兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第148回 兄、はじめての予期せぬひとりでおでかけ PART3】
突然、黙って外出し、行方がわからなくなった兄は若年性認知症。警察に捜索願を提出したものの、一晩経っても見つからず、妹でライターのツガエマナミコさんの心配は募ります。いったい兄は何処へ…。
自宅から30kmほど離れた県外で見つかりました
兄の捜索願を出した翌朝8時前に警察署からお電話があり「一生懸命探していますが、現段階でお兄さんに該当する人は残念ながら見つかっていません」と報告を受け、その辺りから少し不安になってきました。それまでは、「夜には帰るだろう」「朝方には見つかるだろう」と希望を持っていたので余裕があったのです。
「水は飲んでいるだろうか」「何か食べているだろうか」と思うと、さすがのわたくしも食事をする気になれず、ありあまる時間に仕事をしようとしても、結局まるで手に付きません。テレビも見ていられず、お気に入りのユーチューブチャンネルもなんだかおもしろくなくて、リビングの雑巾がけなどをして過ごしました。
普段「いなければいいのに」と思っている兄ですのに、行方不明になるとこんな状態になる自分が不思議でした。シンプルな心配と「まったくもう!」という苛立ちが同居しておりました。
「見つかった」という電話は、陽が傾き、また夜が来ようとしていた午後6時頃でございました。電話に出ると「ツガエマナミコさんの携帯ですか? こちら××警察署の△△と申します。ツガエ〇〇(兄)さんで間違いないだろうと思われる方を保護しております。今からこちらに迎えに来ていただきたいんですけど来られますか?」というご連絡でございました。
地名には聞き覚えがあり、「あんなところまで行ったのか」と驚きました。保護されたのは、我が家から直線距離にして30㎞ほど離れた県外の警察署でございます。認知症の老人は思わぬ距離を歩くと聞いたことがありますけれど、兄もたっぷり歩いたものです。しかもスリッパ履きで……。警察の方から「だいぶ足の具合が悪いようです」と聞き、昼から一晩中歩いた兄の姿が想像できました。
電車で1時間余りかけて警察署に到着し、通された部屋を覗くと、背中を丸めた兄が椅子に座っておりました。少し日焼けした顔に充血した目をして、半笑いの表情で呆(ほう)けたオーラを放っていました。認知症がすごく進行したような、ざっと30歳ぐらい老けた印象でございました。
「お兄ちゃん、私、わかる?」と話しかけると、「わかるよ」と言った声がカスカスでほとんど聞こえません。「私の名前、わかる?」と訊くと、かすかに「わからない」と聞こえ、「お兄ちゃんの妹だよ。妹ちゃんの名前は何だっけ?」と言ったらやっと「マナミコちゃん」と息のような声で答えてくれました。
どうやら、この日の夕方4時頃からゲームセンターでゲームすることもなく1時間以上一人でぼーっと座っていたようで、その兄を不審に思った店員さんが警察に通報してくださったようです。捜索願の情報から身元が判明し、わたくしのスマホが鳴ったというわけでございます。
本人確認ができたところで、書類に住所と名前を書いて夜の7時半ごろ引き取りが完了いたしました。足がだいぶガクガクして歩くのが危なかったので、帰りはタクシーで2時間近い道のりを帰ってまいりました。
車内で管理人さまとケアマネさまに御礼と現状をメールでご報告した後、兄に「どこに行こうとしたの?」「電車に乗った?」「夜通し歩いたの?」など訊いてみました。でも当然何も覚えておりません。車から見える景色に手を振ったり、ウトウトしたり、カスカスの声で意味不明な言葉を発しては一人で笑ったりする兄を見ながら家までたどり着きました。
帰宅後は、所轄の警察署に無事帰宅したことを連絡し、捜索願を取り消していただきました。
兄はヨーグルトとカップめんをすすり、その後、トイレと白湯を飲むことを数回繰り返しておやすみになりました。我ながら甲斐甲斐しい妹でございます。
お蔭様で翌日にはだいぶ回復し、翌々日にはすっかり元通りになりました。と同時に、わたくしの「帰ってきてくれた」という温かい気持ちも、「帰ってきてしまった」という本音に逆戻り。「弱り切った兄になら意外なほど優しくできる」という手ごたえだけが今回のわたくしの収穫でございます。
3回に亘りました「兄、はじめての予期せぬひとりでおでかけ」はこれにて一件落着です。お読みいただきありがとうございました。今後の対策はこれからですが、もう二度とないことを願うツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ