兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第146回 兄、はじめての予期せぬひとりでおでかけ PART1】
同居する若年性認知症の兄の様子がおかしい!ある夜、枕を抱えて妹であるツガエマナミコさんの部屋にやって来たのです。入室を断り、兄を自室の誘導したものの、ツガエさんの部屋と自分の部屋を行ったり来たりする兄…。ツガエさんは恐怖で眠れぬ夜を過ごすことになったのですが、さらに翌朝、思いもかけぬ事件が勃発してしまい…。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えたいツガエさんですが、そうもいかぬ状況なのです。
* * *
兄が行方不明になりました
前回の一夜を経て、事態は急展開いたしました。兄が行方不明になったのです。
(※無事に見つかり現在は元気で家におりますのでご安心ください)
兄が深夜までわたくしの部屋と自分の部屋の間を行ったり来たりした夜、3時間睡眠で朝を迎え、兄への嫌悪感をプンプンに漂わせながら一緒に朝食を済ませ、すぐに自室にこもってヘッドホンでYouTubeを観始めました。部屋の引き戸は少し開けておくものの、兄の位置からはあまり視界に入らない程度にし、時々なにか聞かれてももろくに返事もいたしませんでした。今思えば毛嫌いがエスカレートして必要以上に冷たい態度だったと猛省しております。
そして兄が玄関から出て行ったことに気づきませんでした。
トイレに行こうと部屋を出ると兄はリビングにいませんでした。「トイレかぶりか?」と思いましたが、トイレにもいません。
「部屋で寝ているのか?」と思ってドアを開けてみてもいない。「まさか補助錠を外してベランダか?」と見に行きましたがいません。お風呂場も、キッチンも確かめましたがいないので、「あちゃ~」と思い、鍵と携帯を持って外に行きました。
ほんの10分程前には家にいたのですから、まだそんなに遠くには行っていないはずでした。階段で出くわした管理人さまに「兄を見ませんでしたか?」と言うと「え?いないの?」と、心配してマンション内を探してくださいました。わたくしはデイケア方向に向かい、延長上にある最寄り駅まで歩き、兄が以前に住んでいたアパートや父母と住んでいたマンション、幼少期をすごした団地の辺りをぐるりと回り、ふと団地内にある交番に行きあたりました。
いつも「パトロール中」の札が出ていて留守が多い印象の交番に珍しくおまわりさまが2人いらしたので、「同居している認知症の兄が家からいなくなってしまったのですが…」とご相談いたしました。
「いなくなったのはどのくらい前か?」「今回がはじめてか」「行き先に心当たりはないか?」「ふらりと帰ってくる可能性はないのか?」などの問いの末、「まだ20~30分ですよね? 捜索願出しますか?」と、まだ早いんじゃない?空気を振りまきながらおっしゃいました。
捜索願がないと警察は捜せないとの言葉に迷っていると、年配の方のおまわりさまが一応兄の特徴についていろいろ聞いてくださり、「もし該当する人の問い合わせがあったらご連絡します。捜索願を出すことに決めたら、今度は写真を持って来てください」とおっしゃってくださいました。
マンションに戻ると、管理人さまが「本当は理事会の許可を取らなきゃいけないんだけど」とおっしゃりながら防犯カメラの映像を見せてくださり、10時46分にエントランスを出る兄を確認。扉の向こうを左方向へ行ったのがかろうじて映っていました。
それから2時間、時々家に戻りながら、あちこち歩き回り、2時頃ケアマネさまに連絡を入れました。この日の夕方は、月1回のケアマネさま来訪日だったのです。
「じつは11時前から兄が家を出てしまって行方不明です。こういう場合、もう捜索願出したほうがいいでしょうか?」とご相談すると、あまり経験がないとしながらも「出した方がいいと思います」と背中を押されたので、兄の最近の写真を持って再び交番に向かい、捜索願を出しました。
でもその夜、兄は見つかりませんでした。次回に続く…。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ