寛大な処置を引き出そうとした。もちろん、義時のこと、ただで済むはずがなく、上皇には泰時を介して隠岐への配流が告げられる。頭を丸めた上皇は、罪人の乗る逆輿に乗せられるという屈辱のうえ、輿を運ぶ者のなかに死んだはずの文覚(市川猿之助)を見つけ、頭を噛まれた(猿之助のアドリブっぽいが)。

 このとき、後鳥羽に加え、順徳、土御門の3人の上皇、さらに後鳥羽上皇の皇子の雅成と頼仁もそれぞれ各地へ配流されている。このうち頼仁親王は、かつて実朝の後継の鎌倉殿候補にも挙がった人物だ。劇中では描かれなかったが、官軍の敗戦後、三浦胤義は自害、藤原秀康(星智也)は捕らえられて処刑されている。

まがまがしい像

 泰時と時房は乱のあとも京にとどまり、乱後の処理にあたったが、劇中では一旦、鎌倉に凱旋し、義時に報告を行った。泰時は戦勝の立役者にもかかわらず、自分たちは帝の一門を流罪にした大悪人になってしまったと浮かない顔。それを聞いて義時は、大悪人になったのは自分だと、すべての責任をかぶってみせる。このあと、時房が上洛中、父・北条時政の後妻・りく(宮沢りえ)と再会したと義時に話す。彼女は夫の死を時房に聞くまで9年間知らずにいた。表向きは平穏を装ってはいたが、彼らに背を向けると涙ぐんだ。

 そんな土産話を聞いていた義時だが、いきなり盃を持ったまま倒れる。それでもすぐに回復すると、京で乱後に廃位した帝(仲恭天皇。後鳥羽上皇の孫)を復権させようという動きがあると広元から報告を受け、その対処をめぐりまたしても泰時と対立する。このころ、戦後処理によって西国の所領を東の御家人が手に入れ、土地の者を苦しめていた。不満を持っている者が先帝を担げばまたしても戦になりかねなかった。

 これに対し泰時は、すでに対策を練っていた。きちんと決まりをつくり、やっていいこととよくないことをはっきりと示すというのだ。これがのちのち「御成敗式目」となるという筋書きである。泰時としては、義時と対立しながらも、そのじつ彼が死に物狂いでやってきたことを無駄にしたくないとの思いからあれこれ考えを巡らしていたのだった。

 こうして義時の意志は泰時に着実に引き継がれるなか、実朝暗殺直後、義時から自分が神仏と一体になった像をつくれと命じられた運慶(相島一之)が、ようやくそれを完成させた。しかし、これが頭巾で顔を隠した、まがまがしい像で、義時とは似ても似つかない。当然、義時は激怒し、運慶を処刑しようとするが、相手が「斬りたきゃ斬ればいい」「どのみち、おまえはもう引き返すことはできん」と不敵な笑みを浮かべるのを見て、「殺すまでもない」と追い払う。

 仏像を太刀で斬ろうとした義時は、再び倒れ込み、床に伏す。医師の診断では毒を盛られたという。盛ったのは、ほかでもない(というかすでに大方の人が予想していたとおり)妻ののえ(菊地凛子)だった。彼女は薬と称してせっせと毒を義時に飲ませていたのだ。そこまでしても自分の子である政村に北条の家督を継がせることをあきらめきれなかったのである。

 本人に白状させた義時は「もっと早くおまえの本性を見抜くべきだった」と嘆息するが、のえは「あなたには無理。私のことを少しも……少しも見てなかったから。だから、こんなことになったのよ!」と精いっぱい反論する。このセリフからすると、彼女は義時にずっと振り向いてほしかったのだろう。彼が正面から向き合って話してくれたのならば、こんなことはしなかった……とも解釈できる。しかし、夫婦が心を通わすことはついになかった。義時はのえを離縁こそしないものの二度と自分の前に現れるなと言って退ける。のえもあっさり立ち去るが、すぐさま戻ってきて、自分が頼んで毒を入手してくれたのは義村だと明かす。

 その義村を義時は館に招くと久々に2人きりで酒を酌み交わす……つもりが、義村は、その酒は、のえが用意してくれた薬を割ったものだと聞くや断る。じつは義時は、すでに長沼宗政が白状して、義村が裏切るつもりだったことを知っていた。そのことを告げられた義村はおなじみの詭弁で切り抜けようとするが、義時に例の酒を飲めない理由があるのかと問い詰められ、ついに飲まざるを得なくなる。

 毒を飲んだ義村は、義時から「俺が死んで執権になろうと思ったか」「おまえには務まらん」と言われ、プライドを傷つけられたうえ、このまま死ぬと思いやけになったのだろう、鎌倉の頂点に立った義時に対し、自分はけっきょく一介の御家人にすぎないと不満を一気にぶちまけた。そのうちにろれつが回らなくなったところで、義時に飲まされたのは毒ではなく、ただの酒と知らされ、平静を取り戻す(ろれつが回らなくなったのは一種の自己暗示か?)。

 義時も「おまえはいま一度死んだ」と言って赦すと、義村はフッと笑い、「これから先も北条は三浦が支える」と誓う。襟を触らなかったからたぶん本当なのだろう。義村は続けて、いい機会だから教えてやると、昔、義時に「おなごはみんなキノコ好き」と吹き込んだのはウソだといまさらながら打ち明けた。それを聞いた義時、目を潤ませながら「早く言ってほしかったぁ」と言う表情が、一瞬若いころに戻ったようでグッとくるものがあった。

 このあと、泰時が京に再び戻る前に「御成敗式目」となる法令の推敲を重ねるさまや、刺客だったトウ(山本千尋)が子供相手に剣術を教えるさまなどが後日談的に描かれる。絶対に死んだと思われた平盛綱も無事であった。「私はいつも誰かに守られているのです」との盛綱の言葉に、彼が幼いころ、川で溺れたところを八重に助けられたことを思い出した。今回も八重が守ってくれたのだろう。

『鎌倉殿の13人』の意味

 そしてついにラストシーンが訪れる。出てくるのは義時と政子だけ。最初は縁側でほのぼのと話していた姉弟だが、義時が「頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったか」と、梶原景時、阿野全成、比企能員、仁田忠常、源頼家、畠山重忠、稲毛重成、平賀朝雅、和田義盛、源仲章、源実朝、公暁、阿野時元と名前を挙げていくうち、政子の顔が険しくなる。その数、何と13人。『鎌倉殿の13人』というタイトルに、頼朝亡きあとの宿老13人という以外にもそんな裏の意味があったとは! と衝撃を受けていると、さらに驚くべき事実が発覚する。政子は、頼家が殺されたことを知らなかったのだ。

 政子から頼家の死の真相を問いただされ、告白するうち義時の体調はみるみる悪化する。医者からもらった毒消しがあると言われ、彼女は奥まで取りに行ってやるが、義時が先帝の殺害をほのめかすと手を止める。そして「私たちは長く生きすぎたのかもしれません」と言うと、瓶に入った薬を床にすべて垂らしてしまった。冒頭の家康がお湯をこぼしたのはこの暗示だったのか。義時は這いつくばってこぼれた薬に口を近づけるが、政子はすかさず袖でそれをふき取った。今後のことは泰時にすべてを託すよう涙ながらに説く政子の声を聞きながら、義時は衰弱していく。

 筆者は最初このシーンを見たとき、政子は、なおも手を汚そうとする義時に対し、そもそもは自分が頼朝と結婚したがゆえに弟をこんなモンスターにしてしまったという自責の念から、これ以上殺される者が出るのを止めるためにも事におよんだのだと解釈した。そこには、一昨年の大河ドラマ『麒麟がくる』で、明智光秀が主君の織田信長の暴走に対し、まさにそうした理由から本能寺を襲撃したことも頭にあった。

 だが、見返してみるとその解釈が間違っていたことに気づいた。政子は、義時にこれ以上手を汚して業を背負ってほしくなかった。だからこそ、このまま死なせてやろうと思い、あえてあのような行動に出たのだ。義時ももだえ苦しんだあげく、最後には姉の思いを理解したからこそ、少し前に泰時から返された髻観音(頼朝が髻にしのばせていた小さな観音像)を再び彼に渡してやるよう頼んだに違いない。そう思い直して、改めてこのシーンを見ると、政子の最後の「小四郎(義時の通称)、ご苦労様でした」との言葉には、いろんな意味が込められているようで、ずっしりと重く感じられた。

 なお、義時が死んだのは貞応3年(1224)6月13日で、承久の乱から3年後のことである。しかし、ドラマではそんな時間の経過を感じさせず、継ぎ目なく話が進んでいった。いちいち年号をテロップで出すなどして描くこともできたはずだが、それでは物語の流れを止めてしまう。作者の三谷幸喜は人生や時代のうつろいを、あくまで川の流れのようにとめどなく続いていくものとして描こうとしたのだ。それこそまさに「大河」ドラマにふさわしい。

 今年、菊池寛賞を受賞した三谷はその贈呈式でのスピーチで、同賞にその名を冠された作家・菊池寛の「つまらない現実より面白いウソ」という言葉を引き、自分も『鎌倉殿の13人』を書くにあたってそれをモットーにしてきたと語った。もちろん、歴史物なので実際にあったことを覆すことはできない。しかし、やはりドラマとして面白いものにしたかった。そのために多少のフィクションが必要だと思って1年間、脚本を書き続けてきたというのだ。

 最終回での、のえ(史料では伊賀の方の名で伝えられる)が義時を毒殺するという話にしても、藤原定家が日記『明月記』に書きとどめた話がもとになっているが、研究者のあいだではどちらかといえば義時は病死だったとする説が有力である。しかし、ドラマにするならやはり毒殺であったほうが面白い。

 もっとも、三谷が考証や史料に重きを置いていないわけではけっしてない。その証拠に、義時の最初の妻が伊東祐親の娘だったという設定は、時代考証を担当した坂井孝一の説から着想を得たものである。三谷は「面白いウソ」だけでなく「面白い現実」を見つけるため、このように最新研究にも目を配り、また『吾妻鏡』などの史料もかなり読み込んだはずだ。実際、細かいエピソードにも『吾妻鏡』が下敷きという話が結構見受けられた。頼家の蹴鞠の指南役だった平知康が井戸に落ちてしまったことや、和田合戦のとき泰時が二日酔いだったことなどがそれにあたる。

三谷幸喜は幸福な作家

『鎌倉殿』を書くにあたり三谷が向き合ったであろう作品にはもうひとつ、まったく同じ時代と人物たちを描いた43年前の大河『草燃える』がある。じつは『真田丸』放送中の2016年、タレントの松村邦洋との対談で『草燃える』の話題が出ると、三谷は《もし僕がもう一度登板することがあったら、今度は鎌倉時代かな、と思ってるんですが、たぶんもう声は掛からないだろうな》と語っていた(『三谷幸喜のありふれた生活14 いくさ上手』朝日新聞出版)。それが今回、実現したことになる。

 三谷は高校時代に見ていた『草燃える』での頼朝の死の描き方に納得いかなくて、自分ならこうすると考えていたという。若い頃に接した作品への不満から二次創作に向かうという人はざらにいるだろうが、それをメジャーな場所、ましてや大河ドラマなら大河ドラマという同じ枠でその機会が与えられる人などめったにいまい。そう考えると三谷幸喜は幸福な作家といえるし、それに1年間こうして付き合うことのできた私たち視聴者も幸せであった。そんな『鎌倉殿』を見て色々と刺激を受けた子供もきっといるはずだ。そのなかから、将来、脚本家となって新たにドラマで鎌倉時代を描くような人が現れたら面白いのだが。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

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