ヤングケアラー、小6の6.5%という調査結果 当事者が明かす介護「誰にも話せない大嫌いだった母のこと」
元ヤングケアラーとして情報を発信しているたろべえさんは、生まれたときから母親に障害があり、24才の現在に至るまで介護を続けている。ヤングケアラーとして過ごしていた中学時代を振り返り、今思うこと、心の声を明かしてくれた。
おまえは、本当はやさしい
「おまえは、本当はやさしいから。おまえは、本当は皆のことを考えている」
…は?(何言ってんだ、この酔っ払い)
思春期の私は、急にかけられた言葉に、何も返すことができなかった。
中学で3年間続けた部活も今日で引退。打ち上げには部員と保護者と顧問と外部コーチが参加していた。「あー、やっと部活から解放される」という安堵感が強く、感慨はまったくなかった。だけど、このときの外部コーチの言葉を今でもはっきりと覚えている。
中学生の打ち上げなので、21時頃には宴も終盤だったと思う。すでに外部コーチはだいぶできあがっていた。私は酔っ払った大人の姿をゴミでも見るような目で睨んでいたと思う。
おまえは、本当はやさしいから?
私はやさしくなんてない。
私はクズだ。
母の手料理は豆腐のない麻婆豆腐
中学時代、部活から帰るといつも母は夕飯を作っていた。正確には、果たして夕飯と呼べるのか怪しい物体を、毎日作り続けていた。生焼けの肉、油に浸かっている焼きそば、麻婆豆腐の素。どれもそのままでは食べられるものではなかった。
料理として成り立っていない物体が乗っかっている皿を、母はフラフラとよろめきながら食卓に運んできた。
料理を作る母の目の焦点が合っていない日もあった。言っていることも不明瞭でよく聞き取れない。「お酒飲んだでしょ?」と聞くと「のんれないよ、うるへぇな!」と返ってくる。嫌がる母をなんとかなだめて自室に連れて行き、ベッドに寝かせた。
高次脳機能障害の母と私のこと
母には障害がある。母自身が高校生のときに交通事故に遭い、高次脳機能障害(脳損傷による障害の総称。日常生活の中で様々な症状が現れる)と片麻痺が残った。私が中学生の頃はアルコール依存症でもあった。
私が生まれる前から母には障害があったので、私は物心ついたときから母が自分ではできないことをかわりにやるようになっていた。
当時は「ヤングケアラー」という呼び名もなかったし、母は排泄や入浴などの身の回りのことは自分でしていたので、自分が介護をしているという認識はなかった。
ヤングケアラーとは
日本ケアラー連盟による定義によると、ヤングケアラーとは、家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18才未満の子供のことを指す。
令和2年度の厚生労働省の調査※によると、中学校の46.6%、全日制高校の49.8%にヤングケアラーが「いる」ことが判明し、中学2年生の17人に1人がヤングケアラーだということが明らかになった。
また、厚労省による最新の調査によると、「家族の世話をしている」と回答した小学生は6.5%いるということもわかってきた。
※厚生労働省「ヤングケアラーの現状」https://www.mhlw.go.jp/young-carer/
周囲から浮き上がっているような感覚
小さい頃は、母が服を着るのを手伝ったり、荷物を持ったりというところから始まり、いつしか母が作った料理を作り直したり、母が掃除した場所を掃除し直したりということも担うようになった。小さい頃は別に嫌じゃなかったと思う。母と一緒にいる時間が嬉しかった。でも、中学生ぐらいになると、自分の時間がもっと欲しくなり、次第に母の存在が煩わしくなっていった。
部活、勉強、それぞれの学校生活を頑張っている同級生と、母の面倒を見るのが最優先になってしまい、自分のことがどんどん後回しになる私。
きっと外から見れば教室の中の一員としてきちんと自分の席に座っているように見えていたかもしれないけれど、いつも皆の中で自分だけ浮いているような感覚だった(冒頭のイラスト※)。
※編集部注:冒頭のイラストはたろべえさんが描いたもの。周囲から浮き上がっているように感じていた様子がイラストから見て取れる。
中学校の終業式の日、母に賞状や通知表にコーヒーをこぼされてしまったこともあった。休み明けに提出する物もあるのに、これでは私が提出物を雑に扱う人間だと評価されそうで嫌だった。
母は歩行器を押して、フラフラと1時間以上かけて1人で近所のスーパーに買い物に行くことがあった。母が家にいないと、正直ホッとした。このまま車に轢かれて帰ってこなければいいのにと思っていた。
母はどれだけ私の邪魔をしても、とがめられることはない。だってそういう”障害”があるんだから仕方がない。賞状や通知表にコーヒーをこぼされたって、母がコーヒーをこぼしそうなところに置いておいた私が悪いってことになる。もし母が本当に車に轢かれて帰ってこなければ、1人で外出するのは難しいことを知っていて外出させてしまった私が責められるんだろう。
母が大嫌いだった。
でも、本当に大嫌いなのは、母のことが大嫌いな自分だった。
母のことは誰にも話せなかった
私は母のことを学校の先生や友人に話したことはほとんどない。
正直、母の面倒をみていたって「やさしい」とは言われない。だって、あたりまえだから。母に障害があることも、自分がクズなことも仕方がないと思っていた。外部コーチは母のことなんて知らないし、酔った勢いで出た戯言だったのかもしれないけど、初めて誰かから「やさしい」と言われたことを、今も心の中にしまっている。
現在、私は24才になった。元ヤングケアラーだから、元ヤン。自分はクズ100%でできているのではなく、もしかしたら1%ぐらいの「やさしさ」もあるのかもしれない。
先日、母と桜を見に行った。相変わらず母は手がかかるので、基本的には一緒に出かけたくない。でも、この日はなんとなく母に桜を見せてあげたくなった。母と「ただ花見をした」という事実が欲しかっただけ。
今でもまだ母のケアはあまり好きではないけれど、これからも「1%のやさしさ」を積み重ねながら、この日常は続いていく。
元ヤン・たろべえの介護Memo
・人に話せないことは紙に書く
ヤングケアラー時代はなかなか人にケアの話をすることができなかったので、かわりに思っていることを紙に書き出していた。ストレス解消におすすめ。
・当事者会や相談先を見つける
大学生になってからは、自分と同じようにヤングケアラー経験のある当事者の方々と出会い、気持ちが楽になった経験が。友達や家族以外に相談先があるということを知ってほしい。
編集部注:厚生労働省が運営するヤングケアラーに関するサイト「子どもが子どもでいられる街に。」では、相談窓口や当事者会の連絡先などが紹介されている。
https://www.mhlw.go.jp/young-carer/
・公的なサービスのリサーチを
私が子供の頃は福祉サービスの知識がまったくなく、母は公的なサービスを一切使わずに生活していた。ケアをしている人を支える制度があることに早めに気づいてほしい。
文/たろべえ
1997年生まれ。片麻痺・高次脳機能障害のある母の元に生まれ、幼少期から母のケアを続けてきた。現在は社会人として働きながら、ケアラーとしての体験をもとに情報を発信し続けている。
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