兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第147回 兄、はじめての予期せぬひとりでおでかけ PART2】
若年性認知症を患う兄が、急に家から姿を消してしまいました!近所を探しても見つからず…。マンションの管理人室のモニターには兄が出て行く姿が映っていましたので、どこかへ出かけたことは間違いなさそうです。ついに、警察に相談に行ったツガエさん。兄はどこに行ったのでしょうか?
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えたいツガエさんですが、そうもいかぬ状況は続きます。
* * *
行方不明者捜索願届を提出しました
兄が家を出て行ったことに気づかず、3時間後、捜索願を出すことにしたわたくしは、交番に向かいながら兄の行きそうな場所を考えておりました。でも何も思い当たりません。
途中、デイケアのスタッフの方とすれ違い「ケアマネさんから聞きました。僕もこの辺探してみますし、送迎のときの車で気にしてみますから」とおっしゃってくださり、ありがたさと申し訳なさが入り混じりました。これから捜索願を出しに行くことを告げて、その日2度目の交番へ!
戸を開けて「捜索願を出すことにしました」とわたくしが言うと、年配のおまわりさまが「ああ、先ほどの…」と気づいてくださり、兄についての情報をメモ書きし始めました。
名前、生年月日、身長、体重、服装(黒と緑のチェック柄フリース)、履物(青色スリッパ)、カバン(無)、所持金(たぶん1000円ぐらい)、身体的特徴(特になし)といったことに加え、認知症はいつからか、名前は言えるか、生年月日は言えるか、電車やバスには乗れるか…という病気の度合いや、最後に見たのは何時何分ごろか、いつ、どんな状況でいなくなったことがわかったのか、出て行くきっかけは何かあったか、行き先に心当たりはないか…などあれこれ聞かれました。
そうこうしてやっと「では、これに住所とお名前を…」と行方不明者捜索願届を差し出され、必要事項を書いて左手人差し指で拇印をしました。持参した写真はおまわりさまのスマホで撮影され、転送したようでした。
交番から管轄の警察署に情報を送信し、全国の交番に捜索願が届くシステムのようです。
そして驚いたことに、捜索願を出すと家に警察署の方がきて、本当に家にいないかどうかを確認しに来るんですね。わたくしが交番から帰ってくるとすぐに、ピンポ~ンと私服警察官さまが2人いらして、いわゆる家宅捜索が始まりました。といってもたかだか2DKですから1~2分で終わりです。
ひとつ「なるほど~」と思ったのは、「この先、警察犬を使った捜査になった場合、この枕をお借りするので、このまま絶対触らないでいてください」と言われたことでございます。リアルに警察が動き、自分が事件の当事者である実感が湧きました。
「家の中にはいない」と確認ができたところで、今度は私服警察官さまによる事情聴取が始まりました。先ほどの交番とほぼ同じ内容の質問と答えを繰り返したことに加え、プロファイリングなのか、2択の質問が10問ぐらいありました。「暗いですか? 明るいですか?」「慎重ですか? 大胆ですか?」「内向的ですか? 社交的ですか?」など、主に性格にかかわる2択でした。そして「お兄さんの捜索は警察でやりますから、妹さんは家にいてください。万が一帰ってくるかもしれませんから」と言い残し、30分ほどでお帰りになりました。
最後に「見つかるとは思います。それよりも今後です。例えばGPSを付けるとかですね。ケアマネさんと相談してください」とアドバイスされ、納得したと同時に憂鬱な気持ちになりました。
時刻は午後3時半になっておりました。
その後、ケアマネさまからお電話をいただき、「こんなときになんですけど、予定通りお邪魔して新しい介護保険証を確認させていただきたいのですが…」ということで、ケアマネさまが4時半にいらっしゃいました。ケアマネさまも付近を歩いてくださり、介護施設の先輩に言われた言葉を話してくださいました。それは
「昼間より夜になってポツンと一人でいると目立つので、みんなが帰宅した深夜から朝方にかけて見つかるケースが多い」
確かにそうかもしれないと思いました。
でも、翌朝になっても兄は見つかりませんでした。次回に続く…
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ