歌手ジュディ・オングさん(72才)が語る後悔しない生き方「人生の岐路と母の言葉」
音楽を通じた国際交流や社会貢献活動に貢献した功績が認められ、2022年度文化庁長官表彰に選ばれた歌手のジュディ・オングさん(72才)。ハリウッド映画の出演を見送ってまで歌手活動に専念することを選んだ背景には「決断したことに一生懸命生きること」という母の教えがあったという。「人生の岐路」で迷わない生き方とはーー。
11才のとき、日米合作映画『大津波』(1961年)で女優デビューを果たし、その後、歌手としても活躍してきたジュディ・オング。29才で『魅せられて』(1979年)が200万枚の大ヒットを記録するなど、輝かしい成功を収めてきた。
しかしその裏では、苦渋の決断を迫られるなど、数々の大波をくぐり抜けてきたのだという。
「後悔した、ということはないんですが、母との関係を変えるほどの失敗をしたことはあります。あれは18才、前年にリリースしたシングル『たそがれの赤い月』がヒットして、多忙を極めていた頃です。
当時、私のスケジュールは母が管理していました。あるとき、半年前から楽しみにしていた友人との約束の日に、仕事のスケジュールを入れられてしまったんです。もう不満が爆発。嵐の夜にもかかわらず、ハンドバッグを片手にホテルに家出をしました。
でもやっぱり仕事が気になって、翌朝10時半くらいに自宅に戻ってみると、警察や近所の人が自宅にやってきて、大騒動に…。母は、従順だった私が朝になっても帰ってこないのをとても心配したのでしょう。その気持ちが痛いほど伝わり、なんてことをしてしまったのかと反省しました」(ジュディ・以下同)
ジュディはそこですぐ、母親に「ごめんなさい」と謝った。
「私の一言で、それまで泣いたことがなかった母が、初めて泣きました。このとき思ったのは、“ごめんなさい”の一言で、固くなっていた心がほぐれるんだ、ということ。私も家出をする前に自分の思いを伝えていればよかったんですけどね」
それ以後、母は勝手にスケジュールを入れることはなくなったという。
悩んでも決めたら絶対に後悔しないようにがんばる
そんな母による一言が逆に、ジュディの人生を変えたこともあったという。家出事件から約10年後のことだ。
「ある日、願ってもないチャンスに恵まれました。『将軍 SHŌGUN』(以下『将軍』と略)というハリウッド映画のヒロイン役に内定したのです。すでに私は原作本を読んでいて、“ヒロイン・マリコの役は私以外にない!”と思っていたので大喜びで内定を受けました。
ところが、『将軍』の撮影はなかなか始まらない。そうこうしているうちに、1979年2月、下着メーカー『ワコール』のCMソングとしてリリースされた『魅せられて』が大ヒットを記録。コンサートがどんどん入ってくるようになり、スケジュールの調整が難しくなっていきました」
どちらの仕事をとるべきか、究極の選択に悩むジュディに、母はこう言った。
「どちらかに決めたら、その選択は絶対に後悔しないこと。自分で選んだ道は、後悔しないようにがんばりなさい」
その一言で、ジュディは歌を選択した。
「歌手か女優か」迫られた選択
「『魅せられて』は200万枚ものセールスになり、レコード大賞の受賞も狙える状況でした。そんな中で、歌手活動をやめてハリウッドに行くことはできませんでした」
歌うことを選んだ彼女は、歌い続けてよかったと言えるように努力した。その結果、『魅せられて』は1970年代最後のレコード大賞を受賞。選択は間違っていなかった。
「いまでも言われます。“もし『将軍』に出ていたらハリウッド女優になっていたんじゃない?”って。でも、それはわかりません。間違いなくわかるのは、自分が選んだ道を生きて、いまを幸せと思えたなら、それでいいんじゃないか、ということです」
36才で気づいた“ありがたい”という気持ち
自分の選択を後悔しないよう努力するなど、常に前向きなジュディだが、もちろん落ち込むこともあった。
「36才で大病を患ったんです。4月から新番組の主演と主題歌を担当することが決まっていてコンサートの予定も入っていたのに、卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)が肥大化し、1月から入院することに。当時はこの境遇を恨みました。でも、担当の看護師さんが、毎日何回も様子を見に来てくれ、その都度、“また夕方に来ますね”などと言って笑顔で去っていく。その姿を見て、いろいろな人が自分を支えてくれていると実感。あまりのありがたさに泣いてしまいました。この、“ありがたい”という気持ちを実感してから、日々の暮らしがどれも、当たり前ではなかったことに気づきました」
この日から、人生への考え方が変わったという。自分ができることで誰かが喜んでくれるならと、チャリティーコンサートやボランティア活動も行うようになった。
「“ごめんなさい”が言えること、そして“ありがとう”という思いを忘れずに、口に出すこと。一日でも早くこれらができると、その後の人生が明るくなると、身にしみて思います」
教えてくれた人
ジュディ・オングさん/歌手・女優。25才で始めた木版画では数々の賞を受賞し、木版画家としても活躍。開発途上国の子供たちを支援するワールドビジョン・ジャパンの親善大使、ポリオ根絶大使、介助犬サポート大使も務めている。
取材・文/桜田容子
※女性セブン2023年1月1日号
https://josei7.com/
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