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『鎌倉殿の13人』27話 副題「鎌倉殿と十三人」に込められた意味を考察

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』27話。頼朝(大泉洋)と政子(小池栄子)の息子・頼家(金子大地)が二代目・鎌倉殿となり、新体制を確立しようとする義時(小栗旬)たちだが、事はそう簡単に運ぶはずもなく……。「鎌倉殿と十三人」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

今度の上皇(尾上松也)はそうとうの切れ者

『鎌倉殿の13人』の第27回では、ついにそのタイトルに掲げられた13人の顔ぶれが決まった。サブタイトルも一字違いの「鎌倉殿と十三人」。ただ、助詞が「の」と「と」では受け取る印象はかなり違う。「鎌倉殿の13人」からは、主の鎌倉殿に対し、それに従う13人という関係が思い浮かぶ。これが「鎌倉殿と十三人」になると、両者はあくまで並立する関係でしかなく、対立する可能性さえうかがわせる。

 そんなサブタイトルがつけられた今回は、京に頼朝の訃報が届き、土御門通親(関智一)から後鳥羽上皇(尾上松也)に伝えられるところから始まった。

 時に建久10年(1199)1月。上皇は頼朝が死んだと聞き、一瞬、暗殺かと思うが、「いま頼朝が死んで鎌倉に得する者はおらぬ」とすぐに打ち消す。続けて浮かんだのが事故の可能性である。「それも隠し通さねばならぬような」「武士にあるまじきこと」と考え、とっさに落馬とひらめいた。通親はそれを聞いて「頼朝ほどの男が馬から落ちましょうか」と疑問を挟むが、上皇は、頼朝が4年前に上洛した際、よく水を飲んでいたのを思い出す。ここから、往年の御堂関白・藤原道長が「飲水の病(いまでいう糖尿病)」だったことを踏まえ、「水が足りぬとめまいを起こす」と導き出すと、「つながった」と合点した。つまり、頼朝は病によるめまいから落馬したと結論づけたのである。何という推理力。今度の上皇はそうとうの切れ者と知らしめるに十分であった。

 そういえば、前回では、北条頼時(坂口健太郎)が、事故発生時の頼朝の着物は肩のあたりが汚れていたのを、落馬したときに手をつかなかった証しと考え、ここから頼朝は気を失って落馬したのではないか(馬から振り落とされたわけではない)と推理し、父・義時(小栗旬)を感心させていた。頼時の場合、物的証拠あっての推理だったのに対し、上皇は記憶と勘だけでほぼ同じ結論にたどり着いた。それだけによけい底知れぬ恐ろしさを感じる。

2代鎌倉殿となった頼家(金子大地)

 続く場面では、2代鎌倉殿となった頼家(金子大地)が、母・政子(小池栄子)――頼朝の死後出家したので今回より尼僧の姿で登場――と義時から、ひとつのドクロを渡される。それはかつて頼朝が、亡き父・義朝のドクロだと文覚(市川猿之助)から言われてもらったものだが、じつは真っ赤な偽物。しかし、頼朝はこれを心の支えとして挙兵を決意したのだった。政子と義時は、頼家にそんな父親の志を継承すべくドクロを託したのである。ただ、このとき義時が口にした「偽物が人々の心を突き動かした」とのセリフが何だか意味深長に聞こえた。まさか頼家のことを偽の鎌倉殿と暗に言ったわけではないだろうが……。

 頼家が鎌倉殿に就くや、その取次役の座をめぐり比企能員(佐藤二朗)と北条時政(坂東彌十郎)がまたしても争った。だが、頼家はいずれも退け、今後訴えがあれば直接伝えるようにと御家人たちに申し伝える。それは政子にも相談せず、頼家が梶原景時(中村獅童)と話し合って決めたことであった。景時は、頼朝もそうであったと、自分以外の御家人たちをけっして信用しないよう吹聴していた。

 思わぬ頼家の宣言に、能員は動揺し、時政はほくそ笑む。時政の妻・りく(宮沢りえ)も、これで比企と鎌倉殿が一枚岩ではないことがはっきりしたと、北条のつけ込む余地を見出し、「面白くなってきました」と夫をけしかけた。

 その頃、京では上皇の後見役である土御門通親の暗殺計画が発覚し、公家の一条高能ゆかりの御家人たちが捕えられる。いわゆる「三左衛門の事件」だが、これを受けて鎌倉では、御家人たちを救うべきだと能員と時政の意見が珍しく一致する。しかし、上皇からは鎌倉が自ら処罰するようにとのお達しであった。そこで頼家は、いまは朝廷と揉め事を起こすべきではないと、時政たちの意見を退けて御家人たちの処罰を即断する。捕らえられたなかには、頼朝に挙兵を促した例の文覚もいたが、頼家は無視を決め込む。

義時(小栗旬)の一計

 北条一門のなかでも気になる動きが表れた。義時の妹・実衣(宮澤エマ)は前回、鎌倉殿の後継者に夫の阿野全成(新納慎也)を推すも失敗に終わってからというもの、夫婦仲がどこかギスギスしていた。そこで生じた心の隙間を埋めるためか、趣味として琵琶を始めた彼女だが、指南役として畠山重忠(中川大志)から紹介された結城朝光(高橋侃)と出会うや、何やらいけない雰囲気が漂う。

 他方、義時は、頼家から若くて力のある者を集めるようにと言われ、さっそく息子の頼時と弟の時連(瀬戸康史)を差し出す。頼家は若い御家人たちから精鋭をすぐり、ともに学びながら、自らの権力の基盤にしようともくろんでいた。三善康信(小林隆)から政治について講義を受けたあとは、庭に出て、朝廷との交渉に際して役に立つと蹴鞠の稽古に汗を流す。指南役は亡き後白河法皇の側近で、いまは鎌倉に移った平知康(矢柴俊博)だ。このとき、誰よりも早くリフティング(いや、それではサッカーか)をマスターした時連に、頼家が突然厳しい顔で「そこまでじゃ!」と止める。てっきり自分より上手いことが気に食わなかったのかと思いきや、表情を一転して緩めると時連を「やるではないか」と褒め称え、砂金まで与える。頼家なりの人心掌握術だろう。

 そんなふうに自分なりに努力を重ねる頼家だが、肝心の政務を放棄してしまうこともあった。景時と和田義盛が侍所の別当(長官)の座をめぐって激しく争ったときも、頼家はいきなり無言でその場を離れると、妻・つつじ(北香那)の居室に逃げ込んでしまう。ちょうど来ていた政子を相手に、御家人たちのくだらない揉め事にうんざりするとぼやく頼家だが、ここでもつつじと、あとから来たそばめ(側室)のせつ(山谷花純)が揉め始めたので、またしても逃げ出すはめになる。

 まったくやる気があるのかないのか、そんな頼家にどう対処すべきか義時が悩んでいると、妻の比奈(堀田真由)が助け舟を出す。幼い頃より頼家を知る彼女によれば、彼は「困ったときほど助けてくれと言えない性分」だという。「本当は助けてほしいんだと思いますよ」と比奈から言われ、義時は一計を案じた。景時を呼び出すと、訴訟に関しては従来どおり文官たちに評議を任せ、採るべき道をあらかじめ絞り、そのうえで鎌倉殿に取り次ぐ形にしたいと提案する。景時にはその取次役になってもらい、4人の文官と合わせて5人衆で頼家を支えるという体制だ。

 頼家の負担を軽減するための策であったが、これに対し三善康信や大江広元(栗原英雄)ら文官からは、当事者の話を聞いて白黒をつけるのはそれなりに経験がいるゆえ、自分たちが裁きを下し、鎌倉殿には結果のみを伝えるのが一番間違いがないのではないかとの声が上がる。それでも義時は「鎌倉殿のやる気を削ぐべきではない」と言ってどうにか飲んでもらう。

増えていく5人衆

 当の頼家は5人衆について景時から伝えられ、初めは当然ながら不快感を示すが、景時に説得され承諾する。しかし、御家人たちがこの案を知ると、それぞれの思惑が絡んで思わぬ方向へ転がっていく。能員は梶原が入っていてなぜ比企が入っていないのだと憤り、自分をねじ込んだ。それを聞けば時政も黙ってはいない。能員をくだらない見栄を張るものだなと馬鹿にしつつ、「だったらわしも加えてもらおう」と言い出す。こうしてあっという間に5人衆は7人衆となったが、能員と時政は自分たちが入るだけでは飽き足らず、どうせなら近しい者を集めて、少しでも勢力を伸ばそうと工作を開始する。

 時政はまず幼馴染の三浦義澄(佐藤B作)を加え、さらに和田義盛(横田栄司)も取り込む。ただ、同じく声をかけた畠山重忠は、すでに同じ武蔵の能員から釘を刺されたとして北条方につくのを断った。

 このあと重忠は、事が義時の本意ではない方向に進み始めたと察して、さっそく彼に時政たちの企みを知らせる。そのうえで重忠は、ここは頼家以外の誰かが新たな柱にならなければいけないと忠言するのだが、義時としてはそうするわけにはいかず悩みを深める。

 そのあいだにも取次役は増え続け、いつのまにか12人衆になっていた。義時が景時に見せられたリストには、本来の5人衆に加えて北条方が4人、比企方が3人(能員・安達盛長・八田知家)で計12人というが、あれ、北条方がいつのまにか増えてる!? このあと義時が政子のもとへ赴くと、リストを見た彼女が「あなたの名前もありますが」と声をかけた先には足立遠元(大野泰広)が……12人目はあんただったか!

 遠元は、自分も武蔵の者なのに、なぜ比企は畠山に釘を刺して自分には何も言ってこないのかと不思議がる。これを聞いて義時は一瞬考えると、「(能員は)足立殿の一徹なところを見抜いて、言っても無駄だと思われたのでは?」と答えた。実際には、比企は遠元のことを歯牙にもかけていないから何も言ってこなかったにすぎないはずだが、義時は相手を傷つけまいとあえてそう言ったのだろう。それでも愚直な遠元は「一徹。よく言われます」とすぐ納得してしまう。

 ともあれこれで取次役は12人。もう十分すぎるほどであったが、政子は「もう1人加えてほしい人がいるの」と、ほかでもない義時にも入れと言い出す。もちろん義時は、自分が入れば頼家が気を悪くすると固辞するが、「頼家はまだまだ若い。いやなことがあるとすぐ逃げ出してしまいます。叔父としてそばにいてほしいのです」と言われてはもはや断れなかった。何しろ、政子には前回、引退を切り出したところ逃げるのかと責められたあげく、今後も一緒に頼家を支えると約束させられたのだから……。

 当の頼家は一連の動きをすでにお見通しであった。その夜、義時を呼び止め、何人になったかと聞き出し、13人になったと知ると落胆する。しかも頼りにしていた義時もそこに入ったと知っては、誰も信用できなくなってしまった。義時はそれでも「我ら御家人をお信じ下さい。鎌倉殿の新しい鎌倉を皆で築いていきましょう」となだめ、「むしろ(13人になって)よかったのかもしれません。少ない者に力が集まればよからぬことが起きる。頼朝様はいつもそれを心配しておられました」と弁解する。物は言いよう。さっきの遠元のときもそうだが、いつのまにか義時も言い訳が上手くなったものである。それでも頼家の不信は消えない。

鎌倉殿と13人の体制が動き出すが……

 こうして選ばれた13人衆――文官:大江広元・三善康信・中原親能(川島潤哉)・二階堂行政(野仲イサオ)、御家人:北条時政・北条(江間)義時・比企能員・三浦義澄・和田義盛・足立遠元・安達盛長(野添義弘)・八田知家(市原隼人)・梶原景時が一堂に会し、今後、訴訟取次は自分たちが執り行うと頼家に伝えた。

 これに対し、頼家は不信感をあらわにする。「父上は最後まで御家人に心を許してはおられなかった。わしも同じだ」と逆に御家人の不信を煽るような言葉を吐き、13人衆を牽制するように彼のほうでも自ら選んだ者たちを紹介する。そのメンバーには、小笠原弥太郎(長経/西村成忠)・比企三郎(宗朝/Kaito)・比企弥四郎(時員/成田瑛基)・中野五郎(能成/歩夢)に加え、何と頼時と時連も加わっていた。「鎌倉Jr.」とでも名付けたくなる近習たちを前に、頼家は「信じられるのはこやつらだけよ。これより、わしの政はわしとこの者たちと行う。もちろん、おまえたち(13人衆)と切磋琢磨してのことだ。新しい鎌倉を皆で築いてまいろうではないか」と告げ、不敵な笑みを浮かべる。

 頼家のために新たな体制をつくったにもかかわらず、思わぬしっぺ返しを食らい、途方に暮れる義時。そのそばで最年長の義澄が「どうなるんだ鎌倉は」と叫ぶと、景時も「頼朝様は、いささか亡くなられるのが早すぎましたな」と悔やむが、もう遅い。不穏な空気が漂うなか、鎌倉殿と13人の新たな体制が動き出す。だが、それも長くは続かない……。

近年の研究では

 頼朝の死の直後、頼家が後継者となったが、それから間もない建久10年(1199)4月12日(同月27日に正治と改元)には、今後、幕府に持ち込まれる訴訟裁決は有力御家人ら13人の合議によって行うことが決定される。この「13人合議制」と呼ばれる体制への移行は従来、頼家が訴訟を直接裁決することを停止して、13人の合議による裁決へと変更されたものと説明されてきた。しかし、近年の研究では、頼家が停止されたのは「訴訟の裁決」ではなく「直接訴えを聴くこと」であり、13人合議制の内実も、訴訟の取次役を13人に限定したにすぎず、合議制が敷かれていたわけではないことが指摘されている(山本みなみ『史伝 北条政子――鎌倉幕府を導いた尼将軍』NHK出版新書)。

 ここには『吾妻鏡』の建久10年4月12日条の解釈の変化が反映されているのだが、当記事では詳しくは触れない。ただ、同じ史料解釈を踏まえながらも、研究者によっては、《この決定は直接的には訴訟裁許についてだが、鎌倉幕府における訴訟裁許の重要性からして、頼家の鎌倉殿としての政務執行全般に及んだと考えられる。頼家は鎌倉殿としての権力行使を停止されたのである》と、従来の説と同様に重く見る向きもある(細川重男『鎌倉幕府抗争史――御家人間抗争の二十七年』光文社新書)。

 ともあれ『鎌倉殿』では、義時の意図(13人の取次役を置いたのはあくまで頼家をサポートするため)に関しては最近の学説を採用しつつ、それに対する頼家の反応(13人衆を自身から権力を奪う存在と見なして激しく拒む)は従来の説を踏まえて描いたようにも思われる。何より、13人が選ばれる過程(これについては『吾妻鏡』にも記述はない)が、御家人たちそれぞれの思惑を絡めながら描かれたのが面白かった。まったく声をかけられず、義時に泣きつく土肥実平(阿南健治)にも何だか同情させられた。

 ついでにいえば、今回終盤で頼家が若い近習たちを呼んで、今後はこの者たちと政を行うと宣言したのは、『吾妻鏡』の建久10年4月20日条で、頼家が5人の近習を「鎌倉中においてたとえ狼藉を働いたとしても、甲乙人(一般庶民)が敵対してはならない」対象と定めたという記述を参照したものだろう。ただ、そこには小笠原と中野、比企の2人の名前は出てくるが、なぜか5人目の名前はない。じつはその名前の出てこないもう一人こそ北条時連(のちの時房)だという(坂井孝一『源氏将軍断絶』PHP新書)。『吾妻鏡』の編纂者は、時の権力者である北条氏を憚って、時房が頼家に加担したことを良しとせずその名を削ったのだろう。

 ドラマではここにさらに義時の息子・頼時(のちに鎌倉幕府3代執権となる泰時)が加えられていた。これは三谷の創作とはいえ、たとえ実際に頼時が頼家の近習となっていたとしても、『吾妻鏡』は(時房の加担以上に)不都合な真実としてそれを隠蔽したに違いない。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある

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